開戦前夜〈3〉

 こうした事情を以て「栄誉ある」侯爵が余所者二名の進退を確認すると、従士団の面々は近くの者どもと次々に愚痴り始める。



やっこさんもあの為体でバシレイアの代理人が務められるとは呆れたもんですぜ。どうやら世界の支配者とやらはたがだか1匹の狗の調子すら丁重に心配してくださるそうだ」

「フッ、そう言うものでない。アレでも陛下の役人バイイなのだ。現にエゼルレッド、侯爵殿下とのやり取りが分かったか?」

「全く分からんかったぜ?でもあんな修辞法を知らずとも生きるのには困らない。飯を食うための口と手足さえ動けば万事がうまくいく。そうだろ?」

「それもそうだが…貴殿はまず文字を読めるようになるべきではないか?」



 白騎士エーデルの至極真っ当な指摘に対して、エゼルレッドは違いねぇ、と豪胆に笑い飛ばす。


「なぁ侯子殿下はどう思いやしたか。あのいけ好かない使者の野郎を!」


 エゼルレッドは軽快な心持ちで向かいに座るラグナルスに対して無遠慮に、まるで兄弟や友であるかのように声を掛ける。

 もしも他のフラスヴェール諸侯に同じ行為をすれば、即座に禿頭男の首は刎ねられ、夕焼け空に昇り詰めたう一つの太陽が祈りの鐘アンゼラス・ベルを鳴らす刻を告げたであろう。


「…ええ、大層驚きました。よもや蛮族バルバロイたる我々に古代語を用いて意思疎通を試みようとするとは。ひょっとすると疲れが溜まっているのは私でなく、使者殿の方だったのではないでしょうか?」

「ハハハッそうですな!彼等の与り知るところに依れば、我々は文明を知らぬのですからな!」


 侯子と従士団の隊長格のやり取りに周囲の人々も思わず笑みを浮かべる。嬉々極まれりといった感情を吐露している。


 使者が用いていた古代語とは、フラスヴェール王国成立前に存在していた大帝国にて用いられていた言語である。大帝国崩壊後、古代語は相次ぐ無秩序の中で廃れていき、今となっては大聖座を中心に、一部の王侯貴族や高位役人バイイしか用いないものとされている。


 現に多くの地域で王国語か帝国語、一部少数部族由来の言語しか市井では使われない。

 ここグイスガルド侯国でも普段は王国語が用いられ、先程は「本来ならば古代語を操る身分」のピエール司教でさえ置かれた場所に配慮して王国語で誦じてみせたほどだ。

 それにも拘らず列席者が皆一様に整然としていたのは、古代語を一応は会話ができる程度には習熟していたことが挙げられる。

 これも『従士団たる者、武芸だけでなく学問にも通ずる必要がある』と考えたキルデベルト侯による文化振興政策の賜物であった。



「大層驚いたのは私の方だ。ラグナルスよ、あそこまで使者殿に怒りをぶつけたのは一体全体如何なる考えがあってのことか?あのような事態、帝国留学の折に幾らでもあっただろう」


 やり取りを終始聞いていたのだろう。割入って、侯も日頃から知見ある振る舞いをする子息の意図を伺う。


 先程使者に言った「遠方より遥々帰路の途に着いた」というのは、咄嗟の狂言というわけではなく事実に基づいていた。

 ラグナルスは10歳の頃より、父侯と同様に伝手を頼ることで|帝都〈ヴィッセンブルク・アム・ライン〉の魔導学校で四年間在学していた。戻ったというのもたったひと月前のことであった


「父上、之は偏に私の堪忍袋が矮小であったことに尽きます。申し訳ございません」

「…それを聞いて安堵した。お前もアデライザもその齢に見合わず、理性ばかり働かせる。時と場合を考えねばならないが、偶には若人としての行動も見せてもらえると、父として嬉しいことこの上ない」


 丁寧に頭を下げた謝罪に、父はこの場に居ない娘と合わせて、ただその無策な振る舞いを詰め寄るだけに止まらない、息子を立てるようなフォローをする。


 だが当事者たるラグナルスの心中は穏やかでなく、寧ろ不甲斐ない自身を責め立てた。

 確かに今この場に列席する従士団の高官たちは多くが三十代前後である。そういった意味で自身は確かに「若人」に違いない。

 しかし十四ともなれば、既に王侯貴族の中には婚姻を結ぶものも居る程度には「大人」である。そして次期侯爵として期待されている身分であるのだ。



 父の言う通り、『身分・性別・出自不問、完全実力主義』を謳う帝国の魔導学校への留学中にも度々こういった上位者が下層の者を詰る場面には何度も遭遇していた。実態としては身分制シュテンデに則った空間であったのだ。

 ラグナルスとしては、こういった状況は容易に想定出来ていたために心構えが出来ていた。だが高い教養を持つはずの役人バイイがまさかあのような言動をするとは思ってもみなかったことであった。それ故に頭に血が昇ってしまったというのが事の顛末である。

 


 物事の分別はつけるようにならなければならない、とラグナルスは改めて考える。だが一方で父のフォローに気づけない程に愚鈍ではなかった。

 侯子は黙って深く一礼を返すと、この場を切り上げた。

 


 

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