ヘンリク卿〈3〉

 数刻後、無秩序を司る龍が霧中より姿を現し、両軍ともに互いの存在を認識する。

 キルデベルトが望遠鏡で注意深く旗を見ると、薄らとではあるがライネスブルク辺境伯を象徴する黄色の虎が確かに描かれている。

 兵達に緊張が走る。


 そしていよいよ侯国軍とライネスブルク辺境伯軍との距離が目測して九百ルーア(メートル)にまで迫った頃。



 陣形の中央に座する歩兵隊の後方にて少数の騎兵を率いるキルデベルトは側の者に何か声を掛ける。

 聞くやいなや、その従士は腰に括り付けていた角笛を全軍に響き渡るようにして高らかに吹き鳴らす。


 合図と共に魔導を操る諸兵は各々に魔導式の展開を行い、魔導弾の発動・軌道・着弾の座標を設定。

 仕上げに魔導式へ体内に保有する魔力を流し込むことで攻撃の為の全工程が完了する。


 十数秒後。

 侯爵軍の頭上に次々と無数の燃える球が出現すると、勢いよく放物線を描くようにして空高く舞い上がる。

 

 火球は物理法則に逆らって速度を維持し続けたまま、放物線の頂点まで撃ち上がった後、またしても科学に逆らって勢いそのままに龍を焼き尽くさんと神の雷の如く降り掛かる。




 だが龍とて黙ってただ焼かれるのを待つだけではない。教会の教えにおいては楽園を追放された始まりの二人をまたしても邪の道に堕とそうと目論んだ存在である。

 そして邪悪の権化たる蛇は地上へと向かうために翼を手にし、神の意思に抵抗を示したのだ。



 帝国の兵達も着弾に合わせて魔導を発動すると、数え切れないほどの半透明の障壁が陣容の前面や上面に展開される。

 障壁があまり大きくないのは偏に魔力を節約する為。

 小さく、しかし強度を一点に集中させることで確実に防御するのだ。


 火球の殆どが障壁に阻まれて霧散していくが、幾つかはすり抜ける。

 恐らく魔導兵の障壁を張る座標が重複して空閑が発生したり、着弾座標の予測が外れたり、そもそも魔力を絞り過ぎて強度が足りなかったのだろう。


 防御を抜いた火球は小規模の爆発を周囲に引き起こして、龍の表皮を焼き焦がす。


 「カールマン殿下!敵の先制攻撃です!」

 軍後方にて悠々と馬に跨るライネスブルク辺境伯カールマンに対して家臣の一人が報ずる。


「見れば分かるわ!歩兵はこの場にて反撃し、両翼の魔導騎兵マギルリエを前進させよ!」

 家臣の報告に苛立ったのだろうか、黒の長髪を逆立つようにして前から後ろへと流すと、攻撃の命令を下す。


 帝国の動きに呼応するようにしてキルデベルト侯も命令を下す。

「全軍前進せよ!勝利の女神フォルトゥナは我らに微笑むであろう!」



 火蓋は切って下された。





※※※※※※


「ハハッ、なんて無様な用兵だ!あれでは鶴瓶打ちも良いところよ!」


 侯国軍左翼にて魔導騎兵マギルリエの一集団を指揮するエゼルレッドは隣の従士に向かって笑い飛ばした。


 帝国軍の魔導騎兵マギルリエは横に長く、馬脚も不揃いな列を持って、歩兵を伴わずに前進してきている様は、彼からしてみれば情けないことこの上ないものであった。



「今は戦闘中、舌を噛みますよ!?とはいえ我々からすれば楽させてもらえるから良いんですけど…ね!」


 金属光沢を放つ重そうな甲冑を着た従士はエゼルレッドの余裕綽々な態度を嗜めると、敵騎兵の魔導砲撃に合わせて障壁を展開し、これを阻止する。



 一方侯国は縦に長く、横は僅かに二列しかない隊形をもって前進しながら魔導砲撃を敢行する。


 魔導砲撃は精度が火砲カノンと同程度に曖昧なものとはいえ、やはり回避できることに越したことはない。

 前時代においては騎兵とは歩兵突撃の為の横列を維持することが多かったが、今は魔導砲撃こそが戦場で最も輝く時代。

 敵方に距離感を誤認させる為に、縦に長くすることで砲撃の被弾率を下げるの帝国流用兵術の最先端である。



「大方、敵さんは辺境の一侯国程度と考えて騎兵でのごり押しで倒せるとか思ってるんだろ…よっと!」


 エゼルレッドも目前に迫った火球を握りしめた身の丈三倍ほどの大きさを持つ特注・・のハルバートにて一刀両断し、大気中に霧散させる。


 その様子を見た従士はエゼルレッドに呆れたように口を窄める。


「馬上で魔導金属ミスリル製のハルバートを自在に操るなんてどんな怪力してるんですか…」

「それ言うならお前さんらの魔導金属ミスリルで出来た甲冑も大層重そうだ…おい前の奴!九時方向に曲がって後退するように部隊を誘導しろ!もうそろ敵と衝突する!」


 先頭の従士は肯定の意を一言で短く返事すると、七色に発光した球を指示通りに九時方向へと飛ばす。

 そして進路を九時方向に曲げて緩やかに変えていくと、後続の騎兵もそれに従って円を描くようにして後方へと退く動きを見せた。

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