第6話 友達 (2)

 駅で夏菜とばったり出くわして数秒、会話もままならない中で電車がやってきた。

 俺たちは乗車口に並ぶ人に押し出される形で電車に乗り込んだ。

 車内はホームよりも更に人がぎゅうぎゅう詰めになっており、密着する形になる。


「う、せまい」

「っ」


 ただでさえ気まずかったのに、より一層ドキドキする。

 すぐ視線を斜め上に上げると夏菜と目が合った。車内にいる乗客の中でも夏菜は頭半個分ほど抜けている。

 また夏菜の背が伸びたような気がしたが、女子の成長期は男子より早いので、高校生になって成長期が来るはずない。

 たぶんモデルの仕事で姿勢が良くなったからだろう。


 俺たちが無言の間にも電車は進んでいく。

 残された時間は少ない。俺はごくりと唾を呑んで、


「「ごめん!」」


 声が重なった。

 俺と夏菜はほぼ同時のタイミングで謝罪した。


「ごめんなさい……牧くんにずっと冷たい態度とって。嫌いになったわけじゃない。ただ……未練を断ち切るためにいっそ嫌われようと思って……でもやっぱり私……!」

「いや俺の方こそ、なにもできなくてごめん!」

「牧君は悪くないよ。私が話しすらしないで一方的に決めただけ」

「それでも引き止めるべきだった。後悔してる」

「いやいや——」

「こっちこそ——」


 満員電車で謝罪合戦。

 俺も夏菜も相手の謝罪を受け入れずに、逆に自分の謝罪をねじ込もうと躍起になる。

 この意味もなく生産性も皆無な時間は次の駅に着くまで続いた。

 降りていく人は「痴話喧嘩だ」「仲のよろしいことで」と呟いていく。


「……ぷっ!」

「っく、あはは!」


 扉が閉まる。

 多くの学生やサラリーマンが降りてしまったので、車内はしーんと静まり返った。

 堪えきれなった俺たちは吹き出した。


「なんか本当に久しぶり」

「だね。あーすっきりした!」


 空いた席に二人対面して腰を下ろして、ようやく俺は緊迫で湿った息を吐いた。

 じっとりと手のひらが汗ばんでいる。


「牧君、元気そうだね。良かった」

「夏菜も元気そうでなにより。ハードワークで潰れてるんじゃないかって心配だったよ」

「今のがずっとホワイト。前はスタッフさんが少なかったから、ほんと酷いスケジュールでさ」

 

 夏菜は「特にマネさんが人使い荒くて」と肩を竦める。

「敏治さん評判悪いんだろ?」と訊ねると、「誰から聞いたの?」と声を低くくして質問してきた。


「実は転校先に神原さん……ええっと、たぶん夏菜と同期の読モがいて……」

「涼香さんね。同年代だけど私より少し早くにスカウトされた人だよ」


 神原さんのことは夏菜も見知っていたようだ。


「あの子、可愛いよね」

「夏菜ほどじゃないけどね」

「そんなこと言って、なんか仲良さげじゃん」


 夏菜は「私だけのけ者だ」って文句を言う。

 いやいや。

 のけ者にされたのは俺と神原さんの方だが。


「その神原さんが敏治さんのことボロクソ言ってて……」

「モデルの人はみんな悪い印象を抱いてるよ」


 夏菜はピシャリと言い切った。

 よほど敏治さんの話はしたくないらしい。


「次は牧君の話聞かせてよ。今の学校どう?」

「すっごいお嬢様学校。前の学校よりも広くて、特に図書室は凄かった」


 俺は借りてきた本を鞄から取り出す。

 高校の授業でも習わないような思想家の本だったり、マニアックな国の近代史だったり、あとは個人的に好きな海棲哺乳類の生態学の本など、おそらくは学校に通う生徒の誰からも興味を持たれそうにないものだった。

 

「相変わらず難しい本ばかり読んでるね。面白いの?」


 夏菜は本をパラパラと捲ると、もういいやと言わんばかりにこめかみを抑えた。


「こういう本しか読んでこなかったからね」

「もっと面白いの読めばいいのに。だから友達できないんだよ」

「いや、友達くらいいるし」

「嘘」

「否定するの早っ! ほんとだって! なんならさっき出来たばっかだし!」

「へぇ、誰?」

「神原さん」


 俺は咄嗟に神原さんの名前を出したが、直後に「マズった!」と頭を抱えた。

 別れたばかりの相手に女の名前を出すのは悪手だ。


「……私に嫉妬して欲しいの?」

「してくれれば最高なんだけどね」


 だけど残念。

 夏菜は『モデル業界さん』という俺よりも大切な彼氏がいるんだ。

 俺のことなんか気にも留めて貰えない。


「ねぇ牧君、今の事務所って恋愛OKらしいんだ」

「えっ?」


 すると、唐突に夏菜がそんなことを言い出した。

 

「でも〝今は〟ヨリを戻すの無理。牧君にも私を好きでいてくれるファンの人にも不誠実だし……」

 

 夏菜はもう異性としての俺には冷めているのだろう。


「……そうだな。〝永遠に〟無理だろうね」


 俺は小声でぽつりと呟いた。

 

「でもさ、私たちって……」

「友達としてやってける。夏菜はそう言いたいんでしょ?」

「……まあ、しばらくはそれでいいよ」


 ありとあらゆるものは変化する。

 それは人間関係も変わらない。いつかは別れが訪れて寂しさが残る。


 でも——


「夏菜と友達に戻る、か。転校してからは考えたこともなかったな」

「あんまり前と変わらない気がするけどね」

「恋人らしいことなんてしてこなかったからな」

「……今エロいこと想像したでしょ?」

「一回くらい夏菜の裸見とけばよかったなーって考えてた」

「エッチ。変態」

「急に距離取らないでよ! 男子なら一回は妄想するって!」

「うるさい。ハゲ」

「ハゲてないし!」


 夏菜には夏菜の人生があって、俺には俺の人生がある。

 一度交わって別れたとしても、それが終わりじゃない。また違う形で交わればいいんだ。


「あ、次だ」

「あっという間だったな」


 アナウンスが流れ、次の駅で俺たちは降りた。


「またね。牧君」

「また今度」


 次もまた会うことを確信したような挨拶を交わして、俺と夏菜は交差点で別々の通学路を歩き始めた。





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