第2話 学園の王子様

 周りの空気さえ変えるほどの存在感を持つ彼は、その綺麗な顔面に浮かべた微笑みを絶やす事のないまま、私の隣の席に座った。男子なのに、なんだかキラキラと宝石のように輝いて見える。


 細身の長身に、男子にしてはほんの少し長めのサラサラの黒髪。そして形のいい唇とすっと通った鼻筋、一族の特徴であると言う翡翠色の大きな瞳が計算され尽くされた配置で卵形の輪郭に収まっている。男性的な凛々しさと女性的な優しさが程よく混ざり合った顔立ちで、今をときめくアイドルですと言われたとしても納得してしまいそうだ。


 生まれは優秀な能力者を多数輩出している事で有名な超能力一族。そのうえ誰にでもにこやかに接するのに、特に誰とも連まないそのミステリアスさから多くの女子の支持を集めている、まさに学園の王子様。


 さて、私にはいろいろと悩み事がある。


 それは朝、暗いうちに起きなければならないこと、毎朝の身支度を妨害してくる母ゆずりの癖毛のこと、人熱で窒息しそうになる満員電車に嫌でも乗らなければならないこと、訓練がまったくうまく行かないこと、耳元でぶんぶんうるさい小蝿たちのこと。


 それから、この王子様こと、翠川すいかわ 史穏しおんくんに目をつけられてしまっていること、である。


 翠川くんは先ほどの二人組から挨拶をされたのに軽く返すと、今度は私の方に目を向けてくる。今日も花びらのように瑞々しい唇が、なぜか、


「草壁さん、おはよう。今日もいい天気だね」


 ……なめらかに私の名を紡ぐ。


「お、おはよう」


 私がビクビクしながら挨拶を返すと、翠川くんは今日も嬉しそうに微笑んだ。彼のことは全然タイプじゃないのに、それでも美形に笑顔を向けられるとそれなりに心に刺さる。不覚にも胸が高鳴りそうになるのを堪えながら、また窓の外に視線を戻す。


 目をつけられる、なんてずいぶんな言い草だとわかっているけど、そうとしか言いようがない。彼に対する心の中の警戒レベルは常に真っ黄っ黄のイエローゾーンである。


 だって、なぜか翠川くんは私にだけ、自分から挨拶をしてくるからだ。もちろん他の子にも挨拶されればきちんと応えるけれど、それだけ。けっして彼から話しかけることはない。


 そうは言っても私ともただひと言、朝の挨拶を交わすだけだけど、わざわざ【不詳】に友好的な態度を取る理由がわからなくて怖いし、嫌がらせがひどくなった原因に違いないので、ちょっと迷惑というか。


「あのさ、草壁さん。今の空って何色なんだろう?」


「ひぇっ、え、せ、セレストブルー……かな」


 初めて追撃があったことに驚いて、めちゃくちゃ挙動不審になってしまった。つい先ほどから思っていたことをそのまま口走ってしまった私に、王子様はその綺麗な目を丸くした。


 しまった、と思って肩をすくめたけど、時すでに遅し。この手の答えを返してしまえば、「うんちくのつもり?」などと吊るし上げられるように言われ、笑われるに決まっている。諦念して、息をついたけど。


「へえ。ただの水色じゃなかったんだ。ありがとう」


「う、うん」


 しかしそんな暗い予想に反し、彼はなぜか私をバカにしている様子はない。「調べよう」と小さくつぶやいて何度も頷きながら、机の上に一限目の用意を整え始める。


 なんだか拍子抜けした私は、初めて彼の横顔をじっと見つめてしまった。やっぱり横顔もきっちり整っていて、神様は彼の横顔を作る時にも決して手を抜かなかったのだと思う。


「え、なあに?」


「なっ、なんでもないよ」


 目線を気取られ、小首を傾げられたので慌てて視線を逸らす。必死で平静を装ったけれど、私の心臓はドコドコドコと早鐘を打っていた。


 これは別にときめいたからじゃなく、なぜ彼は唐突に空の色を尋ねてきたのか気になったからでしかない。実は私は暇なとき、今の空が何色なのかを考えていることが多い。


 空は、もちろん天気でも色が変わるけど、青空ひとつとってもその時々で微妙に色が変わる。ひとくちに水色や空色と言ってしまってもいいんだけど、そこにあるわずかな色の違いを捉えるのが面白い。


 とにかく、さっきの王子様の質問は私の頭の中を覗いていないとをまず出てこないものだ。私はひとつの可能性に思い至り、黒い手袋に包まれた彼の手を横目で見つめる。


 クラスには他にも何人か同じように手袋をつけている子がいるけど、全員が人の心や思考を読む能力……テレパシーの使い手。彼はいわゆるテレパシストだ。


 ほとんどのテレパシストは相手の体に触れることで心を読むという。だから、うっかり相手を素手で触って不必要に心を読むことのないよう、身につけることがマナーというより半ば義務付けられているものだ。ただの布ではなく何か加工をしてあるものらしいけど、詳しいことはよく知らない。


 さっきのもきっと心を読まれたには違いない、と思う。でも、もちろん私は彼に一度たりとも触れられたことはない。席は隣といっても机は離れているから、うっかり手が当たったなんてこともないし、廊下の曲がり角で出会い頭にぶつかったこと……もない。


 覚えていないだけかもと脳をフル回転させて考えたけど、全く心当たりに行きつかない。えええ、怖すぎるんですけど。王子様に対する警戒レベルが一気にレッドゾーンまで跳ね上がる。私は背筋をぞくぞくと冷たくさせながらも、動揺しているのを悟られないように、一限目の支度を整えていく。


 今日はもうすでに限界なのに、朝イチから数学なんてやってられない。チャイムが鳴る前に糖分のタブレットを取り出して齧りながら、もう一度目線だけを右側に向ける。


 彼はもうこちらを気にしていないようなのでホッと息をついたけど、その綺麗な横顔は、もはや底知れない不気味なものにしか見えなくなってしまっていた。

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