第10話

翌日の朝、姉に車のキーを借り、僕は青色の軽自動車に乗り込んだ。旅にふさわしい快晴の空のおかげで、車内は既に灼熱状態になっていた。

「そこのボタンを長押しするとエンジンかかるから。あとは何となく分かるでしょ?」と姉が窓枠に肘をかけながら教えてくれた。

「サンキュ。2,3日で返せると思うわ。」と僕は答えた。

「変なとこにぶつけないでよね!」と言って車のボディをぽんと叩くと、姉は伸びをしながらアパートの部屋へ戻って行った。


運転するのは本当に久しぶりだった。最後に運転したのが一体いつのことだったか、上手く思い出せない。少なくとも前回のオリンピックより前だったのは間違いないだろう。

普段東京に住んでいると電車や地下鉄でどこへでも行けてしまうので、車を必要とする機会そのものがない。ただ今回の旅では、さすがに車で行った方がいいだろうという予感があった。霧ヶ峰高原についてから歩いて緑川さんの小さなアトリエを探すのは、どう考えても無理な話だった。


久しぶりの運転のせいで僕は最初だいぶ緊張していた。初めて運転する姉の軽自動車に慣れるのが精一杯である。しかもここはまだ大都会東京、いつ何時歩行者が飛び出してくるか分からない。ただひたすら信号と後続車に目を光らせているうちに、気が付くと23区を通り過ぎていた。


八王子の辺りで車を停められるコンビニを見つけて、僕はようやく一息つくことが出来た。少し早いけれど、昼ご飯を買っておいた方がいいだろうと思った。お茶とおにぎり、それからレジの横に置いてある骨付きチキンを買った。

入り口の所でそれをむしゃむしゃと食べていると、中学生の頃に帰り道で買い食いをしていた頃を思い出した。あそこの道、美味しい揚げ物屋さんがあって、みんな必ずと言っていいほど買い食いをしたものだった。僕のお気に入りはチキンカツで、ソースをかけて食べるのが好きだった。ツウは何もかけずに食うのがいいんだとか、いや塩だとか言っていたのを思い出す。


青空に薄く雲がかかった、いい天気だった。夏休みが始まったのか、虫取り網を持った小学生たちがコンビニの前を通り過ぎた。ここら辺は東京でもカブトムシが捕れるのかも知れない。

彼らの姿を見ていると、自分も年を取ったんだなという気持ちになった。20年くらい前、自分もただ真っすぐに虫を追いかけていた時代があった。今では蚊に刺されるのが嫌で、草むらに入ることなんて無くなってしまったけれど。そんな自分には無邪気にはしゃぐ小学生たちが、とても眩しく見えた。


熱くなっている車内に戻ってエンジンをかけると、額にうっすらと汗が浮かんだ。たまらずにエアコンのつまみを最大に回すと、顔と脚に当たるひんやりとした風が、上昇する体温を落ち着かせてくれた。僕はお茶を一口飲んで、「よし、行きますか。」とつぶやいた。

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