取り調べ

 湖国が汽笛を鳴らした。ようやく大津港を出港する。いつもは琵琶湖の巡回航路をとるが、今日は佐川からの連絡を受けて、通常の航路を取らずにその現場に向かうことになった。


「警察船『湖国』、出港します。」


 港や船のスピーカーからアナウンスが流れ、周囲の赤色灯が回りだした。これはいつもの光景だった。

 湖国の船長は大橋署長が兼務する。彼は海上保安庁からの出向組だ。学習船「うみのこ」を改造して警察船「湖国」に改造して湖上署を開設するにあたり、経験ある「船乗り」が必要になった。そこでベテランの大橋に白羽の矢が立ち、彼を湖上署の署長に迎えた。彼は凡庸な雰囲気を持っていたが、いや、そう装っているのかもしれないが、その手腕には定評があった。その力を発揮して滋賀県警と海上保安庁などから人を集めて一つの組織を作り上げたのだ。

 ブリッジでは大橋署長が航行課の署員に出港の指示を与えていた。ここは出港と帰港の時があわただしくなる。だがその動きに乱れはなく。規律通りに進んでいる。ただ気になるのは周囲の霧だけだ。

 大橋署長は窓から周囲を見渡して言った。


「今日は霧が深いな。よく注意するんだ。」

「はい。署長。」


 湖国はゆっくりと琵琶湖の中ほどに進み始めた。今日は視界が悪いが、波は高くない。船は揺れることも少なく、なめらかにスピードを上げていった。

 大橋署長には、湖でゴムボートに乗ってサバイバルゲームをしていた男の一人が殺されたと伝えられていた。容疑者はすでに佐川が確保して湖国に連行してきている。あとは現場に残されたゴムボートを収容するだけだ。だが彼は深い霧を見て、いやな予感を覚えていた。


(この深い霧の中で何かもっと大きなことが起こっているのではないか・・・)


 彼はそれがいつものような杞憂で終わることを願っていた。


 ◇


 佐川が逮捕した男はすぐに取調室に移された。取調室は船の最下層にある。狭い階段を下りていく先は薄暗く、陰鬱な気分になる。壁は無機質なセメントの打ちっぱなしで、冷たい印象の金属の扉がある。中には机とイスが置かれ、天井からの蛍光灯の照明は暗く、机の上の電気スタンドがまぶしく光っていた。

 今のところは公務執行妨害だが、サバイバルゲームで撃ち合っていた男を殺した容疑もある。佐川と梅沢が取り調べに当たった。記録係として真森がついた。彼女は先日ここに刑事として配属されてきたばかりだ。飯塚という姓だが、もっぱら真森の名前で呼ばれている。

 佐川は、沈黙を貫く男にまず尋ねてみた。


「名前は? 名前ぐらい言えるだろう。」


 しかし話しかけても男は顔を背けて何も言おうとしない。ぐっと口を結んで目を閉じていた。


「黙秘か? そんなことをしてもすぐに身元が割れるぞ。」


 やはり男は何もしゃべろうともしなった。男の所持品を調べたが、免許証など身元を示すものは持っていなかった。


(どうして何も言わないんだ? いまならせいぜい公務執行妨害だ。さっさと名前を言って質問に答えれば、大ごとにならないはずだが・・・。やはりこいつが殺しと関係があるのか、それとも何を隠そうとしているのか・・・。一つカマをかけてみるか。)


「お前が戦っていた男はどうなったと思う?」


 佐川は男に顔を近づけて耳元で尋ねた。だが男は何の反応も見せなかった。佐川は残酷な口調で男に告げた。


「死んだ。矢のようなもので背中から胸を貫かれて。」


 すると男の顔に驚愕の表情が浮かんだ。佐川はさらに言葉を続けた。


「お前がやったんだろう! サバイバルゲームでカッとなって・・・」


 すると男は大きく首を振って大声を上げた。


「俺じゃない。俺は弾を当てて勝ったんだ。そんなことをするわけがない!」


 佐川は男をじっと見つめていた。その様子からは嘘をついている様子はない。男の方も自分が感情的になっているのに気付いて、また顔を伏せて口を閉じた。それからは佐川が何を尋ねても何も言わなくなった。


(殺しとは関係ないとしても、やはり何かありそうだ。一体、なんだと言うんだ・・・)


 佐川はそう思って首をひねっていた。

 一方、真森はその男をどこかで見たような気がしていた。この男の正体がわかれば解決するかもしれないのに・・・だが思い出せなかった。


 取調室にしばらく重い沈黙の時間が流れた。だがその静寂はトントンとドアをノックする音で破られた。


「はい。」


 と真森が返事をすると、ドアが開いて岡本刑事が顔を出した。


「佐川さん。ちょっと。荒木警部がお呼びです。」

「わかった。すぐ行く。」


 佐川は後を梅沢と真森に任せて、取調室を出た。取り調べの最中に呼び出すのはあまりないことだ。何かが起こったのかもしれない。佐川はてっきり捜査課の部屋に行くと思ったが、岡本が案内したのは取調室の隣の別室だった。そこからマジックミラーで取調室の様子が見える。

 佐川がドアを開けると、腕組みをしてマジックミラー越しに男を見ている荒木警部がいた。あの男に何か、犯罪のにおいをかぎ取ったようで厳しい顔をしている。荒木警部は元々、警視庁の捜査1課の刑事だった。ある事件で責任を取って退職したところを大橋署長がこの湖上署に引っ張ってきたのだ。


「警部。何か御用でしょうか?」

「いや、朝からご苦労だった。」


 荒木警部はねぎらいの言葉をかけた。だがそれを言うためだけに佐川を呼び出したのではないようだ。


「奴は黙秘を続けています。殺しとは関係ないかもしれませんが、何かあるようです。」

「俺もそう思う。かなり強い意志で黙秘を続けているように見えた。だがこのままではらちが明かない。もうすぐ奴や被害者のゴムボートが回収される。その所持品から何かわかるかもしれない。まずはそこから調べたらどうだ。」

「そうですね。そこから手を付けてみます。」


 佐川は別室を出た。そしてまた取調室に入った。 取調室で梅沢や真森はうんざりした顔をしていた。2人はその男の前に座って時々、声をかけたりしていた。だがやはり黙ったままで何も答えないのだ。しかも顔を背けて前を見ようともしない。


「代わろう。」


 佐川は2人に声をかけた。真森はほっとした顔をして横の机の前の椅子に座った。佐川がその顔を男に近づけて言った。


「正直に言えば注意で済むかもしれない。そのままではここにしばらく拘留することになる。よく考えるんだな。」


 佐川はそう言ったが、男はやはり何もしゃべらない。


「それならずっとここにいるんだな!」


 佐川の言葉に男はまたやっと口を開いた。


「俺は何も言わない。言えないんだ・・・」


 男はそれだけ言って今度は目に涙をためていた。どうにもならなくて悲しそうな・・・。


「もしかしてあなたは!」


 その男の顔を見て、真森はあることを思い出した。


「あなたは確か、鹿取さん・・・重い心臓病を持つお子さんがいる・・・」


 真森の言葉に男は両手を顔に当てた。まるで絶望したかのように・・・。佐川はその名前に心当たりはなかった。


「鹿取?」

「ええ、確か心臓移植をしないと助からないって寄付を集めていらした。少し前にニュースになっていました。」

「そういえば・・・」

 佐川もおぼろげながら覚えていた。日本では治療できない。アメリカで治療を受けるには莫大な金がかかると・・・それで街角で寄付を募っていたことがニュースになっていた。


「それがどうして・・・」


 佐川がつぶやくと、男は観念したのか、話し始めた。


「そうだよ。俺は鹿取洋一。息子の順一の手術費用が必要になったんだ。それも2億・・・。そんな金なんかありっこない。だから街角に立って寄付をお願いしたんだ。」

「それでどうなったのですか? テレビで取り上げられて反響が大きかったと思いますが。」


 真森が尋ねると、鹿取はため息をついた。


「最初は集まったさ。でもSNSで俺の昔のことを書かれてさ。それでさっぱりになった。あんなヤンキーに寄付してやることはないと・・・。でもそれは昔のことだ。今はまじめに働いている。それに息子の順一には何の罪もないんだ!」


 鹿取は興奮して右手で机を「ドン!」と叩いた。その目からは涙が流れていた。佐川は彼の肩をなだめるように叩きながら尋ねた。


「それでどうしてサバイバルゲームに?」

「メールで招待状が送られてきたんだ。びわ湖サバイバルゲームへの招待が。それも賞金が1億以上。俺はすぐに飛びついた。」

「おかしいとは思わないのか? そんなことを。」

「俺だって疑ってみたぜ。だがRキット社から銃やらゴムボートやら様々なものが送られてきた。それも高そうなものが・・・。これは信じるしかなかった。」


 佐川は首をひねった。そこまでしてこの琵琶湖でサバイバルゲームをやろうとするのは・・・何か裏がありそうだった。

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