女忍の物語2

うつせみ

第1話 慢心のくノ一

 その一


 江戸の町並みの屋根瓦の上をおゆいは音も立てずに器用に走ってゆく。

 今回も楽なお勤めだ。頭の中ではそう考えていた。


 お結は伊賀の忍びの小頭の家に生まれ、幼い頃から身体の能力に恵まれ神童と呼ばれた。


 身の丈も女としては高い四尺五寸近く有るが、その割には身が軽くて跳躍に優れ。手裏剣や小刀の使いも素早く、里の上忍達も舌を巻く程の腕前だった。


 歳はまだ十八だが、何回もお勤めをこなして、仲間が他の忍びに襲われていた所を手裏剣で敵を仕留めて助けたり、小刀で侍と対決して勝ったりと、忍びの頭領からも先が楽しみだと誉められていた。


 自分に掛かれば、忍びのお勤めなど簡単な事だと慢心していた。


 この日はその腕を認められて初めての一人働きだった。

 大名屋敷に入り、見取り図を盗むだけの簡単なお勤めだった。

 屋敷を見渡せる屋根の上に立ち屋敷を眺める。


「少し明るいな」


 春の陽気の、月明かりの明るい夜だった。

 着ている服と同じ茶褐色の頭巾を被ると


「それじゃ、行くか!」


 音も立てずに塀によじ登り、庭を進んで屋敷の屋根に登った。

 瓦を何枚か外して、屋根板を取り屋根裏に入った。


 屋根裏に忍び込み、見取り図のある部屋に誰かが居たら、眠り薬を含ませた糸を口に垂らして熟睡させて盗む作戦だ。


 屋根裏から見取り図があるであろう部屋を覗くと、誰も居なかった。


「よし、よし」


 お結は部屋へと降りて床の間の棚の引戸の中を探る。

 中から漆塗りの箱を見つけるとそれを出して蓋を開いた。中にある巻物を、障子を照らしている月明かりに当てて見る


「あった」


 草の知らせ通り、屋敷の見取り図はあった。


「さてと」


 お結は少し開いた障子戸の隙間から外を見渡して、誰も居ないのを確かめて庭へと出た。

 外に出て、塀の所まで駆け出そうとした時だった。


「待て!」


 驚いて振り向くと、月明かりの中に男が立っている。


「待ち伏せか?」


 暗闇の中、目を凝らし


「一人だな、侍か」


 刀を持つ男を確認すると


「侍なら雑作も無い」


 後ろに飛びながら手裏剣を二つ投げた。

 お結は侍を馬鹿にしている。跳べもしなければ、手裏剣も投げられぬ、侍は忍びには勝てないと


 侍の名は立木辰之助と言った。

 辰之助は手裏剣を弾きながら前に進んだ。

 お結は左へと飛んで、辰之助の後ろに回り込み、小刀を抜いた。


「小賢しい」


 言いながら少し飛んで、辰之助に斬り掛かった。

 刀で受け、互いに押し合いになったが、力の劣るお結が押し飛ばされる。


 飛ばした後に辰之助は切っ先をお結に向けて、中段に構える。

 お結も右手を肩の前に構えて刀身を辰之助に向ける。


(やはり、男だから力が強い)

 そう思いながら、じりじりと右回りに動いて隙を伺う


(隙が見えない?)

 中段に構える辰之助の身体からは、見えない気のような物が出ていて迂闊に踏み込めない


「くそっ、」


 初めて本物の侍の気合いと云うものを見せられた。

(跳べもしなければ、手裏剣も使えぬ侍ごときが!!

 はっ、だから、侍を侮ってはならぬとばば様が言っていたのか)

 刹那、辰之助が素早く斬り込んで来た。


「せぃっ、」


 お結は咄嗟に後ろに下がって避けたが、刀身と身体の距離は僅かだった。

(やばい)

 そう思った時には背中から今までかいた事も無いような大量の汗が吹き出した。


(いくら、月夜の明るい夜だとは云え、よく、あたしの動きを読むように迷いも無く打ち込んで来る。これはやばいぞ)

 間合いを取ろうとお結が少し後ろに下がった時だった。


「とぉっ、」


 隙を見つけた辰之助が袈裟斬りに斬り込んだ。

 お結は咄嗟に又、下がったが胸の辺りを斬られた。


「しまった」


 だが、忍び服を斬られただけで怪我は無かった。


「何だ」


 忍び服の下から現れた。さらしが月夜の明かりでも白く映えた。


「女か?」


(成る程。刀で押し合った時の力の弱さと、ほのかに流れた甘い匂い、合点がいった)

 躊躇している辰之助にお結はすかさず小刀で斬りつけた。だが、ひょいと躱して離れざまに辰之助は刀を横に振った。


 小刀を弾き飛ばした。

 と、同時にお結のさらしがはらりと落ちていき、胸が露になった。


「はっ、」


 咄嗟にお結は胸を隠したが、辰之助の脳裏には月明かりに白く映えたお結の乳房が焼き付いた。

 完全に辰之助の勝ちで、もう一度、刀を振れば勝負が着いた。


 たとえ女だろうと命の取り合いなのだ。躊躇いは命取りになる。今まで立ち合いの中で、それは十分に承知している。


「ぐぬぅ、」


 しかし、生身の女を身体を見せられて、しかも胸を見られるのも戸惑うような、恐らく、まだ若いくノ一を斬るのは気が引けた。

 小刀も弾かれて丸腰だ。


「くそっ、」


 辰之助は構えた刀を振り下ろし


「くノ一。巻物を置いて、消え失せろ」


「えっ!」


 お結が驚いた。


「命は助けてやるから、巻物を置いて消えろと言っている」


「助かるのか?」


 思いを馳せる間も無く、お結は反射的に見取り図の巻物を置いて、後退りして振り向き、塀に飛んで、塀の向こうに素早く消えていった。



 その二


 不忍の池の辺りにある切り株の上にどっかと座り、立木辰之助は酒を喰らっている。


「あーあ、久保田藩め。忍びを逃したからと礼金を三両にしやがった。五両の約束だったのに、これじゃあ、借金が返せんぞ」


 そう言いながら、酒瓢箪を呷ると


「一両足りねぇな、酒、飲んでる場合じゃねぇぞ」


 言いながら酒でも飲まなきゃ、やってられないとの思いが湧き出ている。

 じっと、池の水面みなもを見つめると


「若い女の乳を見たから、罰が当たったのかな」


 いくら、侍とはいえ、若い女の生身を見せられて、躊躇無く斬れる者は少ないだろう。


「まあ、しょうがねぇか。あれを斬ったら、後味が悪すぎる」


 大きな声で一人言を呟いているので、近くを通る人は離れて、いぶかしそうに遠巻きで辰之助を見ている。


 そんな中、手拭いを被った行商人の女が辰之助に近付いた。

 辰之助の前に出ると、膝まづいて小さな巾着袋を差し出した。


「お侍様。これを落としましたよ」


「何だ」


 いきなり差し出されて、辰之助は巾着と女を見た。

 女は手拭いを深く被っているので顔がよく見えない。

 まじまじと見つめなら辰之助は


「この巾着に見覚えは無いが」


 そう言うと女は小声で


「実は私は昨日の夜。あたなに命を助けて頂いたくノ一です」


 辰之助は驚き


「何と!」


「失礼ながら、大通りであなた様を見かけて付けてまいりました」


「ほう、暗闇で見た儂の顔を覚えていたのか」


 流石はくノ一と感心をした。

 くノ一は話しを続ける。


「これは、命を救って貰った礼金です。これで今回の事は忘れて頂けませんでしょうか」


 それを聞いて、辰之助は腕を組んで答えた。


「成る程な、そういう事か」


 後を付けて様子を伺っていたなら、命を狙う事も出来た筈


「何とも律儀な」


 それに今の辰之助にとって、幾らだとしても礼金は助かる。


「分かった」


 辰之助は返事をした。


「良かった。これからは強いお侍様には気を付けます」


 そう言ってくノ一、お結は去って行った。

 その後ろ姿を見送って、辰之助は巾着の中を覗いた。

 一分金が六枚入っている。

 辰之助は驚き、そして喜んだ。


「借金が返せて、余るぞ」


 そして、お結の去った方を見て手を合わせた。


「観音様だ」


 小さくなっていくお結をいつまでも見送った。

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