第11話 ハタチのお酒

 気分転換になるかわからなかったけどドワーフの職人達が作ってくれた碁盤と碁石で棋譜ならべをしてみた。石の打ち音は心地いいけど、気分転換になるはずはなかった。さっきのことを考えてしまうから。かといって他にやることもない。

 部屋の中は明るいけど気分は沈んだままだ。こんな時は外に出て空を眺めるのが一番いいんだ……。いつまでも眺めていたいけどもうかなり冷え込んできた。結局また部屋の中に引っ込んでしまう。

 さっきまでの冷めた気分がさらに冷えてしまった。もう打つ手がないって感じだ。

 あれから数時間が立っただろうか。二十歳なってあんなに感情をぶちまけてるなんて、冷静さが必要な棋士には有り得ないことだ。

 その時トントンとノックする音が聞こえてきた。扉の向こうにいるのが誰かは想像できた。


「…赤星様…? いらっしゃいますか…? 少しよろしいでしょうか…?」


「別にいいよ…」


 ベッドに横になっていた俺はそう言ったけど聞こえたかどうか心配だった。

 聞こえていたようでカチャリと静かな音を立てて開く。扉からはやっぱりティーナちゃんが立っていた。一目見て俺はすぐ視線をそらしまってそのままベッドの上で寝ころび背を向ける姿勢になった。

 ティーナちゃんはまだ部屋の中に入ってこない、入り口で立ち止まったままなのがわかる。そりゃそうだ。さっきの事もあったし、今の俺からは近寄るなオーラが出てるんだろう。情けない話だ。太陽のもとには人が集まる。そう思って両親がつけてくれた名前なのに、俺にはもったいない名前だ。

 

「何か用…?」


 いつまでも入ってこないティーナちゃんがすこしかわいそうなったから俺から言葉をかけた。そうするとようやく足を部屋に踏み入れた。しかし踏み入れて扉を閉めただけでこっちに来ようとはしなかった。


「俺さ、明日の夜にでも元の世界に帰るよ…、昼間は一日町を歩きたい。もうこの世界に来ることはないだろうから…。一旦引き受けといて悪いけど、そういう気分じゃなくなっちゃったんだ。今勝負したって多分勝てない。ゴブリンにすら負けそうだ」


 別に受け狙いで言ったわけじゃなく本当のことだ。ゴブリンは確かに棋力は低い。だが楽しんで打つことが出来る奴だった。楽しんで打つことが出来る奴が棋力の逆転を引き起こす。今の俺に楽しんで打つことが出来るだろうか。


「赤星様……、私が勝手にお呼びして勝手にお願いして、さらには不愉快な思いをさせてしまって…、なんとお詫びしてよいか……、ただごめんなさいと言うことしか出来ないのですが…」


 また謝ってる、もうそんなことはどうでもいいのに…、また俺のせいだ…、俺のせいで言葉を詰まらせた、そんなティーナちゃんの顔は見たくない。

 俺は黙ったままだった。


「わかりました…。私に引き留める資格はありません…、では明日の夜にお迎えに上がります…」


 この世界に来た転生呪文というのは一度使ったら24時間経過しないとまた使うことが出来ないらしい。とっくにその時間は経っている。ここに来た時のことを思い出した。なんてことのない普通の路上でティーナちゃんと会って、よくわからないままこの世界に来た時の事。一昨日のことだけど結構前の事のような気がする。


「赤星様…、さきほど勇者様から赤星様にお話ししたいことがあると仰っておりましたが、お会いにはなってはくれないだろうと、私が代わりに勇者様からの手紙を預かりました」


 勇者という言葉に俺はわかりやすく反応したのをティーナちゃんは多分気づいた。そしてその手紙をテーブルの上にそっと置き一言、お休みなさいませと言って部屋を後にした。

  勇者からの手紙なんて読みたくもない。ティーナちゃんに読み上げてもらえばよかった。あの勇者からの手紙とあって一枚の紙であっても存在感がある。


「まったく、最後まで俺を脇役にするつもりか」


 読まずにおこうと思ったが呼んでくれという主張が手紙から発せられていて、どうにも落ち着かないから仕方なく読むことにした。


 太陽君、さっきはごめんな。わし空気読めへんとこあるから何でもそのまま口走ってしまうんや。親父にも昔からよう言われとったけどどうもこの性格は治らん。

 なんて言うても言い訳にしかならへんな。でもわかってくれ、太陽君を怒らせたかったわけやない。ほんまにあやまる、ごめんな。

 マルリタの事やけどな、ワシが何とかするわ。太陽君に頼む資格はあらへんし。

 多分もう帰ってしまうんやろ? また会えたら酒でも飲もうや。


 手紙を読んでも不思議と何も感じなかった。勇者に対して別に怒ってないし、もともと許すも何もない。俺のちっぽけなプライドが招いたことなんだから。

 最後の酒でも飲もうやという言葉は正直嬉しかった。二十歳になったばっかりでお酒が飲めるようになったからだ。  


 次の日の朝は雲一つなくてよく晴れていた外に出ると夜とは違ってそれほど寒くなく日差しが暖かかった。昨日は不思議とよく眠れたのか体の調子はいいみたいだ。

 そういえば今日の夜には向こうの世界に帰るんだっけ、自分で言っといてちょっと忘れかけていた。正直名残惜しい気もする。

 明日はいよいよ対局の日なんだよな。でももう関係ない、こっちの世界のことはこっちの人達でやればいいんだ。

 そうは言っても夜までまだ時間はある。最後だし、一人で町に行ってみよう。この前は壮行会で全然見て回れなかったし。


「赤星様? 朝食をお持ちしましたけど?」


 今日はティーナちゃんじゃない。気を遣ってくれたんだな。ティーナちゃんと仲のいい侍女の子が来たようだけど、その方が俺も気が楽だ。


「ありがとう、入ってきていいよ」


 気兼ねなく話せる相手がこんなにありがたいなんて。入ってきていいよ、なんてここは俺の城じゃないのに、いつの間にか高い身分になった気でいたのかもしれない。

 その時間もあと少しで明日からはまた普通の生活だ。


「失礼します」


 カチャカチャと手際よく朝食を並べてくれた。トーストとバター、トマトサラダにシリアル、そして目玉焼き。彩もよくて朝から気分良くなれる。

 

「後で飲み物をお持ちしますね。コーヒーと紅茶、どちらにしますか?」

「あ、じゃあコーヒーで」

「かしこまりました」


 普通の喫茶店のような会話をしてるのがおかしくて吹き出しそうになってしまった。メイドカフェは行ったことはないけどこんな感じなのかな?

 

「ティーナちゃんは今どうしてるの?」


 この質問にこの子は少し動揺したようだった。昨日のことを多分知ってるんだろう。俺が今日帰ることも。


「ティーナ様は今日は王妃様に同行して出ておりますが、夕方ごろには戻るかと」


「そっか」


 ほっとしたような、残念なような複雑な気分だ。話を聞くとティーナちゃんは昨日はひどく落ち込んでいたらしい。事情を聞こうとしたが、何でもないと特に何も言わなかったらしい。ということは昨日のことも知らないってことか。

 あえて言うこともないと思って俺は特に何も言わなかった。朝食を食べ終えたころにコーヒーを持ってきてくれた。ここでの朝食もこれが最後だと思うとやっぱり寂しいものがある。


「俺さ、今日一日町をぶらぶらしようと思うんだ」


「町へですか? それでしたらわたしも一緒に、ティーナから赤星様のお世話をするように言われてますので」


「いや…、俺一人でいいよ、君だっていろいろやることがあるだろ?」


 せっかくそう言ってくれたけど、今は一人で行動したい気分だ。この子は反対することもなく、わかりましたとコーヒーだけを残して食器を片して部屋を出た。

 その後、数分後にあの子が来てお金を俺に渡そうとした。町へ行くのなら必要だろうという事らしい。ただこれもティーナちゃんから言われていたことらしい。まるで俺が取る行動をわかってたみたいだ。


「お金はいいよ、ただちょっと町を歩くだけだから」


「しかし…、せっかく町に行くのでしたら…」


 あんまり受け取りを拒否し続けたら逆にこの子が困り果ててしまいそうだからありがたく受け取ることにした。そうするとこの子は喜んでくれた。

 布袋には何種類かのコインが入っていて結構重かった。

 一人で城を出てみると本当にロープレの主人公になった気分だ。スーツ姿が全くあっていなくて笑いそうになる。

 囲郭都市といっても町までは歩くとそこそこ時間がかかりそうだ。この前はスティナちゃんが運転する馬車で行ったからあっという間についたけど今は歩きだ。

 目の前には広大な自然が広がっている。レベル1の主人公はわずかな装備で何が起こるかわからないフィールドに飛び込んでいったんだっけ。

 静かで広大な大地を一人で歩くというのは結構不安になる。あの子についてきてもらえばよかったかなと少し思った。

 プニプニしたモンスターとか出てくるのかと思ったけどそんなことはなく、しばらく歩くと町の入り口に着いた。勇者の言う通りモンスターはほとんどいないようだ。

 町に入るといい匂いがしてきた。ちょうどお昼の時間みたいだ。いいタイミングで腹がへってきたようで音が鳴った。

 お金を受け取ったのはよかったのかもしれない。空腹の状態でこの通りを抜けるのは耐えられん。

 よくわからないから直感で決めた店に入ってみることにした。


「あれ? 兄ちゃんあれじゃねえか? 姫さんを連れ戻しに行くっていう」


 隣に座っていた客が俺の顔を覗き込むように話しかけてきた。ああやっぱりそうだと言うと俺の前の席にすわった。五十代くらいに見えるこの客は俺の苦手な相手かもしれない。


「あんた碁が強いんだろ? そうは見えねえけどな、ははは。あの碁ッドにケンカ売るなんてえな。てえしたもんだ」

 

 初対面でも全く気にせずに話しかけてくる。けど一人で食事するのもつまらない気がしたから煙たがるようなことはしなかった。


「はあ…、まあ、何というか…」


 なんて答えていいかよくわかない。ケンカを売るというのも違う気がする。話を聞くとこの人も碁を打つらしい。しかも碁ッドと直接打ったこともあるそうだ。


「あの、碁ッドはそんなに強いんですか?」


 思わず単刀直入な事を聞いてしまった。もうそんなことは気にする必要はないはずなのに。


「そりゃあ強かったさ、おれあ、こう見えても町ではつええ方なんだ。そのおれに碁ッドは9子置け、なんて言いやがってよお。一体どういうつもりだってんだ」


 9子、9子局か。相手だけに最初から石を置かせて対局する状態。相手との棋力の差があるときにはハンデとして初めから石を置かせて打つ状態。

 囲碁将棋チェスは一手ずつ交代で打つ。しかし置き石での対局は2子なら二手3子なら三手と連打した状態でスタートするのと同じ状態だ。

 最高ハンデの9子だったら九手連打したのも同然。碁打ちだったらプライドが邪魔して普通はやりたくない。これだけのハンデを与えられながら負けてしまったら碁はやめようとか思っても仕方ない。


「それでどうなったんですか?」


 何となく想像ついたけど聞いてみることにした。その時注文していた料理が運ばれて来てテーブルに並べられた。


「ああ…、まあ、あんま言いたかねえけどな。負けちまったよ、おれは途中で投げたよ…」


 その時を思い出したのか、目をつむってその局面を振り返ってるように見えた。

 わかる。そういう気持ち。圧倒的な優位の状態にもかかわらず負けてしまった時の気持ちは何とも言えない悔しさがある。


「なあ、あんた! おれの仇を討ってくれ!」


「はい?」


 仇を討ってくれと言ったかと思えば、今度は肉料理にナイフで切らずにフォークで豪快に食べ始めた。


「か、仇討ちですか? 俺が?」


 まさか初対面の人から仇討ちを頼まれるとは思はなかった。というか大げさすぎる。あっという間に肉を平らげてしまったこの人は今度はエールと呼ばれる飲み物を一気飲みした。


「正直認めたかあねえが、あの碁ッドには勝てそうもねえ、だがそういう奴も負けるんだと思いてえ。あんたならそれが出来そうだ! 碁ッドを負かしてやってくれ! タダとは言わねえ、ここの勘定はおれが持ってやる、それでどうだ⁉」


「はあ…、しかし俺は今日の夜には…」


「そうだそうだ! 君ならできる」

「僕は五十手くらいで投了に追い込まれたんです、碁ッドをやっつけてください!」

「ここで逃げたら男が廃るぜ?」

「あたしからもお願いします。次からランチをサービスしますよ?」

「嫁さん探してやるぞ?」


 いつの間にか周りの客も店員も集まって来ていた。どうやらここにいる人はみんな碁っドに負けているらしい。

 碁がこんなに普及してるのは嬉しい限りだ。皮肉にも碁ッドのおかげらしいけど。 

 碁ッドは一体どんな奴なんだろう。いやいや、俺は今日の夜には帰るんだから、なんて言ったらこの人たちは何て言うだろうか、壮行会までやってもらってるかな。無事に店から出れないかもしれない。


「わかりました、がんばります」


 適当な返事をしてこの場を切り抜けるしかない。ひとまず出てきた料理を食べて最初の目的を果たした。しかしその後がよくなかった。ここの勘定は自分で払うつもりだったけど最初に話しかけてくれたおじさんが無理やり自分の分と合わせて払ってしまった。

 

「さあどうするか…」


 店で結構長居していた。他の客を交えて碁の話をしていてあっという間に時間が経っていた。飯をおごってもらってこのまま向こうの世界帰ってしまったら食い逃げになってしまうなあ…。そんなみっともないことできないし…、かといって…。

 もう日が沈みかけていてマジックアワーと呼ばれる空になっていた。

 町には明かりがともり始めて幻想的な雰囲気になった。

 町を見て回ろうとしてたのにほとんど見れなかった。


「もうそろそろ城に戻らないとな…」


 夜までには帰ると言ってある。そして向こうの世界に帰るのも夜だ。しかし本当に帰ってしまっていいのか? 自問自答する中で迷いが生じている。さっきのおじさんに借りが出来てしまったというのもあるが、やはりティーナちゃんと勇者のことが引っかかっている。

 歩いているとコップの絵がデザインされた看板が目に飛び込んできた。どうやら酒場のようだ。

 俺はもう二十歳になった。異世界に年齢制限があるか知らないが法律的に酒は飲める。この世界での最後の思い出に初めての酒をここで飲むことにした。

 広めな店内ではすでにいくつかのグループで飲んでる姿が見られた。


「そこじゃねえよ、こっちだよこっち! さっきも言ったぜ?」


 奥の方の席でなにやらもめてるような声が聞こえてきた。声を発しているのは立って飲んでいる人物らしい。誰かに何かを教えてるようように見える。


「これがアタリっつうんだよ、次にここに打たれると取られちまうだろ? だから取られないようにここにツグんだ。 だがまだ二眼あるわけじゃねえからもっと広げないと全部取られて地合いは決定的になっちまうんだ! 二眼? そりゃ死活の基本だろ?」


 どうやら囲碁の話をしてるらしい、言葉からして教わってる人は初心者らしい。それにしても教えてる人は酔ってるとはいえ、二眼をまだ知らない初心者にあまりにも厳しい言い方だ。


「勇者だか何だか知らねえが、剣を持ってなきゃただの木偶の坊か?」


「え? ゆ、勇者」


 酔っぱらいの前にはあの勇者が座っていた。教わっていたのは勇者なのか⁉ 


「す、すんません…、もう一度最初からお願いでけへんやろか…?」


「はん? もう何回目だ? こっちだってもううんざりだね。授業料であんたの剣をもらっといてなんだがここまでが料金内だ。教えてほしかったらまた明日何か持ってきな」


「それじゃ困るんや、今日中に覚えんと…、碁ッドと勝負するために、今日中に覚えんとあかんのや…、どうかこの通り、頼む!」


 テーブルにすごい勢いで両手と額をつけて頼み込んでいた。

 

「はーはっは! 碁ッドと勝負するだあ⁉ 二眼もマスターできない奴が何言ってんだ⁉」


 勇者は碁ッドと勝負するために碁を教わってたのか⁉ 昨日の手紙に勇者は自分で何とかすると書いてあった。何とかするって自分で碁の勝負をするつもりだってのか⁉


「今日はもうおしまいだ、んじゃな。それにしても立派な剣じゃねえか。さすが勇者の持ち物だな、武器屋に売れば結構な金になりそうだ。そんで売った金でまた酒と女だな、今日はいい夜になりそうだぜ」


 酔っ払い客は剣を肩に担いで店を出ていこうとした。


「ちょっと待ってください」


「あ? なんだてめえは? お? お前よく見たらこの前祭り上げられてたわけのわかんねえやつじゃねえか?」


 わけのわかんねえ奴と言われてもそこに怒りは感じなかった。いくら酔ってるとはいえこんな奴が囲碁をやってることが腹立たしい。


「その剣を返してもらえませんか?」


 剣を指さして酔っ払いを睨むようにして訴えかけた。


「あ? 何言ってんだ? これは授業料でもらったもんだ。返す理由はねえだろうが」


「あんなのを囲碁の授業だなんて俺は認めない! 初心者の人にあんな言い方するなんて、あんたは人と囲碁を侮辱してる! 授業料を受け取る資格なんてない! すぐにその剣を返してください!」


「おもしれえ…、なかなか言うじゃねえか、そこまで言われたらこっちも黙ってられねえ、オレと碁で勝負して勝ったらこの剣は返してやるよ。だがよ、もしオレが勝ったらどうすんだ?」


「これを全部差し上げます」


 テーブルの上に布袋をドンと開いて置いて中に入っているお金を見せてやった。城を出る時に渡されたお金は結構な金額なのをティーナちゃんの侍女仲間の子から聞いていた。


「ほ、ほほおおう……? これを全部くれるってのか? 悪くねえ話じゃねえか、いいだろう、この勝負受けてやるよ」


 よだれを拭くような動作をしたこの酔っぱらいはもうお金しか見てないような感じだった。すでに俺に勝ったつもりでいるんだ。


「9子局でいいですよ」


「あ? 9子局? なんだそりゃ?」


「先にあなたが九手連打していいと言ってるんです」


 通常の9子局とは違う変則9子局を酔っぱらいに言ってやった。文字通り九手を好きなところに連打できるというやつだ。


「おもしれえじゃねえかこの野郎、今の言葉で酔いが醒めちまったぜ、最初お前を見た時気に入らなかったんだ。こんなちんちくりんが英雄扱いされてるなんてな! 本気でやってやるからな! 吠え面かくんじゃねえぞ⁉」

 

 席に着くとギャラリーもちらほら集まってきていたが全然気にならなかった。酔っぱらいは席に着くなりこっちを睨んできたがそれも気にならなかった。

 酔っぱらいは四隅に二手ずつ打って九手目に天元の位置、ドミネイトポジションと呼んでいる点に打ってきた。

 なるほど、これだけ見れば立派な形だが俺が打った手に対しての応手はなってなかった。隅の構えも破られ、天元の石も孤立させられてしまった。

 戦国時代でも兵力差をひっくり返すことはよくある事実だ、それが目の前で起きた。


「ぐ、うく…、く…」


 目の前の状況を理解できないと言いたそうな顔をしていた。石を盤上で崩して逃げるように去っていった。剣は置いていったようだ。

  ギャラリーからの言葉もなくその場は静まり返っていたがそれを破ったのは勇者だった。

 

「た、太陽君来てたんか、なんかすまんなあ、わしの剣を取り返してもろうて…」


「別に勇者のためじゃないですよ、それに、一体何やってるんですか?」

 

 聞かなくてもわかっていたけど話のきっかけがあれば何でもよかった気がする。


「え? ああ、わしも碁をやってみたなってな、覚えてみようかなと思たんや。けどえらい難しいやん? 碁って。けど碁は中々おもろいもんやなあ。極めたくなったわ」


「いいですよ、そんな無理しなくても。本当はあなたが碁を覚えて碁ッドと勝負するつもりだったんでしょう」


 なぜそんなこと知ってるんだと狐につままれたような顔をしていたので事の成り行きを見ていたと言うとひどく動揺していた。


「いやあ参った、来てたんならはよ言うてえな、えらい情けないとこ見られてしもたやんけ、まあ見とったんならしゃあないわな、まあそういうこっちゃ。マルリタのことはワシがなんとかするつもりや。太陽君は今日帰るんやろ? すまんなあ、見送りには行けそうにあらへん、ワシはまだ碁の修行せなあかんねん、堪忍してや?」


 いつもの饒舌な勇者に戻っている。それでこそ勇者だと内心ほっとした。


「無理しないでください、メテオスさんじゃゴブリンにだって負ける。マルリタさんの事は俺に任せて、勇者は自分の仕事をすればいい。

 勘違いしないでください、俺は飯をおごってくれた人の仇討ちのために碁ッドを倒しに行くんですから」


「ほんまか? そらほんま助かるで! ほな頼むわ! いやあ、碁っちゅうもんを甘く見とったわ、なんぼ教えられてもさっぱりわからへん。ワシはやっぱり剣持って暴れとるほうが性に合うみたいやな。しっかしさっきの勝負すごかったなあ、あっという間に決着ついてしもたやん? まるで魔法やで、あっはっは」


 つられて俺も笑ってしまった。この人はやっぱり苦手だ。自分のペースに人巻き込む才能。もしこの人に碁の才能があったならとんでもなく強くなるに違いない。自分の思い通りの局面に引きずり込んでいくのが碁には必要となるから。

 笑いながらそんなことを思った。

 この後勇者に碁を教えてみたけどやっぱり勇者には無理だという結論に至った。勇者は『あかん、ワシには全然向いとらん』と言って完全に碁を嫌いになったようだ。

 今度は勇者が『酒でも飲もうや、ワシのおごりや!』と言って強引に酒に付き合わされた。最初の飲み相手が勇者なんて少し残念な気もする。


「だめだ…、ふらふらしてきた…」


 俺はもしかしたら酒に弱いのかもしれない。一杯飲んだだけでこの有様だ…。

 勇者に『なんや、情けないのう』と言われた時は碁においての優位性の気分はどこかに行ってしまった。勇者はそのまま飲み続けてるから俺は逃げてきた。

 もう少しだ…、もう少しで城に着くぞ…。おそらく行の倍くらいの時間がかかったに違いない。もしモンスターがうようよしてたらセーブポイントにたどり着けずにゲームオーバーだっただろう。

 幸いそんなこともなく無事に城門前にたどり着いた。

 ふらふらの足取りでよく辿り着けたもんだ…。

 あれ…? 門の前に誰か立ってる…?


「赤星様…? 赤星様ですか?」


「この声はティーナちゃんだ…、この声といい香りは間違いない」


 何でここに…? ああそうか…、夜に帰るって言ってたから、でもまだ部屋にいなくて外で待っててくれたのかな…?

 急に安心してきた…、安心したら急に力が抜けてきた…。

 その場で力尽きて倒れそうになったところをティーナちゃんが駆け寄ってきてくれて支えてくれた。


「赤星様、しっかりしてください…、もしかして酔ってらっしゃるのですか…?」


「へへへ、ちょっとね、いろいろあってさ…」


 ティーナちゃんの温もりが嬉しすぎる、このまま死んでもいいとか思ってしまった。俺の体を支えきれなくなったのか、俺を支えたまま座り込んでしまった。


「ティーナちゃん、俺さ、まだ向こうの世界に帰らないよ…、碁ッドと勝負することにしたんだ…」


「え? ほ、本当ですか…? でもどうして…? いいえ…、それよりも赤星様がどこにもいらっしゃらないから心配したんですよ?」


「ははは、ごめんね…」


 心配と困惑が入り混じった顔をしていた。帰ると言ったかと思えば急に帰らないと言ったり、酔って帰ってきたりと当然だよな。ティーナちゃんには気を遣わせてばっかりだ。


「あのさ…、俺…」


 いろいろと言いたいこともあったけど、もう体力の限界のようでそのまま眠りに落ちてしまった。

                  続

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