ヨシの群生地

 霧の中、1艇のゴムボートが密かに岸の方に向かっていた。乗っているのは鳥井という小太りの中年の男性だった。


「絶対に勝ち残ってやるからな!」


 鳥井はタブレットを見てサバイバルゲームの成り行きを見守っていた。普段の彼は株のトレーダーだった。パソコン相手に仕事をしている。だが先日の取引でへまをしてしまったのだ。


(1億があっという間にパーだ・・・)


 株を買った会社が急に倒産してしまって、大損をしてしまった。それも確かだという情報に振り回されて、怪しげなところから借金してまで資金を集めたのだ。このままでは返す当てがない・・・そうなればその怪しげなところの借金取りに何をされるかわからない。

 そのとき、彼の元にびわ湖サバイバルゲームの案内が舞い込んだのだった。最初は詐欺メールだと思っていたが、ちゃんとゴムボートや電動ガンなどのサバイバルゲームの一式が送られてきた。賞金は1億、誰かを倒すたびに500万円が手に入る。うまくいけば2億も夢ではない・・。

 だが鳥井はサバイバルゲームは初めてだった。このゲームには厳格なルールがあった。


【サバイバルゲームのことを誰かに話したり、参加者以外に知られてはならない。】

【スマホや携帯電話、身元がわかるものを持ってきてはいけない。】

【電動ガンで撃たれればゴーグルが赤く点灯して退場となる。】

【ゴムボートから転落したり、降りたりすれば失格となる。】

【最後の勝者になるまでゴムボートを離れて岸に上がってはならない。】

【ルールを破れば失格となる以外にペナルティーを負う。】・・・等々


 いろいろ考えた挙句、彼の判断はこうだった。


(まともに戦っても勝てるはずはない。)


 自分の有利な状況まで待とうと考えたのだ。それで彼は琵琶湖のどこかに隠れることに決めた。それはどこが最適かというと、岸近くのヨシ群落である。琵琶湖の湖岸にはヨシやマコモなどの植物が群生しているところがある。そこには背の高いヨシが姿を隠してくれるだろう・・・彼はそう考えていた。


「それにこれさえあれば・・・」


 彼はしっかりしたケースを持ってきていた。その中にはボーガンが入っていた。サバイバルゲームなのにこんなものを使おうというのだ。だが相手を撃つためではない。


「武器を持ち込むなとは書いていない。ゴムボートに穴を開ければそれでいい。沈んでしまえば失格だからな。」


 鳥井はニヤリと笑った。やはりここは要領のいい者が勝ちだと・・・。彼のゴムボートは岸に近づいていた。そこはヨシ群落である。後は音を立てないようにパドルで漕いでいくだけだった。彼の計画通りに進むかに見えた。

 だがタブレットが赤く点滅し始めた。警告の文字が映し出されている。


【警告! 岸に上がれば失格となります。引き返してください。】


 だが彼はそれを無視した。タブレットの地図表示では自分の点は黄色で点滅している。


「岸に上がらなければいいんだろ。隠れるだけだ!」


 そう呟くとゴムボートをヨシ群落にいれた。するとそこに先客がいた。ヨシに隠れてはいるが人影らしいものが見える。


(まずい。誰かいる・・・)


 だがその人影は動こうとしない。鳥井のゴムボートが近づいているのに気付いていないようだ。鳥井はヨシをかけ分けてパドルで漕いでいった。そして電動ガンを取り出して狙いをつけて撃った。


「ババババ・・・」


 低い音を立てて弾が飛んでいく。それは確か前にいるものに当たっていた。


「やった!」


 鳥井は思わず声を上げた。彼には初めての体験だった。BB弾とはいえ、人を撃つのがこんなに快感だったとは・・・。それと同時に彼の頭の中で数字が浮かんでいた。


(これで500万いただき!)


 だが彼は奇妙に思えた。撃ったはずの男が反応しないのだ。ゴムボートの上で背を向けたままじっと座っている。


「確かに当たったはずだが・・・」


 鳥井はさらにゴムボートを近づけた。するとその男のゴーグルが赤く点灯しているのが見えた。


「ちゃんと反応しているじゃないか!」


 鳥井はほっとして電動ガンを降ろした。だがそれは一瞬だった。その男の体がクラリと揺れて仰向けに倒れた。その胸には矢のようなものが刺さり、目は恐怖で見開いていて鳥居をじっと見ているかのようだった。


「うわっ!」


 鳥井は驚いてパドルを漕いでそこを離れようとした。だがヨシに引っかかってなかなかゴムボートは進まない。しかももっと悪いことが起ころうとしていた。そばに置いたタブレットからは警告の表示が流れているが、それがいつしかカウントダウンが始まった。10、9、8・・・それは失格になるまでのテンカウントだった。


「まずい! このままでは失格だ。」


 鳥井は焦るがゴムボートは動かない。そのうちカウントダウンは3,2,1,0となり、警告画面は消えた。鳥井がタブレットを操作してみると自分の点が赤く変わっている。失格になったのだ。


「くそっ! どうしてだ!」


 鳥井は大いに悔しがった。もうこれで賞金を手に入れて借金を返す計画がパーになった・・・。


「どうしたらいいんだ! おい、何とかしろ!」


 鳥井はそのタブレットを小突いていた。その時、彼は湖の異変を見た。彼のいる前方に波が盛り上がるように立ったのだ。


(な、何なんだ!)


 鳥井にはその波は害をなすように感じた。彼は身を低くして身構えていた。すると何かが波の中から彼の方に飛んできた。それは彼の前のヨシに当たり、少し向きがそれて彼の顔の横をすっと通り過ぎた。


「矢だ! あの波は矢で俺を狙っている!」


 鳥井は恐怖を感じた。ヨシがなければそれは彼を貫いていただろう。そこで彼は気づいた。


(このゲームから退場や失格になると殺される。これは単なるサバイバルゲームじゃない。生死をかけたデスゲームだ・・・)


 そして同時にこうも思った。


(すでに自分は失格になっている。このままでは殺されてしまう。助けを呼ばないと・・・)


 だがスマホは持ってこなかった。ルールにあったからだ。


「こうなったらやってやる!」


 鳥井はそばにあったケースを開いた。そこにはボーガンと数本の金属の矢が入っている。


「ボーガンとはいえ、強力で殺傷力もある。これならやれる!」


 鳥井はボーガンを取り出して狙いをつけた。波はまた彼を始末しようと沖から近づいてくる。鳥井は十分引き付けて、ボーガンの矢をその波に叩きこんだ。すると「ガンッ!」という鈍い金属音が聞こえた。そして進んできた波は急に水中に沈んで消えた。


「やったか!」


 だがそれは一瞬のことだった。再び波が立ち、鳥井の方に進んできた。彼はボーガンに矢をセットして撃った。また「ガンッ!」と音がした・・・だが今度は波は衰えない。鳥井は矢をセットして波に向かって撃ち続けた。だが波は何もなかったように進み続ける。


「ど、どうなっているんだ! 当たっているのに・・・」


 やがて鳥井は矢を撃ち尽くした。後はあの波から出る矢に貫かれるだけである。彼は死を覚悟して震えていた。すると波はUターンして沖に向かった。だがそれは危険が過ぎ去ったわけではなかった。彼にはあの波がまた襲い掛かってくることがわかっていた。一気に始末せずになぶり殺すために・・・。

 鳥井は辺りを見渡した。するとそばに落としたタブレットが目に入った。それにメッセージボタンがあるのに鳥井が気付いた。彼はタブレットを拾うと、そのボタンを押してしゃべり続けた。


「誰か、誰か! 助けてくれ! ヨシの群生地だ。岸に近づいたら失格になった。そうなったら波が殺しに来る。矢を撃ってきて・・・。俺は今、狙われているんだ! 誰か、来てくれ・・・」


 鳥井はそうでもしなと気が紛れないほどの恐怖を覚えていた。やがて彼の予想通りに波が反転して向かってきた。最期の時を迎えようとしているのだ。


「やられたら波が殺しに来る。だが逃げようとしたら殺される。だから・・・」


 矢のような弾丸が何本も飛んできた。それは彼の前のヨシを切り裂き、ゴムボートにも穴をあけた。そして鳥井にも・・・。彼はタブレットを落とした。弾丸が彼の胸を貫いたのだ。鳥井は目を見開いたまま、ゴムボートの上に倒れ込んだ。そしてそのゴムボートごとヨシの茂る湖に沈んでいった。

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