計算と天然

 湊が二歳になり、二人目の出産予定日が近づいてきた初夏の頃、隣の家に月島さんという夫婦が引っ越してきた。


「うちも二月の末頃に産まれる予定なんすよ。ギリギリ同級生っすね」


 妻の美花みかさんは見た目は母親という言葉が似合わないような可愛らしい雰囲気だったが、喋るとヤンキーのような口調だった。ギャップのある人だが、悪い人には見えなかった。


「そうなりますね。これから長い付き合いになりそうですね」


「同級生といえば、星野さんとこもだよね」


「あぁ、そういや二月って言ってたね」


「星野さん?」


「近所のマンションに住んでる方です。五歳の娘さんが一人いる先輩ママパパさんで」


「あ、噂をすれば流美るみちゃん」


 月島さん夫妻と玄関先で話していると、たまたま目の前を流美ちゃんが通りかかる。こんにちはと挨拶をしながら駆け寄ってきた。


「あれ。今日はママは?」


「おうちにいるよ。わたしはこれからおつかいです!」


「偉いな。気を付けて行ってらっしゃい」


「いってきますのまえに、そちらはどなたですか」


「俺は月島つきしま皓輝こうき。こっちは妻の美花みか


「で、こいつはまだ名前はないんだけどうちの娘」


 美花さんが自分の腹に目をやりながら言うと、流美ちゃんは美花さんに許可をとって腹を撫でながら「むすめ? おんなのこ?」と問う。


「そうだよ」


「いつうまれる?」


「二月か三月くらいかな」


「うまれたらうちのおとこのことこうかんしてください」


 流美ちゃんのまさかの発言にその場にいた全員が固まった。


「いや、交換って。嬢ちゃん、子供は物じゃねえんだぞ」


 美花さんがしゃがんで流美ちゃんと視線を合わせて苦笑いしながら言う。青ざめていた夫の皓輝さんはそれを見てホッとしたように息を吐いた。その様子から、美花さんを怒らせると怖いんだろうなとなんとなく察する。


「だって、わたしがほしかったのおとうとじゃないもん。いもうとだもん」


「だからって、交換してなんて、ママが聞いたら悲しむぞ。ママにとっては大事な息子なんだから」


「そうだよ流美ちゃん。なんで弟は嫌なの?」


「……おとこのこはかわいくないもん」


「湊は? 湊も可愛くない?」


「……みなとくんはかわいい」


「でしょ。可愛いよねうちの子」


「みなと、かーいい?」


「世界一可愛い。ちなみに、妻と娘は一位タイです」


「たい? おかー、おしゃかな?」


「同じくらい可愛いって意味だよ」


 湊を抱き上げてくるくると回る。きゃー! とはしゃぐ湊。それを見て流美ちゃんはごめんなさいと美花さんに頭を下げた。


「良いよ。うちの子と嬢ちゃんの弟を交換するのは無理だけど、いつでも遊びにおいで。弟も一緒に」


「うん」


 手を振りながら去っていく流美ちゃん。その姿が見えなくなるまで見送り、月島さん夫妻を家に上がらせる。


「麗音。お茶」


「はい、ただいま」


「あい、たたいま」


 お茶を用意するためにキッチンに向かうと、湊も「てちゅだうー」と言いながらちょこちょこと後ろをついてきた。人数分のコップを用意し、氷を入れて、湊を抱き上げて麦茶の入ったペットボトルを持たせて手を添えながら麦茶を一緒に注いでいく。


「上手上手」


「じょうじゅじょうじゅ」


「よし。じゃあ、お母さんの分だけ持っていってもらおうかな。他は俺が持っていくからね」


「あい」


「両手でしっかり持って、こぼさないようにゆっくり歩くんだぞ」


「あい」


 湊に託した妻の分以外のお茶とお茶菓子をお盆に乗せてリビングに戻る。何やら盛り上がっていた。


「おかー、どうじょ」


「ん。ありがとう」


「お。なに。お父さんの手伝いしてんの? 偉いじゃん」


「へへへ……」


「お二人もお茶どうぞ」


「ありがとうございます」


 お茶を配り、席につく。湊も美花さん達に褒められて嬉しそうに席に着いた。


「いやぁ……にしても良かった。鈴木さんがお隣さんで。私、昔から女友達とか出来なくて。だから女性との付き合い方ってよくわかんなくて、ママ友とうまくやっていけるか不安だったんすよ」


「美花、自分で自分のこと可愛いとか言うからなぁ……そりゃ女子から嫌われるわ」


「いや、可愛いのは事実だから。てか、嫌われはなかったよ。むしろ好かれてたっつーか……惚れられてた? 確かに最初は嫌われがちなんだけど」


「怖がられてたの間違いでは?」


「うるせぇな」


「気付いてると思いますけど、こいつ、元ヤンなんですよ」


「「でしょうね」」


「ぐ……私、そんなヤンキーオーラ出てます?」


「オーラっつーか、口調がもろヤンキーなんだよなぁ。喋らなきゃバレないかもしれんけど」


「てか、隠してたつもりなんですか?」


 妻が苦笑いする。しかし美花さんは真面目に隠していたつもりらしく「……隠せてねえっすかね」と苦笑する。


「流美ちゃん対して『嬢ちゃん』とか言ってた時点でアウトだよもう」


「じゃあなんて呼べば良いんだよ」


「せめて"お"をつけろ"お"を」


「お嬢ちゃん」


「……うん。どっちにしろヤンキー感は拭えないわ。お前は根っからのヤンキーだ。諦めろ」


「ぐ……」


「まぁでも、大丈夫ですよ。悪い人じゃないことは流美ちゃんへの態度で分かりましたから。いい母親になると思います」


 俺がそう言うと、美花さんはパッと顔を輝かせて嬉しそうに「ありがとうございます」と笑った。何故か皓輝さんと妻が俺に訝しげな視線を向ける。


「えっ、な、なに? 俺、不味いこと言いました?」


「……妻のママ友の中にこんな男性いたら、夫としては警戒するなぁって思って」


「いや、警戒しなきゃいけないのはむしろ妻の方かと。この人、女たらしなんで」


「僕はただ単に自分の立場を理解して上手く立ち回ってるだけだから。君みたいな無自覚天然人たらしの方が質悪いよ」


「俺はそんなつもりは……」


「そんなつもりないから質悪いって言ってんの」


 そう言って妻は俺の額を指で弾く。続けて「そのくせ一途だし」「この人たらし」と二回、三回。


「いや、一途なのはよくない?」


「一途すぎてキモい」


「でも浮気したら怒るんでしょ君」


「そりゃそうだ」


「ほんと、理不尽だな君は」


 でもそんな理不尽なところも愛おしく思ってしまうんだよなと自分に呆れていると、四回目のデコピンが飛んできた。「この人たらし」と、鼻で笑う彼女の声と表情は優しく、思わずときめいてしまう。そんな俺たちを見て月島さん夫妻は「どっちもどっちじゃないですか」と呆れるように笑っていた。

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