明日への逃避行

かさたて

第1話 暮夜(ぼや)

君が僕を変えていく。


 何も変わることのない退屈な毎日の、何も変わることのない退屈な夜がやってくる。何もない、長い夜だ。温く湿った夏の空気が僕に纏わりついている。目も暗闇に慣れてしまったし、今更布団に潜ったところで、こんな茹だりそうな夜じゃ眠りようも無い。

 僕はもともと眠るのが好きだ。現実から隔絶された世界で、思考するという行為を、生活するという行為を中断できるからだ。だが夏の夜はそれを許さない。そんな時はくだらないことをぐだぐだと考える。明日を嫌ってみたり、過去を悔やんでみたり、延々と感傷に浸り続ける。

 ふと君に目をやると、君は窓の外を眺めていた。ここはとんでもない田舎の小さな村だ。僕らが今いる家はその最東端にある。窓の外にはさらに東へと伸びてゆく、ろくに舗装もされてない道路がある。それ以外何も無いはずなのだが、何を見ているのだろう。

 本格的に暑苦しくなってきて、僕は立ち上がった。君は僕に気づいて言葉をかけた。

「寝ないの?」

「君こそ」

「まあね」

アイスを取り出しながら僕は言う。

「眠れないんだ」

「そっか。今日熱いもんね」

「それもあるんだけど、やけに目が慣れちゃってさ」

僕も窓の外を眺めて、レモンのアイスを齧りながら言う。

「なんていうのかな、何も無いんだ。痛みや辛さも無ければ、喜びや興奮もないんだよ。」

君は黙って僕の方を向く。

「なんて、高望みしすぎかな。バチが当たるかも」

君は再び窓の外に目をやって、口を開いた。

「ねえ、あの道の先はどうなっているんだと思う?」

急な君の問いに僕は驚いてしまった。

「なんで急にそんなことを」

「君、なにもないって言ってたでしょ。でもあの道の先には、きっと沢山のものが待ってる」

言われてハッとした。考えたこともないことだったからだ。

 僕達はこの村で育った。この村以外を知らない。本当に小さな村で、村のほとんどの人間が互いの顔を知っている。たぶん僕ら以外の村人たちも、この村しか知らない。その村から続く一本道の先だって、この村の誰も考えたことがないだろう。

 そう思うと、急に自分がついさっき言っていたことが馬鹿らしくなってしまった。知らないうちに僕の中で、あの道はもう日常風景に溶け込んでいた。僕はあの道について考えることを放棄していた。僕はこの十数年この家で生活して、毎日あの道を、1番近いところで見てきたのに。あの道だけが唯一、僕の退屈な日常を変えてくれるものだというのに。1番退屈でつまらなくて何も無いのは、それに気づかなかった僕じゃないか。

 決まりが悪くなって言葉を失う僕を見て、君は笑った。そしてこう言ったのだ。


「逃げ出そう」

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