第15話 翠の眼の怪盗令嬢

「アルルさん、伯爵たちはどうなってしまったのでしょうか?」


 確かに、アルルはドリュアスの心臓を手にしている。しかし、それは伯爵たちがいなくなったからだ。


 爆発の瞬間に貨物車輌の屋根の上に取り残されていた伯爵と名も知らぬ白装束たち。彼らの姿は見る影もなく消えてしまっている。


「さぁな。でも、あんなんに巻き込まれれば無事じゃ済まないだろう」

「じゃあ……!」

「ジョゼ」


 アルルは私の肩に手を置き、私の顔を見る。彼女の目はジッとこの眼を見据えていた。


「私は怪盗だ。狙った獲物を手にするためなら、どんな手だって使うし、躊躇わない。この姿がその瞳にどう映ろうと、所詮は一匹の悪党に過ぎない。だから、私もいずれは奴らと同じところに落ちる」

「アルルさんは、それでもよろしいのですか?」

「もちろん。その覚悟はとうにできてる。怪盗アルルになったときから」


 私を見つめるアルルの顔。そこに弛んだところは一つもない。その表情は自信に満ちているようで、どこか影がさしていた。アルルの目は私に向けられているが、その瞳は私ではない何か違うものを見ているよう。

 その目に映っているのは、多分、自分の運命。伯爵たちが落ちるといった場所の景色だろう。


 決して幸せとは言えない末路だと知った上で、それでもなお進み続ける。それができるのは彼女の中に相当の決心──言うなれば、悪党の覚悟が備わっているからだ。

 だからこそ、アルルは常人が躊躇するようなことだって、臆せずやってのける。悪党の覚悟があるから、彼女の盗みをやり遂げられるのだ。


 私もアルルについて行くと覚悟をしたつもりではあった。しかし、彼女の内にある並外れたものを見せられると、思っていたものがいかに半端だったかを思い知らされる。『お前にはこれが足りないんだ』と自分の内に欠けているものを無理やり直視させられ、目を伏せたくなる。


「ま、お宝は頂いたんだし、暗い顔しないでよ」


 それはそうとして、とアルルは続けた。


「ジョゼ、私とあなたの賭けの話をしましょうか」


 その話題を切り出されると、胸がぐっと苦しくなる。私とアルルとの約束、それ即ち『時間までにドリュアスの心臓を盗めたら──』その話のことだ。


「それで、結果は」

「分かっています」


 いちいち、言うまでもない。私は時間までに機関部にたどり着くことしかできず、ドリュアスの心臓を盗めなかった。提示された条件を満たせなかったという、覆しようのない結果がそこにはある。


「この勝負は私の負けです」


 そもそもとしてアルルたちと私では実力が違いすぎる。冷静に考えれば、世間を騒がせる怪盗の仕事を素人ごときができるわけがなかったのだ。


「申し訳ありませんでした」


 私は無力だった。私は無能だった。

 いくらそうありたいと願ったところで、実現する力がなければ何にもならないというのに。根拠もなしにできると思い込んで、結局何も成すことができない。それがどれほどまでに思い上りであったかを痛感して、謝らずにはいられない。


「ジョゼは予告状の時間までにドリュアスの心臓を盗めなかった」


 改めてアルルの口からそれを伝えられると、受け入れていたはずの現実が深々と胸に突き刺さる。込み上げた感情が喉を塞ぎ、何も言いうことができなかった。


 あのお屋敷じこくに戻ることは別に何とも思わない。しかし、アルルと別れなければならないことがどうにも耐えられそうにない。

 それでも、決まっていることは仕方ない。それを承知で、アルルの挑戦を受けたのだから。力のない愚かな貴族の箱入り令嬢はその運命を受け入れるしかないのだ。


 大きく息を吸って、込み上げていたいろいろなものを心の奥に押し込む。


「アルルさん。惨めな負け犬の私めを、屋敷までお送りください」


 アルルは私を見た。


「まぁ、確かにジョゼは時間までには盗めなかったさ」

「はい」

「盗めなかった──けど」


 しかし、彼女の瞳の色は敗者に向けられるそれではなかった。


「それで終わりというわけにもいかないわ」


 分からない。だって、私は時間までに盗めなかったんだ。どう考えてもそれで終わりだろう。


「どういうことですか……?」

「今夜、ドリュアスの心臓を手にできたのはジョゼのおかげだもの」

「私の?」


 ええ、とアルルは頷いた。


「でも、私は何もできませんでした」

「そんなことない。ジョゼはドリュアスの心臓を能力スキルで消してくれていたじゃない」

「でも、それは偶然というか、私はあれしかできなくて。アルルさんのようにうまくはできなくて」

「それでいいの」


 アルルは私の手を取った。


「どれだけ追い詰められても、ジョゼは自分の持てる全てを振り絞って伯爵に抗った。それは誰にでもできることじゃない」


 褒められてむず痒くなる。だって、それはアルルを見習って、彼女のように“持てる全て”でもって挑んだ、それだけのこと。だから、そこに私が褒められる謂れはない。

 しかし、なおもアルルは続けた。


「それに、ジョゼは逃げ出さずに、ちゃんと盗みの時間にあそこにいてくれたでしょ?」

「確かに、そうですけど。でも、それがどうして?」

「私はね、ただ魔導列車トレインに乗り込んだわけじゃない。あなたがそこにいてくれるだろうと信じて、乗り込んだの。そしたら、ジョゼがそこにいてくれた。

 あなたは私の信頼にちゃんと応えてくれた。それ以上に嬉しいことなんてないわ」


 アルルは目を瞑って、取った私の手を優しく握った。互いに黒い手袋越しではあるものの、その手を通じて彼女の温かい気持ちが伝わってくるようだった。


「まあ、ドリュアスの心臓を盗んで来られれば満点だったけど、私にはそれだけで十分よ」


 繋いだ手を離し、アルルは大きく身振りをつけて言う。

 それにしても、何かを成し遂げられずとも褒められたのは、いつぶりだろう。ラザール様は言いつけをちゃんと成し遂げられないと、いつも激しく怒ったから。もしかしたら、お母様にそうしてもらって以来か。

 久しぶりの言葉がとっても嬉しい。


 アルルは言葉を途切れさせず、続けて畳み掛けてくる。


「ジョゼは自分のことを何もできないだなんて言うけど、そんなことない。あなたは私にはない素晴らしいものを持っている」


 アルルは私のを見て言った。仮面の奥の澄んだ青い瞳から向けられる視線は、私の眼と一本の線が繋がり、心の奥まで見通しているよう。そして、丸見えになった私の心に直接言葉を流し込まれているかのような感覚がする。


 私がいったいどんなもの持っているのかは分からない。それでも、私に向けられるアルルの言葉の全てが喜ばしい。


 アルルは手袋を外し、仮面を脱いだ。

 そして、微笑みながら、私に手を差し伸べる。


「私はあなたが欲しい。だから、行きましょう? 私たちと一緒に」


 その手を取らぬ理由はなかった。


「はい!」


 私がアルルの手を取ると、彼女は満面の笑みを浮かべた。

 一方、ジャンヌは私に対して、特に何も言うわけではなかった。


「アタシ、機関部の様子見てくるから」


 ただ、興味なさげにそう言い残し、車輌の扉をくぐってゆく。


「そういえば」


 アルルは何かを思い出した。


怪盗名コードネーム決めなきゃ」

怪盗名コードネーム?」

「そりゃ、バレちゃうからジョゼって呼ぶわけにもいかないし。名前がないのも不便だしね」


 唸りながら頭を抱えるアルル。彼女は少し考えて夜空を見上げると、閃いたというようにパチンと指を鳴らした。


「アンリエット、怪盗アンリエット!」

「それはどんな由来なのでしょうか?」

「ただの思いつき、意味はないかな。まぁ、下手に意味を持たせると、そこから正体が割れたりするからそのくらいがいい。普段はジョセフィーヌ、盗みの時はアンリエット、使い分ければバレはしないわ」


 意味はないと聞いて少しだけがっかりしたが、理由を聞いたらそれも確かに納得できる。

 怪盗アンリエット。私がこれから名乗ることになる怪盗名コードネーム。それは初めての響きだったけど、不思議としっくりきた。


「それじゃ、これからよろしくね。怪盗アンリエット!」

「よろしくお願いいたします。アルルさん」


 そう言って頭を下げるも、アルルに下げた頭を引き上げられてしまう。


「こらこら。もう仲間なんだから、アルルでいいよ」


 そうは言われても、憧れの人を呼び捨てにするのは躊躇われる。しかし、彼女はそう呼んで欲しそうに私を見つめていた。


「分かりました。あ、アルル!」

「よくできました」


 アルルは喜んで、私の頭を撫でてくれた。その感触はいつまでも撫でていてほしいと思ってしまうほどだった。


 そんなとき、真っ直ぐだった魔導列車トレインの進路が大きく変わった。車輌は大きく揺れ、手すりを掴まずにはいられない。


「ジャンヌぅ。もう、何やってんだか。しょうがない、ちょっと見てくるから待っててね」


 そう言い残して、アルルはジャンヌのもとに向かっていった。


 私は一人残されて。ふと空を見上げると、荒野の月夜はまるで宝石箱をひっくり返したかのように輝いていた。

 どこでも空は繋がっている。ここも、ジュゼペも、同じ空のはず。なのに、目の前の空がこんなにも輝いて見えるのはなぜだろうか。


 不意に、一筋、星が流れた。夜空を駆ける美しい煌めきを、私はただただ見つめていた。

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