第2話

 中之庄さんが住む家は、俺たちが住むマンションから徒歩五分の場所にあるマンションだった。

 近くには大型スーパーがあり絶対に顔を見合わせるはずなのに、一度もないから紫音が隣でボソボソと呟いているが気にするのはやめた。


 そして俺、紫音、中之庄さんは玄関前にいた。

 エントランスは中之庄さんの鍵で入ったのだが、玄関に関してはお客さんがいるのでインターホンで姉を呼ぶと言っていた。


 ———ピーン ポーン。


 中之庄さんがインターホンを鳴らすと、数秒で玄関の扉が開き、そして———


「結茜ちゃーん、お帰りなさーい!! 私、結茜ちゃんが危険な目に遭ってないか心配で心配で…」


 勢いよく飛び出してきた女性が、中之庄さんにいきなり抱き付いてきた。


「お姉ちゃん、心配かけたのは謝るけど、いまはお客さんがいるから抱き付くことをやめてほしいんだけど…」


 女性の正体は中之庄さんの姉らしい。つまり羽衣七蒼だ。羽衣は芸名だから、中之庄七蒼が本名になるのだろう。


 だけど急に飛び出してきたのはびっくりした…。

 姉妹だから何となく予感はしていたけど、やはり姉の七蒼さんもいたか。


 てことは、羽衣姉妹ファンの紫音はこの状況にかなり興奮しているのでは…?

 そう思い、俺は紫音の方に視線を向けた。


「本物の七蒼様だ…! やばい…目の保養になる」


 言うまでもなく、紫音はファンモードだった。

 まあ、目の保養に関しては同意見だけど。


 そして姉妹の話は進んでいて、七蒼さんに俺たちのことを紹介するところになっていた。


「お客さん? 結茜ちゃんがお客さんを家に連れて来るなんて珍しいね〜! どんな人を連れてきたの?」

「詳しい経緯は中で話すんだけど、同級生とその妹さんを連れてきた」

「同級生…ね。 その姿を学校の人達には見られたくないや自分の正体をバレたくないとかずっと言ってたのに〜?」

「色々あったの。 とりあえず、部屋にあげてもいいよね?」

「結茜ちゃんが良いなら、私は反対はしないよ」


 言い、七蒼さんは俺たちの方に視線を向け言葉を続けた。


「初めまして。私は結茜の姉の七蒼と言います。 狭い部屋になりますが、どうぞゆっくりしていってくださいね」


 て…天使の微笑みか。この笑顔で何人の男(雑誌の向こう側)を落としてきたんだろう。


「初めまして。 俺は中之庄結茜さんと同じクラスメイトの御影雪翔と言います。 突然な訪問にも関わらず、お時間いただきありがとうございます」

「は、初めてまして。 私は御影紫音と言います。 あの…羽衣姉妹のファンです。 握手してもいいでしゅか?」

 

 緊張しすぎて紫音が噛んだ。そして涙目になりながら、俺の方を見て助けを求めないでくれ。

 俺だって緊張して噛みそうになったけど、ギリギリ持ち堪えたんだから。


「ふふ。 いまは羽衣七蒼ではなく、中之庄七蒼なので緊張なさらないでください。 あと握手は室内でもいいですか?」

「は、はい! 大丈夫です!」

「それでは、お二人とも中へどうぞ」


 先に中之庄さんが中に入り、七蒼さんは玄関を開けて俺たちが入るのを待ってくれた。


 俺と紫音は一度視線を合わせ、一つ頷いてから室内へと入室した。


「「失礼します」」


 中に入ると目の前には廊下が広がり、道中には数個の扉があり、奥に進むとリビングがあった。

 七蒼さんは狭い部屋と言っていたが全然狭くないし、リビングがお洒落な雰囲気でまとまっていた。


「お兄ちゃん。 私たちの家と比べて、とてもお洒落でセンスの違いを見せつけられている気がする」

「俺も同意見だ」

「雪翔さん、紫音さん、こちらのソファーにお掛けになってください」

 

 七蒼さんはソファーの方に手を差し出したが、俺たちはそれどころではなかった。


「お兄ちゃん。 七蒼様に名前を呼ばれたよ…。今年の運を全部使い切ったかも」

「明日、気を付けながら歩かないと駄目だな」


 七蒼さんに名前を呼ばれたことに感激していた。


「馬鹿なことを言っていないで、座ったらどう?」

「そ、そうだね。 紫音、とりあえず座ろうか」

「うん」


 ソファーに腰を下ろすと、ふわふわ素材で体がどんどん沈んでいった。……何これ。腰に負担が掛からないし、リラックスできて眠たくなる。


「とりあえず、お弁当を食べることを考えてお茶にしたけど大丈夫?」


 中之庄さんがキッチンから麦茶を入れたコップを持ってきて、目の前の机に置いた。


「俺は大丈夫だよ。紫音も麦茶でいいよな?」

「はい、麦茶でも紅茶でも大丈夫ですよ! 」


 さっきまで大好きな羽衣姉妹に緊張していたのに、さりげなく紅茶の催促をするとは…。


「紫音ちゃんは面白いね〜!」

「とりあえずお姉ちゃんに事の経緯を部屋で軽く話をしてくるから、その間にお弁当食べていて」


 私たちがいると食べにくいでしょ?、と言って、中之庄さんは姉を連れて自室へと向かった。


「それじゃあ、二人が戻ってくる前にお弁当を食べ終えようか」

「だね! 時間的にも余裕がないし、もっと羽衣姉妹とお話したいから頑張るよ!」


 そして俺と紫音はお弁当を机の上に乗せ、食事を始める準備をした。


◇◆


 私の名前は中之庄結茜。

 見た目は茶髪の制服着崩しで不良に見えると思うが、学校では黒髪の眼鏡で委員長というあだ名がある。


 そんな私だが、数ヶ月に一度専属モデルを務めるお姉ちゃんの雑誌で羽衣姉妹の妹として出ている。

 そこでは“幻な妹”と呼ばれていて、何故か人気が出ていた。


「それで家を出たあと、結茜ちゃんの身に何があったのか詳しく教えてもらおうじゃないか」

「その…」


 お姉ちゃんに家を出たあとの話をするつもりで部屋に連れてきたのだが———実際、詳しい話はしたくない。


 そもそも私が家を出たのはお姉ちゃんと喧嘩したからだ。喧嘩の内容としては些細な事だが、お姉ちゃんに専属モデルになってほしいと言われたから。


 私は高校に入学したばかりだし、高校生活も楽しめていないから、まだ専属モデルになるつもりはない。だから、今のところはお姉ちゃんの手伝いとしての現状維持のままでいい。


「お姉ちゃんと喧嘩したあと、近くの公園のベンチに座っていたの」

「そんな時間に女の子が一人で座っているなんて、変な人に襲われないかお姉ちゃんは心配だよ」

「その心配は現実になったよ。 私、変なおじさんに襲われてたから」


 私は心配するお姉ちゃんに、結局カミングアウトした。


「………えっ?! 結茜ちゃん襲われたって、怪我をしていない? メンタルは大丈夫?」


 お姉ちゃんの心配症はいつものことだけど、御影くんと同じようなことを言うとは…少し面白い。


「お姉ちゃんがこんなにも心配しているのに、なんで結茜ちゃんはニヤけているの!!」

「さっき御影くんにも同じことを言われたから、短時間に二回も聞くなんて思わなかったからね」

「てことは、御影くんのおかげで結茜ちゃんは無事だったってこと?」

「そうだね。 あそこで御影兄妹がいなかったら、私は完璧に危ない目に遭ってたね」

「御影兄妹救世主じゃん!! 私、何もおもてなしをしていないけど大丈夫?」

「大丈夫…だと思う」


 御影くんはおもてなしをされても困ると思うし、妹の紫音ちゃんは握手などで良さそう…だし。


「疑問系なのが気になるけど、とりあえず結茜ちゃんが無事で安心したよ」

「その…心配掛けてごめんね」

「もう平気だから謝らないで? 結茜ちゃんの言う通り、いまは私の手伝いのままでいいからね?」

「ありがとう…」


 これからも頑張ろうね、とお姉ちゃんは手を握ってくれた。それだけで、改めて私も頑張ろうと思った。

 

「それじゃあ、御影兄妹の元へ戻ろうか。 紫音ちゃんに握手するって約束したし」

「うん… お弁当も食べ終えていると思うし、約束したフルーツも出さないと」

「なにそれ!? 私、何も聞いてないよ!! そーゆう重要なことは早く言ってよ〜!」


 そのまま、お姉ちゃんは慌てて部屋を飛び出してリビングへと向かった。


 もうお姉ちゃんは慌ただしいんだから…。

 でもお姉ちゃんとは仲直りできたし、御影くんとも仲良くできそうだから一石二鳥かな?


 そう思いながら、私は部屋を出て、お姉ちゃんの後ろを追いかけた。


◇◆


「「ご馳走様でした」」


 二人が戻ってくる前に食べ終えようと頑張った結果、俺たちは15分程でお弁当を食べ終えた。


 だけど俺はガッツリ系のお弁当だったので、かなり胃がもたれている感じがする…。紫音はあっさり系のお弁当なので平気そうな顔をしていた。


「結茜さんがフルーツを用意してくれるって言ってたけど、何のフルーツかな?」


 紫音…。確かに中之庄さんはフルーツを用意はしてくれる的なことを言っていたが、かなり厚かましいと思わないのかな…。お兄ちゃんは悲しいぞ。


「もう少し遠慮の気持ちを持たないとダメだぞ?」

「私、これでも遠慮の気持ちは持っているよ」


 どこがだよ。公園から家までの間でも主導権を握っていたのは確実に紫音だぞ。


「その顔は信用していないな〜?」

「主導権を握った時の紫音は信用できない」

「そんなことを思うのは、お兄ちゃんに友達がいないからだよ。友達付き合いで偶に主導権を握らないと、女の世界では負けるんだよ。男の世界にもきっとあるよ」


 確かに俺には友達いないけど、半分侮辱にも聞こえるからお兄ちゃん傷つくぞ。


 すると、背後から声が聞こえてきた。


「へぇ〜 雪翔くんって、友達がいないんだね」


 振り向くと、俺が座っている椅子の背もたれに腕を乗せニコニコしている七蒼さんがいた。

 

 そして顔が近かった。


「中之庄さんのお姉さん…?!」

「それはダメだよ!!」


 七蒼さんは指でバッテンを作り首を振ると、そのまま言葉を続けた。


「私のことは"七蒼"と呼んでね! 結茜ちゃんのことは"結茜ちゃん"ね!」

「いやいや、俺なんかがお二人のことを名前で呼ぶなんて恐れ多いですよ」

「私は呼んでほしいし、結茜ちゃんも名前で呼んでほしいよね?」

「……この格好の時は名前呼びを許可する」


 中之……結茜さんはもじもじしながら言い、そして「だけど」と言葉を続けてきた。


「学校では"中之庄さん"のままでお願い。その…急に名前呼びになるとよからぬ噂が立つから」

「確かに俺がいきなり名前呼びをしたら、クラスメイト達に変な視線を向けられるね」


 そしてクラスの女子から他クラスの女子へと噂が広まり、いつの間にか学年全体の噂になるな。

 ほんと女子の噂って、なんであんなに広まるのが早いんだろう。


「二人とも話がまとまったようだね! あとは紫音ちゃん!」

「 !? は、はい!」


 突然名前を呼ばれて驚きながらも、紫音はちゃんと返事をした。


「紫音ちゃんも私たちのことを名前呼びでいいからね? 何だったら"七蒼お姉ちゃん"や"結茜お姉ちゃん"って呼んでもいいよ」


 それを聞き、紫音は大きく目を見開いた。

 憧れの姉妹を名前呼びで、さらにお姉ちゃん呼びとくれば、そんな反応になるわな。


 同時に結茜さんも驚いていた。


「お姉ちゃん?! 私までお姉ちゃん呼びは…」

「結茜ちゃんだって、年下にお姉ちゃんって呼ばれたいでしょ?」

「それは…その……呼ばれたい」

「だよね! てことで結茜ちゃんからも許可が貰えたので、紫音ちゃん的にはどうかな?」


 紫音は小さく頷いた。

 これを見て七蒼さんは万歳をして、結茜さんの方に視線を向きハイタッチをした。


「それじゃあ、紫音ちゃんお待ちかねのフルーツを持ってくるから待っててね!」

「七蒼さ…七蒼お姉ちゃんありがとうございます」


 おぉ…紫音の順応の速さ凄いな。

 俺なんかまだ心の中でしか名前呼びを出来そうにないぞ。帰る頃までには呼べるようにしないと…。


 そして七蒼さんはフルーツのことを、廊下とかで聞いていたのですね。


「ふふ。お姉ちゃん、張り切って用意するね!」

「張り切らなくてもいいから、焦らないで持ってきてよね…偶にお姉ちゃんはドジるんだから」

「紫音ちゃんの前で変なことを言わないの!」


 そして数分後に用意されたのが、見るからに高級そうなメロンだった。満腹間だったお腹も、これを見たら空腹になった気がした。いわゆる別腹なんだろう。


「お兄ちゃん。 絶対にこのメロンは高いよね」

「そうだな。 俺たちには手が出せない代物に違いないよ」


 小声で話をしていると、七蒼さんが微笑ましそうにこちらを眺めながら説明してきた。


「これは撮影の時にお土産として頂いた物なの。だから値段とか気にせずに食べてね!」

「そう…なんですね」


 値段を気にせずにとは言われたが、色々と気になってメロンに手を付けられない。


 そして紫音と顔を見合わせ一つ頷き、意を決してスプーンで一口サイズに取り、口へ運んだ。

 

(う…美味すぎる。噛めば噛むほど芳醇な香りが口一杯に広がり、果肉からは果汁が沢山溢れ出ている。絶対に超高級メロンなのは間違いない)


 紫音の方に視線を向ければ、ほっぺたに手を当てながら満足そうな顔をしていた。


「二人ともお気に召してもらえてよかった!」

「御影くんのそんな顔、学校では見たことないよ」


 何か気になる言葉が聞こえた気がしたけど、いまはメロンに集中したいのでスルーした。


 それからメロンを食べ終え、紫音は姉妹と握手したり七蒼さんと何故かアドレス交換をしていた。

 俺自身も結茜さんとアドレス交換をして、その日は解散となった。


 

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