第5話 与楽者デライト

 不躾なのは分かっているが、一冊の文庫本くらいの厚さがあるカノンの日記をパラパラと読んでいくリヴィア。その日記はカノンがここに来た十七歳の頃から三十四歳の時まで綴られている。まちまちと書きたくなった時に書くスタイルだったので、年数の割に使われたページ数は少なく、後ろから二割程度のページには何も書かれていなかった。

 パラパラと読んでいくうちにカノンの人生が見えてきた。彼女は厳しかった母親と仕事で家を開けてばかりの父親からの愛情の無さに苦しみ反発し〇‪✕‬県にやってきて、そして愛に飢えるまま色々な男性と関係を持ったらしい。

 そして男から捨てられ、またさらに苦しみ、またさらに愛を求めて関係を持つ。

 その日々は十年間、二十六歳まで続いた。

 終わったきっかけは男児を身ごもっているのが分かったことだった。それが全体の前半部分で、そこからは二十七歳の時に産まれた男児との生活がメインの内容になっていく。

 そこからのページを読んでいくうちにだんだんとリヴィアの肩が震えていった。

 カノンの姿を眺めていたヘンナノだが、リヴィアが日記を読んでいることに気付くと止めに入った。


「あ、リヴィア。それ読んじゃいけないんだよ。おかーさんが言ってたんだ。だから読まないでよ」

「いや……、読むべきだよ」とリヴィアはヘンナノに向き直す。

「……泣きそうになってるの? どーして?」

「いいから、おまえは読まなきゃいけない! デライト!」

「で、でら……?」


 どこか聞き覚えのある呼ばれ方に戸惑うヘンナノ。


「おまえの本当の名前だよ」


 とリヴィアはヘンナノに日記を手渡す。ヘンナノは約束を破るのが悪い気がして躊躇ったが、リヴィアの固い意思に折れて読むことにした。

 日記の最初のページから読み進めていく。


『今日からここに住む

 不安だけど、あの家よりはずっといい

 ジョスリンも、アデマも、どうせ私の心配なんかしてない』

『お金が必要

 私には身体しかない

 これじゃただの娼婦だ

 ジョスリンは怒るか、笑うだろうな』

『お金の関係でしかないのに

 身体を重ねてると愛を感じる

 もっと欲しい』


 ──────


『また男に捨てられた

 毎回毎回こんなのばっかり

 嫌になる』

『愛が欲しいだけ

 なんで誰も分かってくれないの

 誰でもいいからちょうだいよ』

『新しい男と付き合った

 嫌な予感はしてる

 どうせ私のことなんて大事に思ってくれてない

 でも、掛けてくる言葉は優しいから

 離れられない』

『彼はまたお金を欲しがった

 あげると彼が喜んで

 それが私の喜びだった

 これが愛なのかな

 分からないや』


 ──────


『死にたい

 この九年間私は何をしてたんだろう

 何もしてない

 愛されたかっただけなのに』

『何かを呪いたくっても候補が私しか居ない』

『なんでもいいから楽になりたい』

『腹の調子が悪いから検査してみたら子供がいるらしい

 私のところに来るなんて、不運なやつ』


 ここで日記の前半部分は読み終えた。ヘンナノは黙って次のページを開く。


『中絶しようかとも考えた

 でも産むことにした

 何かが変わるかもしれないから』

『男の子らしい

 こんな身体じゃ生活がままならない

 だけど、もうすぐこの子に会えるって思うと我慢できた』

『産まれた瞬間

 我が子を抱き寄せた瞬間

 世界が輝いて見えた

 自分の血を分けた子供が目の前にいる

 かわいすぎる!

 ほっぺも指もぷにぷにしてて愛らしい

 絶対にこの子は守るって誓った』

『この子が産まれてから幸せに包まれた

 大変なことも多いけど

 見ているだけでかわいくて

 これが本当の愛って感情なんだろうなって気付かされる

 こんな感覚は産まれて初めてだよ

 私にたくさんの幸せと喜びを与えてくれる、君の名前は与楽者デライト

 デライトにしよう』


「おかーさん……」


 彼の瞳に次第に涙が浮かんできた。

 その後の文章は基本的にカノンがどれほどデライトを愛していたか綴るものだった。


『デライトはちょっと不器用

 だけどとっても素直

 今日、デライトがコーヒーを入れたコップを零した

 怒られないか怖がってたけど、ちゃんと目を見て謝った

 もう全部許しちゃう!』

『仕事に行く時、デライトはいつも私を引き留めようとする

 心が痛いからやめてほしい

 私だってずっとデライトと一緒がいいよ』

『母親って難しい

 仕事に行かないでって言われて

 つい厳しく突っぱねちゃった

 デライトは泣きそうになってた

 ジョスリンも悩んでたのかな』

『デライトが絵本に興味を持った

 字が読めないから絵を見て目をキラキラさせてる

 かわいいかわいいそれを眺めてたら一時間経ってた

 字を教えないといけない』


 ──────


『病気になった

 医者が言うには入院した方がいいらしいが

 あいにくそんなお金はない

 空気感染じゃないからデライトに伝染うつる心配はない

 それは良かった』

『嫌だ

 死にたくない

 デライトはまだ七歳なんだよ

 神様、お願いします

 私を生き返らせてください』

『苦しんでいると

 デライトが私に心配そうに声をかける

 それだけで乗り切れる』

『デライト、デライト、デライト

 デライト、デライト

 デライト

 デライト、デライト』

『ごめんねデライト

 あなたをのこしていくことになりそう

 ダメなおかあさんでごめん』

『かみさま

 せめてデライトだけは

 まもってあげてください』


 段々とおぼつかなくなる文字を読んでいくうちに彼の頬に涙が流れていった。そして彼はカノンが綴った最後の文章を読む。


『わたしはあしたしぬ

 あいをありがとう

 デライト』


 そこから先は白紙で、途切れたように何も書かれていない。母親の愛情を知ったデライトは床に力無く座り込み、母親の顔の近くでわんわんと泣き始めた。


「あぁぁ……っ! ぐすっ、おかーさん……! わあぁぁっ!」


 リヴィアはデライトの後ろに行くと背中に機械の手を当てて、包み込むように背中を優しく撫でた。


 ──────


 泣き終えたデライトはいつの間にか眠っていた。


「泣き疲れて寝たのかよ。子供だな……」


 リヴィアはデライトを自身の背中におぶると家を出た。瓦礫を踏みしめて歩いていると、デライトの吐息がリヴィアの耳に当たる。

 記憶を頼りにミルミルの店に帰ってくるとドアを開けた。リヴィアがデライトをおぶる様子に「あらら、どうしたのかしら?」と聞くミルミル。


「こいつが寝やがったから家まで送る。こいつの家を教えてくれ」

「あらぁー……。変な気を起こしちゃダメよ? まだ段階的には早いから」

「違うから! 何と勘違いしてんだよ!」


 ──────


 ミルミルの案内でデライトの住処にやってきたリヴィア。家の前につくと「じゃあごゆっくり」とミルミルがニマニマしていたがリヴィアはあえて無視をする。

 デライトの住処は一見すると周りと同じ形状の平屋だったと感じるリヴィアは、震災当時の一般的な自動ドアをくぐる。


『オカエリナサイマセ』


 一拍遅れてAIナビゲーションの機械音声が鳴り、壁に張られた姿見より大きいドデカいモニターに文字が映る。家の中はと言うと生活のための机やベッドやソファなどがあり、どれも拾ってきたものなのでぼろぼろだった。

 しかし、リヴィアが一番目を引いたのはドデカいモニターだった。一旦デライトをベッドに寝かせると彼女は目を凝らして、モニターの中心を裂くように上から下まで縦向きに入った僅かな隙間を発見し、その正体に気付く。


「……ドアじゃないか」


 リヴィアはこれが左右にスライドするドアであるという結論に至った。なぜドアが液晶になっているのかは分からなかったが、そもそもAIの発した言葉を出すだけならこんなにデカいモニターなんて必要なわけが無い。よくモニターの周りを見ると壁の色と同化したボタンが脇にあることにも気づいた。


「というか、デライトはおかしいって思わなかったのかよ……」


 おそらく震災当時までは隙間も無くピッタリくっついていたのだろう。だが時間の経過でほんの僅かな隙間が空いてしまって、それによって気付く事ができた。

 さらに言えば、外からの見てくれ的に奥に部屋があるとは考えられない。そして上の階も無いので、おそらくこれは下に続くドアの可能性が高い。

 そこまで考えたリヴィアは、ミスクイクと関係ないことかもしれないがとても気になった。


「おい、AI」

『ナンデショウカ』

「ボタンを操作すりゃこのドアを使えるようになるんだろ? 大方エレベーターだと思うが、どう操作すんだ?」

『答エル権限ヲ所持シテイマセン』

「ほぉ? まあいい。一応私は技術者の端くれだ。七十五年前のバージョンのAIナビなんてハッキングできる」

『ソレハ推奨シマセン』

「言うと思った。だけど私は……自己紹介がまだだったな。私はリヴィア。ひいおばあちゃんの手がかりを探しに来たんだ。この中にあるかもしれないんだ。悪いけど吐き出してもらうよ」

『君ガヘンナノノ言ッテイタ、ミスクイクノ手ガカリヲ探ス人ダナ?』


 リヴィアは驚き目を丸くした。今発された機械音声は明らかにAIの文章じゃない。敬語を忘れているし、人の意思のようなものを感じたからだ。さらに今の文章はモニターに写っていなかった。

 何も言えないリヴィアに向かって機械音声が響く。


『彼女ノ記憶ヲ思イ出サセルノハ、彼女ノタメニナラナイ』

「何か知ってんだな? ……ひいおばあちゃんのためにならないって言ったけど、ひいおばあちゃんは思い出せないせいですごく苦しんでる。大事なことを忘れてるって喚いて、いつも泣きそうだ」

『生キテイルンダナ。トスレバ百歳カ。永ク生キタモノダナ』

「答えろ! おまえは誰で、ひいおばあちゃんとなんの関係がある!?」


 少しの沈黙のあと、また機械音声が響いた。


『私ハアルビナス。君ガミスクイクノ記憶ヲ解放シタイノナラ、ココニ連レテ来ルガイイサ。タダ、二度ト忘レナクナッテシマウガネ』

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