平和か戦争か〈10〉

 その一言は、ラグナルスの脳内で一連のやり取りを全て繋げた。

 カールマン伯爵は武や知ではなく、貴を尊ぶ類の人間である。

 加えて幾らか経済的合理性を持った、頭で算盤を弾く事が出来る人間であることも。

 如何やって辿り着いたのかは不明であるが、アデライザはそう考えた。

 冒頭からの挑発的言動は、自身の才を売り込むためのモノであった。

 其れが最も「買い得」な商品を提示することに繋がると信じて。


「ではライネスブルクのカールマン辺境伯殿。貴方は如何なる結論を下しますか?」

「そうですねぇ…まず一つに魔導金属ミスリルの余剰在庫を適正価格に少し上乗せして買い取る事。これには同意いただけますか?」

「…税率や買い付け量はこちらが指定しても?」

「幾らかは我が方が指定し、後日何かしたためましょう。まぁ悪いようには致しません。将来有望な顧客となるでしょうから」

「恐れ入ります。他の条件は如何でしょう?」

 それ迄とは打って変わって、淡々とした事務的な口調で両者は口約束を交わしていく。


 (身体が…熱い)

 傍のラグナルスは体感温度が上昇するのを感じ取っていた。

 しかしそれは酒精であるとか、緊張感であるとか。

 そういったものに由来しない。

 最早やり取りの殆どが耳に入らない。

 


「二つ目に此方で預かっている捕虜についてです。現在此方では百五十名近く捕らえています」

「何人か…いえ多くの人のために我々は身代金を払うでしょう。名簿は御座いますか?」

「現在作成中となります。完成次第お見せしましょう」


 とんとん拍子に纏まっていく。

 本当に良いのか?

 これから為される「貴族の館に若い女性が奉公に赴く」という提案をそのまま見過ごしても良いのか?

 確かに侯国に仕えている従士らや領民にとっては最良であろう。

 たった今取り決められている講和条件は、侯国側の負担が最小限であることに違いない。

 そしてそれはアデライザ自身、想定していたことだろう。

 だが――


「最後に三つ目。アデライザ・グイスガルドを我が館にて側仕えとして迎える」

「ええ、構いませんわ。」


 自身の身柄までも手札として利用している。

 そして「若い女性が貴族の館に仕える」という文言を、文字通りに受け止める者はまずいない。

 ――間違いなく彼女は欲望の捌け口となる。


 父キルデベルトはそういった行為を行わなかったし、ラグナルスも全くその意志はない。

 だが帝国や王国の貴族の中には、領民を同じ人と思わずに家畜のような扱いをする者も一定数存在するとは聞く。

 実際、帝国にいた時には高慢な貴族の一部がそういった「武勇伝」を我が物顔で喧伝していたのだ。


 ――こうしてラグナルスは身体が熱くなった原因を自覚した。

 良き主君として善政を敷きたいだとか、神の下には皆平等であるから奴隷や農奴の地位を改善したいだとか、仕える従士らに報いたいだとか。

 そういった想いは確かに有る。

 つい先日も妹の前でそのような事を宣ったばかりだ。


 だが其れ等はただの使命感・・・でしかないし、到達点の途上でしかない。

 人は物事の成就を真に願った時には、心だけが先走るという。何かしらの焦燥感に駆られるという。


 今気づいた。本当に願う事、それは――


「…残念ながら伯爵殿。その要求は聞き入れることは出来ない」

「…ほう?」

 不意に水を刺されたカールマンは、それ迄眼中の外に追いやっていたラグナルスを再び捉える。

 アデライザは珍しく慌てふためいたようにして、兄の愚行を嗜めようとする。

「一体何を兄様!?既に纏まりかけているのですよ!」

「駄目だ。私はそれを良しとしない」

「我々にとって最良の条件でしょう!?何処にご不満があるというのです!?」

 ラグナルスは妹に対して広げた手を横に振る。

「伯爵殿。如何やら我が妹は泥酔状態にあるらしい。暫し…3日ほど説き伏せる時間を頂けないだろうか?」

 アデライザはまじまじと兄の様子を見るが、其れが断固たる決意の下になされた事を悟る。

「酔っているのは兄様の方でしょう!?…申し訳ありません伯爵殿。どうやら我が兄は未だ酔いが覚めぬ様子。兄の申した通り、少しばかりお時間をいただけないでしょうか?」

 現状維持しつつ、兄を最大限尊重した上で、相手方の心証が悪くならないように努めた言葉をカールマンへと投げかける。

 アデライザにとっては、兄に対して降参を宣言したようなものであった。

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