ヘンリク卿〈11〉

 コホンと軽く咳払いをすると、コルネリアは続いて信仰の是非を問うた。

「殿下。そのご学友、少々おたわむれが過ぎませんか?勝敗は兵家の常、などと言ったら背教者であると教会に断罪されるでしょう」

「勿論彼も私も、神への祈りを一概に否定せよとは申さぬ。もし神官の前でそのような事を正直に言えば今頃冥府インフェルヌスに下っている」


 そして…と、シグムントは矢継ぎ早に話を続ける。


「考えてみよ。もし神への祈りこそが最も戦における重要な要素だとするならば…我々は来世救済のために自らを磨く修道士こそ真っ先に兵とすべきだ」

「言われてみればそうかもしれません。…こういうのはどうでしょう?彼らに鞭打たせながら前進を命じるのは!」


 およそ50年ほど前。

 南方の大聖座を中心として、村や町を次々と廃墟に変えた疫病が流行した。

 ある托鉢たくはつ修道会の総長グランド・マスターは修道士たちにこう告げた。

「試練である!神は我らの現世における飽くなき欲望に対してお怒りである!」

 そして始めたのが、半裸になった修道士が互いに鞭を打ちつけながら街を練り歩くというものである。

 受難、だったか。そうした発想に基づいていたはずだ。

 勿論効果の程は言わずもがな。


 戦場に修道士たちが整然と列になって並んでいる。

 彼らはゆっくりと前進しながら、前のものを鞭打つのである。

「私こそが最も神に近い!祈りの力はこの身体に刻まれている!」と高らかに宣言して。

 最も鞭打たれた者こそが戦場を制するのである。


 そのような情景を両者とも思い浮かべたのだろう。コルネリアとシグムントは互いに顔を見合わせると、笑みが自然と溢れ出した。


「…コルネリアよ、感謝する」

「恐れ入ります」


 コルネリアが何のために冗談を言ったのか。それが分からないほど短い付き合いではない。


「与太話はここまでにしよう。先程は侯国に辺境伯軍が遅れを取った理由を推測したが、もう一つ付け加えておく」

「ノルデント人の武勇そのもの…ですね?」

 シグムントの鎧についた返り血を見る。


「あぁそうだ。現に私とて不覚を取るところであった」

「驚きました。まさか頭の首級しゅきゅうを本当に取ってきてしまうとは」


 尚武しょうぶの民と称されるノルデント人が、噂に違わず実力が本物であった事は両者共に実感していた。

 黒龍騎士団ドラゴネス・テデンシェの団員は各魔導学校において最優秀の成績を修めた者から、更に選抜された強者つわもの揃い。

 にも拘らず、突撃時にはどの団員も敵を斬り伏せるのに何合も要した。


 シグムント自身、グイスガルド侯爵の首を獲ることは全く考えていなかった。

 グイスガルド侯国は北部で産出される鉄鉱石以外、何一つ突出した産業のない寒村地帯が広がる地域である。

 そんな辺鄙な地域を調子付いた辺境伯が併合した所で経済的に何の得もない。

 それどころか、統治を維持するための費用で赤字。トントンになれば御の字といった所か。


 そのために当初は侯爵を捕縛、そして税収入の三年分ほどを身代金として要求する。それが帝国のために最善であると考えていた。

 しかし目論見は外れた。グイスガルド侯キルデベルトの武の腕前は想定を遥かに上回っていた。

 加減の余裕は無く、常に全力で剣戟けんげきを交えたが、何十合と打ち合っても一向に勝負は付かなかった。

 

「想定外だった。まさか我々と張り合えるほどに精強であるとはな」

「其れこそまさに、『神の御加護』が我らにあったのでは?」


 シグムントは沈黙を以て肯定を返す。


 濃霧という奇襲に適した悪天候。

 丁度侯国軍が包囲を形成し始めていたために挟撃出来たこと。

 歩兵主体の第十三軍団レギオン・トレンシェでなく、騎兵主体の黒龍騎士団ドラゴネス・テデンシェが北方に派兵されたこと。



 こうした事実も加えて考えれば、確かに辺境伯の言った「神の御導き」とやらは、あながち間違いでないかもしれない。


 しかし同時に一つの疑念が脳裏に浮かぶ。


「コルネリア。中部と南部の戦況が伝わり次第、急ぎ私に報告せよ」

「はっ、仰せの通りに」


 何故陛下はお抱えの最精鋭を両軍とも主力の集う中部に配置しなかったのか?

 危険を犯さずして危険に打ち勝ち得ない、とは言うがどちらも辺境たる北部と南部に送る道理はないはずである。


 勿論何か深淵なる知見に基づいたお考えがあるには違いない。

 だが心配せずにはいられなかった。

 せいぜい500に満たぬ数でどうこうなるとは思えないが、即応できるよう情報収集するに越したことはない。


 

 

 


 


 


 


 

 

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