28 連行

 午前の講義を終えたヴァン・ヘルシングは自分の研究室に戻る最中だった。

 研究室の扉を開けようとした時。

「ヴァン・ヘルシング教授」

 背後から呼び止められたので振り返ると、そこにいたのは学部長と一人の警察官だった。

 学部長はどこか浮かない顔をして、背後にいる警察官をチラチラと見ながらヴァン・ヘルシングに歩み寄ってきた。

「ヴァン・ヘルシング教授、少し君の部屋で話出来ないかね?」

 ヴァン・ヘルシングは瞬きをしつつ、どうぞ、と答えると研究室の扉を開け、学部長と警察官を招き入れた。

 きっと、また司法解剖の話だろう、とヴァン・ヘルシングは思っていたのだが――。


「私が“死体の不正所持”っ!?」

 ヴァン・ヘルシングは目をかっ開いて、向かいのソファーに座る学部長と警察官を見つめた。

 思い当たる節はあった。

 何を隠そう、伯爵は――“死体”である。

 眼の前にいる警察官は、まさかヴラドのことを言っているのか? と不安に冷や汗をかきながら、ヴァン・ヘルシングは反論を試みた。

「私のところに死体はありません。まあ、時折解剖学でご遺体を病院や刑務所から提供してもらいますが、解剖が終わり次第、ちゃんと返却しております。返してもらっていないご遺体がある、と通報があったのでしょうか?」

 ヴァン・ヘルシングのもっともな主張に警察官は眉間にシワを寄せ、口をへの字に曲げた。その隣で学部長が横目に警察官を見つめた。すると――。

「減らず口を言うな! この“死体性愛者”め!」

 警察官は勢いよく立ち上がり、今にも殴り掛かってきそうな素振りを見せた。ヴァン・ヘルシングと学部長は、耳を疑うような警察官の発言に唖然としながら仰け反った。

「わっ、私が“死体性愛者”ですとっ? デタラメを言うのはやめていただきたい!」

 ヴァン・ヘルシングも立ち上がり、警察官に言い放った。

「大体、どちらの方から、死体の不正所持などという通報があったというのですか? それを教えていただきたい!」

 警察官は少しの間押し黙ったかと思えば、腕を組み、そっぽを向いた。

「それは言えないね! 何せ、“容疑者”から腹いせがあっては困る!」

「“容疑者”だと!? まだ証拠すら提示されてないというのに! 第一、私がどこにご遺体を置いてるというんだ!」

 ヴァン・ヘルシングは納得がいかない様子で眼の前のテーブルをドンッ! と叩いた。

「ヴァン・ヘルシング教授、落ち着いて……」

 学部長がまあまあ、となだめてくるがヴァン・ヘルシングにはちっとも落ち着いていられる状況ではなかった。ヴァン・ヘルシングは不貞腐れたようにドサリとソファーに座り、考え込む。

……この警官、本当にヴラドのことを言ってるのか? そうなると私は……。だが、時折アイツを目にしている学部長ですら、怪しんでる様子はなかったぞ……? それにこの警官……。

 ヴァン・ヘルシングは警察官を上から下まで、横目に眺め回した。

 警察官特有の帽子の隙間からは金髪がはみ出ており、つばの奥には青い目が伺える。背格好は長身の細身で、着ている制服がぶかぶかに見えた。

「どこに死体を置いてるか、だって?」

 警察官はそう言うとニヤリと歯を見せ、ヴァン・ヘルシングの机に向かって一直線に歩き出した。机の脇に置いてある棺の元にしゃがみ込むと蓋に手を掛けた。

「ここだ!」

 勝ち誇ったように言うと勢いよく棺の蓋を開け放った。だが、棺は空っぽだったのだ。それもそのはずだ。最近日が伸びてきたので伯爵は今日もお留守番だった。

 警察官は自身の思惑が外れたようで、ワナワナと身体を震わせて顔を紅潮させていた。それをヴァン・ヘルシングと学部長が静かに見つめていた。

「何か言うことはあるかな……?」

 ヴァン・ヘルシングが静かに警察官に問うと、警察官はぐるりと振り向いてきた。その形相にヴァン・ヘルシングと学部長がビクリと震える。

 警察官は血眼でヴァン・ヘルシングにズカズカと歩み寄ると彼の両肩をガッチリと掴み、激しく揺さぶりながら怒鳴ってきたのだ。

「Wo ist 'mein Meister'!?」

……ドイツ語?

 警察官の言葉にヴァン・ヘルシングは一瞬違和感を感じた。

「離してくれっ!」

 ヴァン・ヘルシングは警察官の手から逃れようと、警察官の手を思わず引っ掻いてしまった。

「痛っ!」

 警察官は手を押さえると、大げさにうずくまった。ヴァン・ヘルシングは掴まれた肩を押さえつつ、警察官の様子に嫌な予感を覚えた。

「だ、大丈夫ですか……?」

 学部長が心配そうに警察官に手を差し伸べた。だが警察官は学部長を一瞥すると、その手を払い除けて立ち上がった。そしてヴァン・ヘルシングを指差し、制服から手錠を取り出してきたのだ。

「お前を公務執行妨害で逮捕するっ!!」

 警察官の驚きの発言にヴァン・ヘルシングと学部長は度肝を抜かれた。

「君が先に手を出してきたのだろう!?」

 ヴァン・ヘルシングも人差し指を警察官に向け、負けじと言い返した。だが、その手を掴まれ、そのまま手錠を掛けられてしまったのだ! ヴァン・ヘルシングは思わずヒュッと息をのみ、自身の手に掛けられた手錠と警察官を交互に見ながら叫んだ。

「こんなのこじつけだ!」

「ひと先ず、容疑が固まるまで拘留だ。警察署に連行する。行くぞ」

 警察官は鋭く、しかしどこか愉快そうに言うとヴァン・ヘルシングのもう片方の手に手錠を掛け、手錠に繋がっている鎖をグイッと、強引に引っ張っていった。ヴァン・ヘルシングの顔が青くなる。

「が、学部長っ……」

 ヴァン・ヘルシングは学部長に助けを求めるも、学部長はもうパニック状態で、額にダラダラと汗を垂らし、呆然と立ち尽くしているだけだった。

 研究室から引っ張り出されると、ヴァン・ヘルシングは廊下を通りすがる他の教員や学生たちの注目の的となってしまっていた。

「あれ、ヴァン・ヘルシング教授……?」

「何か“やった”の……?」

 教員や学生たちの小声にヴァン・ヘルシングは不本意にも顔を伏せてしまった。

……この状況をどう打開すれば……。

 不安と焦りで心臓が早鐘を打ち始める中、ヴァン・ヘルシングはチラリと警察官の背後を眺めた。

……この警官は変だ。時折ドイツ語が出てくるし、オランダ語の発音が下手すぎる。本当に地元の警官か?

 アムステルダム市立大学の建物を出ると、昼間だというのにどんよりとした灰色の空が広がっていた。冷たい風が吹いており、外套を羽織らせてもらえなかったヴァン・ヘルシングはぶるりと震えた。

 大学の門を出たところで警察官は立ち止まると、制服のポケットから布製の袋を取り出し、ヴァン・ヘルシングの頭を覆ったのだ。

……何っ! 見えないっ。

「な、何故布を掛ける……?」

 ヴァン・ヘルシングは恐る恐る警察官に聞くが当の警察官は何も答えず、再度ヴァン・ヘルシングの手錠を引っ張っていくのであった。

 視界を奪われたヴァン・ヘルシングは袋の隙間からわずかに見える足元を頼りに、自分がどこに連れて行かれているのかを考えていた。

 馬車に乗るためなのか、警察署がある方面とは違う方に進みだした。大通りに出たらしく、人々の行き交う足音や声がする。

 少しして馬の蹄の音が近づき、近くで止まった。それと同時に手錠の鎖を引っ張られ、ヴァン・ヘルシングは転びそうになった。

……警察の護送馬車じゃない……?

「乗れ」

 強く背中を押され、ヴァン・ヘルシングはつまづきそうになりながら馬車に乗り込んだ。その後ろから警察官も乗り込む。すると馭者の男性が窓から車内をのぞき込んできた。

「お客さん、どこまでで――」

「黙れ」

 警察官の鋭い声とともにカチャリと金属音がした。ヴァン・ヘルシングは信じたくはなかったが、その音は拳銃のハンマーを起こした音に違いなかった。

「俺の言う通りに進め。これは警察官命令だ」

「はっ、はい……」

 拳銃を突きつけられた馭者は怯えながら顔を引っ込め、馬車を発進させた。

 警察官が窓から顔を出し、馭者に指示を出している。ヴァン・ヘルシングは必死に耳をそばだてるが、頭に被せられた袋でほとんど聞こえなかった。

 馬車に揺られて数十分。

「そこで止まれ」

「はいっ」

 警察官の言葉に馭者は怯えながら返事をし、急いで馬車を止めた。馬たちが小さく唸る中、馭者は急いで馭者席から飛び降りると、馬車の扉を開けた。警察官が馭者を押しのけるように降りてきた。

「降りろ」

 警察官はヴァン・ヘルシングに繋がる鎖を強引に引っ張った。両手を引っ張られ、ヴァン・ヘルシングは足元を気にしながらゆっくりと馬車を降りた。もう完全に自分が今どこにいるのか、ヴァン・ヘルシングには検討がつかなくなっていた。

……本当に警察署、何だろうか……?

「あ、あの……」

 馭者が警察官にしどろもどろしながら控えめに声を掛けた。警察官が無言で馭者を睨んだ。馭者はビクリと震えながら話を続けた。

「運賃の方は――ひっ!」

 警察官が馭者に銃口を向けた。

「とっとと失せろ。誰にもこのことを言うなよ?」

 警察官が馭者に言い放つと、馭者は大慌てで馭者席に乗り込み、馬車を急発進させて行ってしまった。

……頼みの綱の馭者は行ってしまった。それにしても、こんなに乱暴な警察官には初めて会った。本当に警察官なのか? だが、もし警察官じゃなかったとしたら――。

 思考を張り巡らせていると、また手錠の鎖を強引に引っ張られ、ヴァン・ヘルシングは仕方なく警察官について行った。

 袋の隙間を見下ろせば、あまり見慣れない石畳の道を進んでいた。この道は果たして、本当にアムステルダム警察署へと続いているのだろうか? それどころか警察署とは全く違う方向の、どこかの住宅街の狭い通りのような感じがする。歩く度に自分の靴音が両側から反響して聞こえてくるのだ。それに昼間だというのに他の通行人の足音や声すらも聞こえない。ヴァン・ヘルシングは不安になりながらも心を落ち着かせ、また考えた。

……“Wo ist mein Meister”. “私の主人はどこだ”、か。さっきそんなことを叫んでたが、“主人”とは――。

「止まれ」

 前方から警察官に言われ、ヴァン・ヘルシングは渋々立ち止まった。すると頭に被せられていた袋が取り払われた。眼の前に広がる光景にヴァン・ヘルシングは瞬きをした。

「ここは……」

 ヴァン・ヘルシングの眼の前にそびえ立っていたのは警察署なんかではなく、一軒の廃屋だったのだ。本当に警察署だったならどんなに良かっただろうか。

……どうやら私は、誘拐されてしまったようだ……。 


 

 





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