第9話 帝国の観察者

 ミスラス教国の南、ルテティア帝国にヴォルガルと彼に雇用された二人の兄妹を観察する少女がいた。

 帝都の中心部に構えるバルベリ宮殿。

 世間の雑踏とは離れた中庭に面する静謐な回廊に少女とその影に額突く男の姿があった。


 「――――追っ手はニザールの手の者かと思われます」


 男は間諜の一人であり、その報告に少女は好機が訪れたのだと意気込んだ。


 「ヴォルガルのやつが動いたのね」


 帝国一の美姫と呼ばれる少女は人の目を憚るように夜も更けた頃合に、そんな場所を指定して間諜の報告を受けていた。


 「このこと、他の兄妹は知るよしもないのでしょうね」


 闇に向かって微笑む少女の笑みは欲望にまみれていた。


 「左様かと……アドリア・イヴレーナ、貴方様以外に他国の情勢に気を使う方はいらっしゃいません」


 突如として出世街道に乗ったヴォルガルという神官の話を聞いて以来、アドリアはその周囲に間諜を貼り付け観察を続けて来ていた。

 権力掌握の手法、手駒を増やすやり方、人を欺く欺瞞。

 その全てをアドリアは、自身が皇帝の座に就くために貪欲に学ぼうとしたのだ。

 故に観察対象は複数いて、そのうちの一人がヴォルガルという訳わけだった。


 「ふふ……善は急げと言いますし早急に二人の身柄を抑えてしまいましょうか」


 覇権国家たるルテティア帝国は今、皇帝の死により五人の兄妹が時期皇帝の座を巡って争う無秩序な状態にあった。

 アドリアが待ちに待った混迷が遂に訪れたのだ。


 「二人は必ず貴方様の手駒として役立つ者たちです。このまま皇帝の座を勝ち取られませ」


 間諜の男はそう言うと深々と頭を下げた。

 だがその言葉を真に受けるほどアドリアは馬鹿ではない。


 「間諜の貴方が、どうしてそこまで言うのかしら?」


 その男を含めて数人の間諜たちが、アドリアに何を見出したのか数年前から秘密裏にアドリアの元へと集った。

 当時、その美貌と知略に自信をつけ始めていたアドリアにとっては、自身の持つ二物に惹かれて間諜たちはやって来たのだろうと疑うことはしなかった。

 国益と成りうる情報を集めるのが本来の間諜の姿、しかしながら彼らは誰の命令でもなく自らの意思でアドリアの元へとついていた。

 その意図が不明だったアドリアにとって、間諜の存在は人身の暗躍の頼りであり、何を考えているかが分からない決して心を許せない相手でもあった。

 何しろ自身が間諜を利用し、皇帝の座につくためのあれこれを行っているからであって、相手の立場に立って物事を考えるアドリアの思考の性質上、もし仮に自分が『王女アドリア』野仮想敵であるのなら……と考えずにはいられない。


 「殿下は我らを利用し、我らは殿下を利用する。互いに互いの求めるものを得るのですからこれ以上に健全な関係はありますまい」


 アドリアの男に間諜の男はそう答えた。

 具体性に欠けたその答えに、しかしアドリアはそれ以上追及することはしなかった。

 というよりかはどことなく聞いてはならない気がして聞けなかった。


 「ギブ&テイクなら大いに結構。わだかまりが出来る心配はなさそうね」


 一笑に付して、アドリアはその話をするのをやめた。

 勿論、人ならざる二人を手駒にするときも均衡な関係であるべきだとアドリアは考えていた。

 強力な切り札は自身にとっての脅威にもなりうる。

 だからこそ反抗心を抱かせない関係性を築くことが自身にとっての成功であり保身であることはよく分かっていた。


 「下がりなさい。あまり長時間部屋を開けると怪しまれるわ」


 そう言って踵を返したアドリアの顔には警戒の色が滲んでいた。

 彼女は新たに生まれた一つの疑念――――彼らは自身を担ぎあげた後、皇帝の座に就いた後に或いはその過程に何か求めるものがあるのでは?

 そしてそれは何か取り返しのつかないものなのでは?―――――と。

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