アップデート・マイナス

五速 梁

第1話 僕はヒロインから監督に選ばれない


「うーん。やっぱりこの角度じゃないな」


 美術館の鉄柵にもたれ、街路樹の葉で覆われた歩道をフレームに収めながら僕は今日何度目かのため息をついた。


 学園祭も終わりぐっと秋めいた街の風景は、色調を編集せずとも物憂げな雰囲気がたっぷりで本来なら想像意欲を掻きたてられるところだ。


 だがそんな風景を動画に収めながら――僕は、憂鬱だった。


 日ごとに強まる創作意欲とは裏腹に僕の気持ちが今一つ浮かないのは、どんよりした天気のせいでもなければアングルがなかなか決まらないせいでもなかった。


 ――やっぱりあいつがいないとフレームの中が空っぽに見えるな。

 

 僕が動画撮影を中断し、とりあえず撮った所までを保存しようと表示を切り替えたその時だった。


「珍しいね新ちゃん。こんなところでロケハン?」


 振り返ると、妹の舞彩が見たことのない少年と肩を並べて立っていた。


「うん……まあな。友達かい?」


 僕が尋ねると、舞彩は珍しくはにかむようにもじもじし始めた。


「うへへ、付きあってくれって言われちゃった」


 僕は少年の困ったような表情と舞彩のまんざらでもない顔を交互に見て、こいつガキのくせにもったいをつけて楽しんでるなとげんなりした。


「返事はちゃんとしたのか?」


「へへへ、まだ」


「……だったら、今日中にちゃんと返事しろよ。でないと家に入れないからな」


 僕がきつめの口調で言うと、舞彩は不満げに頬を膨らませた。


「新ちゃんが口を出すことじゃないでしょ」


「簡単だろ。付きあう気が無いなら友達でいましょうって言えばいい」


「……ふうん。杏沙さんにもそう言われたの?」


 僕は返す言葉に詰まった。こいつ口だけはうちのクラスの女子並みだ。


「ねえ明人君、うちの兄貴さあ、もう半年も片思いしてるんだよ。自分の映画に出てくれってしつこく口説いてさ」


「映画?」


 映画と聞いた途端、少年の目がぱっと輝いたのを僕は見逃さなかった。


「映画好きなの?」


「あ、はい。昔のSF映画とか集めてます」


「へえ、珍しいね」


「母が昔、翻訳の仕事をしてて、うちに古い映画の本とかDVDとかたくさんあるんです」


「ふうん。君もシナリオを書いたりとかは、しないの?」


「あ、あの、学校で撮ったビデオの脚本とかなら……」


 少年が僕の問いに遠慮がちに答えると、舞彩が「ちょっと新ちゃんやめてよ。私たち、これからデートなんだから」と少年を僕から引き離そうとした。


 舞彩の目線を追った僕は「ははあ、あれか」と納得した。門のところに掲げられた案内には『SF映画と二十世紀美術』という展覧会の内容が記されていた。おそらくあれを見に来たのだろう。


「新ちゃんも、杏沙さんと二人で見に来れたら良かったのにね」


 妹のからかいは僕の胸をぐさりと突き刺した。実を言うと舞彩の指摘は図星だったのだ。


 昨日、僕はこの美術館に来ることを杏沙にメールでそれとなく、というか露骨に告げていた。しかも「興味がわいたら見に来てももいいよ、歓迎する」と下心丸出しの一文を添えて。


 顔から火が出る――と言いたいところだが、ぶっちゃけ杏沙はそのくらいあからさまな態度を取らないと、こちらの真意はおろか下心すら気づかないのだ。……だけど。


「よくわかったな舞彩。ロケハンに誘ったけど、この分じゃ今日も空振りかな」


「あら―可哀想。あんまり見せつけると落ち込んじゃうから、もう行くね」


 舞彩はそう言うとボーイフレンドの筆頭候補と門の内側へ姿を消した。


 ――あいつ、うまくあの子を繋ぎとめられるかな。


 僕はSFにも映画にもさほどの興味を示したことのない妹と、好奇心で目を輝かせている明人という少年を思い浮かべ、どうかあの子が遊びに来てくれますようにと祈った。


 ――さて、いいかげん未練がましくうろつくのは止めて、帰るかな。


 僕が喉に引っかかる淡い期待を強引に呑みこもうとした、その時だった。

 秋物のコートに身を包んだ細い人影が、通りの向こうから幻のように姿を現すのが見えた。


「……七森?」


 僕の前まで一ミリも表情を変えずに歩いてきた少女――杏沙は、特別展示のポスターに目をやると一言「見たいものがあるの」と言った。


「父の手伝いがキャンセルになったから、今日しか来られないと思って」


 やった! 僕はそれまでの沈んだ気持ちが嘘のようにはしゃいだ気分になった。杏沙が口にした理由が事実だろうが照れ隠しだろうがどうでもいい。


 僕は「偶然だなあ」と白々しい笑顔をしてみせた後「当然、お伴が必要だよね?」と言った。


「そうね。音声ガイドの邪魔をしないのならいいわ」


「よし、決まった」


 僕がそう言って学生証を取り出すと、ふいに杏沙が「携帯は出さないでね。撮影に協力するために来たんじゃないから」と言った。


 僕は内心「さすがに鋭いな」と思いつつ、こういうのも阿吽の呼吸って言うのかなと自分に都合のよい解釈をした。


「言っておくけど、あなたの見学する速度には合わせないから」


 杏沙は僕のとろくさい見学テンポを知っているかのように釘をさすと、さっさと門の内側に入って行った。


 ――ちくしょう、いつか七森と同じ歩調で並んで歩いてやるぞ。


 僕が慌てて後を追うと、正面玄関に続くアプローチの途中で唐突に杏沙が足を止めた。


「おい、なんで急に止まるんだよ」


「……雪だわ」


「えっ?」


 僕は足を止め、灰色の空を仰いだ。


「本当だ」


 まだ十一月に入って間もないのに、この街で雪が降るのは珍しい。


「随分時間が経ったのね、あの出来事から」


「え?」


「あの時は美術館に自分の足で入るなんて、 夢のまた夢だったけど」


 杏沙は僕らにしかわからない思い出を口にすると、再び玄関に向かって歩き始めた。


「ちぇっ、歩いたり止まったり、何をするにも予告なしだもんな」


 杏沙との苦しくも少しだけ甘い記憶に浸っていた僕は、その時はまだ知らなかったのだ。


 この日、僕らは明日を失いかねないトラブルのスタート地点に立ったのだということを。




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