逸脱する読者

 被害者はいつまで我慢すればよいのだろう。
 日本ではなぜか、「被害者はじっとうつむいて堪えておけ」という風潮がある。
 被害者がどれほど大変かはまったくといっていいほど、考慮されていない。

 被害者はいつまで我慢すればよかったのだろう。
 作者さまは「良い人」であろうとしたから悪かったと反省されておられるが、そんなものではない。
 他者に嫌がらせを「せずにはいられない」精神構造をもったパーソナリティー障碍者相手には、こちらがどんな人間であろうがほぼ関係がない。

 自己愛・境界例・演技性。
 彼らは、眼をつけた人間の頭の上ではげしいダンスを踊り、他人の尊厳を侵害することで強い充足感を得る。
 該当の「その方」が、パーソナリティー障碍のうちのどの項目に該当するのかは分からないが、迷惑行為を「せずにはいられない」点において、被害内容は共通する。
 暴言のコントロールをかけてきて、他人の領域を主役面で踏み荒らすような読者は読者ではない。


 被害者はみな、口を揃えてこう云う。【狂った磁場】に投げ込まれたようだったと。


 パーソナリティー障碍者は【正義と正論の善人仮面】で武装しており、話すたびに時系列無視の、「実はこうだった」という新真実が飛び出してくる。眼をつけられた人は、過去に一度も浴びたことのない憎悪・人格否定・暴言を浴び続けることになる。
「そんな人だったんですね。騙された!」
 では、被害者はどんな人間であったらよかったのだろう。
 迷惑行為をひたすら耐え忍ぶのがわたしたちに許される限度だったのだろうか。

 云ったことやったことも、いきなり記憶喪失になるのもお手の物だ。
 そして被害者が、自らの尊厳を守るために反撃すると、『待ってました!』とばかりにパーソナリティー障碍者はそれまでの暴言・高圧・嘲弄的態度を引っ込め、くるりと仮面を付け替えて外に向かって「誤解を受けた可憐な被害者」になりすましてしまうのだ。