第2話 仲間たちとの休息




「お疲れ様です、ロクス兵隊長」




 焚火の傍でうつらうつらと船を漕いでいると、黄金の髪の修道女がそう声を掛けてきた。


 その後、彼女は目を擦る俺の顔を見て、申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「申し訳ございません、起こしてしまいましたか?」


「いや、大丈夫だよ。気にしないでくれ」


 そう答えると、彼女は手に持ったマグカップを俺へと手渡し、微笑を浮かべながら隣へと座ってくる。


「今日の兵隊長のご活躍、お見事でした。この聖騎士団の中でも、オーガの一太刀を受け止められるのはロクス兵隊長しかいないことでしょう。本当に、惚れ惚れするくらいに凄かったです」


「そんなことはないさ。俺はただの枯れ木のようなオッサンだ。あんまり持ち上げられても困る」


「謙遜は止めてくださいっ!! 私は貴方に憧れてこの聖騎士団に入ったんですから、もっと自信を持ってもらわないと困ります!!」


 そう言って聖騎士団の治癒術師ヒーラー役である修道騎士――――アルルメリアは長い髪を耳に掛けると、ムスッとした顔で焚火を見つめる。


「むしろみんな、兵隊長のことを軽く見すぎなんですよ。敵の攻撃を一心に受けて、前線を防衛するタンク職である兵隊長を賞賛せずに、指揮官である団長殿ばかりを褒め称えるんですから」


 チラリと、アルルメリアは遠くにいる集団へと視線を送る。


 彼女のその視線を辿ると、そこには、俺たちが所属する聖騎士団の長の姿があった。


 その聖騎士団団長の金髪の青年は、アルルメリアが自分を見ていることに気付くと、周りに居る部下たちに断りを入れて、麦酒の入ったジョッキを片手に持ってこちらへと近寄ってくる。


 そして、彼は俺たちの前に立つと、人好きのする笑みを浮かべながらアルルメリアへと声を掛けた。


「我が聖騎士団の麗しの修道騎士殿が、何もこんな寂しいところで酒を飲むこともないだろう。こちらへ来てオレたちと酒を飲み交わさないか? アルルメリア」


「‥‥申し訳ございませんが、私は今、兵隊長と一緒に飲みたい気分なので。お断りさせていただきます」


「相変わらずツれないな。そんな盾役にしかならない老兵と酒を飲んでも楽しくないだろう?」


「いいえ、楽しいです。ですから、お構いなく」


「まったく、素直じゃない奴だな。そんなことを言わずに、さぁ、こっちに来たまえ。貴殿はこのような場所にいるべき女性ではない」


「ちょ、ちょっと!?」


 手首を掴み、アルルメリアを無理やり立たせようとする騎士団長。


 どう見ても、彼女が嫌がっているのは明らかだ。


 俺は立ち上がり、そっと、団長の手を掴む。


「団長殿。そんなに無理強いしては彼女が可哀想です」


 そう言葉を放つと、聖騎士団団長――――ベルセルは、キッと、俺に向けて鋭い眼光を見せてくる。


「貴様、このオレに指図する気か? 本来であれば引退してもおかしくない歳だというのに、先代団長である父上の厚意で軍の末席に座らせてやった恩を、まさか忘れたわけではあるまいな?」


「勿論、忘れてなどはおりません。自分のようなしがない老兵を騎士団に重用してくださっているベルセル殿のお父様には、感謝してもしきれない恩がありますから」


「だったら、このオレに意を唱えるな。‥‥ん? まさかとは思うが、42にもなろう身の上で、16歳の少女に好意を抱いているわけでは無かろうな? 人類を護る聖騎士団にそのような不埒な男がいるとしたら、目も当てられないぞ?」


 そう言ってベルセルが嘲笑すると、彼の背後にいる聖騎士団員たちはクスクスと俺を見て笑い出した。


 その光景にチラリと視線を向けた後、俺はベルセルへと視線を戻し、口を開く。


「勿論、そのようなことはありません。だって、アルルメリアは娘でもおかしくない年齢ですからね。恋情など、抱くはずもありません」


「‥‥‥‥」


 その言葉に、隣で悲痛そうに顔を歪める少女を無視して、俺はそのまま言葉を続ける。


「ですが、アルルメリアは自分が統括する部隊の隊員のひとりですので‥‥上司としては、彼女の意志に反したことはやらせたくないんですよ。団長殿もご存じだと思いますが、個人の意志を否定してまで騎士に命令を強要するのは軍法で禁止とされております。アルルメリアが上に掛け合えば、軍法会議が開かれる事案にもなり得るでしょう。そのような団員同士の不和は‥‥団長も望んではいないですよね?」


「‥‥‥‥チッ。能面のように表情が動かない癖に、口だけは達者に回る男だ」


 そう言って首を左右に振ると、ベルセル団長はアルルメリアを掴んでいた手を離し、苛立った視線を彼女に向けた。


「おい、アルルメリア。お前、オレたちと酒を飲むのはそんなに嫌なのか?」


「‥‥は、はい。さっきからそう、私は言っているつもりなのですが・・・・」


「‥‥‥‥」


 その言葉に大きくため息を吐いた後、ギロリと俺を睨むと、ベルセルは何も言葉を発さずにその場を後にしたのだった。


 できれば先代団長と同じように、彼とも上手くやって行きたいのだが‥‥今のやり取りを見るに、どうにもそれは難しそうだな。


 彼が恋する女性が、俺に懐いてしまっている時点で、友好な関係を築くのは困難そうだ。


「まったく、へいたいちょーも大変だね~。メリアっちに好意を持たれてるから、団長に目の敵にされちゃってさ~」


「リリエット、ロクス兵隊長には敬語で話せといつも言っているだろう。我輩たちは彼の部下なのだぞ?」


「いちいちうるっさいなぁ、ジェイクは。へいたいちょーが良いって言ってんだから別に良いじゃん」


 先ほどの騒動を見てか、俺の部下である二人の騎士がこちらへと歩いて来た。


 オールバックヘアーの青年の方が長剣使いのジェイク、ピンク色のツインテールの気だるそうな少女が双剣使いのリリエットだ。


 二人は俺の前に立つと、額に手を当て、敬礼をしてきた。


「お疲れ様です! ロクス兵隊長殿!」「おつ~、へいたいちょー」


 そんな不揃いな挨拶をする二人に、俺はクスリと微笑みを向ける。


「二人とも、今日はとても良い活躍だったよ。本当に助かった」


「勿体ないお褒めの御言葉です!!!!」


「やった~、褒められちゃった~! お給金弾むかな、わくわく」


「リリエット!! 貴様、金のことしか頭にないのか!! 恥を知れ!!」


「だって~、聖騎士なんて戦場に出て命懸けてるお仕事なんだから、お給金くらいしか良いことないじゃないですか~。‥‥あっ、そうだ! へいたいちょーがあたしをお嫁さんにしてくれるって言うのなら、もっと頑張っちゃおうかな~、なんて、えへへ~!」


「そ、それはダメですっ!! リリエットさん!!」


 突如大きく声を張り上げたアルルメリアに、リリエットはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


「あれれ~? 何でダメなのメリアっち~?」


「そ、それは、その‥‥とにかく、ロクス隊長にリリエットさんみたいなだらしない性格の女性は相応しくありません!! 断固として認めませんからね、私は!!」


「もう、相変わらず奥手で面倒くさい女だねキミは~。そんなんだと、横からあたしに取られても知らないよ~?」


 そう言って、リリエットはぬふふと不気味な笑い声を溢しながら、俺の右腕に腕を絡ませてきた。


 その光景にアルルメリアは目を見開き、口をパクパクとさせる。


「なっ!!!!」


「ぬふふふ~。隊長ってば、長年聖騎士やってたから蓄えは十分でしょ? 顔もイケオジだし~。リリエット、歳の差なんて気にしないから、ロクスさんと結婚したいな~、なんて。一緒に聖騎士団辞めて、辺境の領村で暮らさないかニャ? そろそろ子どもでも作って、所帯持っても良いんじゃない? へいたいちょーも」


「‥‥悪いけれど、他を当たってくれないかな。俺はまだ、この聖騎士団を辞めるつもりは無いんだ」


「ちぇっ、どうせ断られるのは分かってたけど、ちょっとへこむな~。ちっともリリエットの色仕掛けに動じないんだもん。あっ、もしかしてへいたいちょーって‥‥ホモとか?」


「リリエット!! ロクス兵隊長に失礼なことを言うんじゃない!!」


「あそこで喧しく吠えているジェイクみたいなのが好み?」


「はぁ‥‥。ふざけたこと言ってないで早く離れてくれ、リリエット」


「そうですよ!! ロクス兵隊長から早く離れなさい!! この淫乱騎士!!!!」


 アルルメリアはこちらに詰め寄ると、俺からリリエットを引き剥がし、怒り狂った形相で彼女の肩を激しく揺らしていた。


 その様子に呆れた表情を浮かべながら、ジェイクが仲裁に入る。


 生真面目だが、何処か抜けている修道騎士ヒーラーのアルルメリア。


 大雑把で適当な性格だが、俊敏性は騎士団でも随一、斬りこみ役の双剣使いの騎士、リリエット。


 そして、頭脳派で常識人、けれど人一倍声が大きい男、後詰めの長剣使いの騎士、ジェイク。


 この三人が、俺が兵隊長を務める部隊の隊員たちだ。


 俺の部下であるこの三人は、みんな気心の知れた奴らばかりで、一緒に居ると心が安らぐ。


 年齢が離れているから、俺にとっては実の子供のようで・・・・彼らを見ていると本当に愛おしい。


 ‥‥だが、戦場というものは、簡単に仲間の命を奪っていく場所である。


 この三人のように、過去には、俺と親しくしてくれていた部下たちがいた。


 だが、彼らは皆、魔物との戦いで若くして命を失っていった。


 皆口々に、死ぬ寸前に、俺にこう言って死んでいくんだ。


 家族が住む王国を、祖国を、悪しき魔物の手から守ってくれ、と。


 だから俺は彼らのその意志を継いで、未だにこの聖騎士団で剣を振っている。


 この終わらない戦場を、とっくに引退する年齢を迎えても、駆け抜けている。


「あ、あの、先ほどはありがとうございました、ロクス兵隊長」


 喧嘩を始めたリリエットとジェイクを置いて、アルルメリアはこちらに近付いて来ると、ペコリと頭を下げてそう俺に声を掛けてきた。


 俺はそんな彼女に首を傾げて、疑問の声を上げる。


「先ほどって? いったい何のことだ?」


「ほら、さっき、団長が私のことを無理矢理連れて行こうとしていたじゃないですか? それを止めてくださった、お礼です」


「あぁ‥‥そのことか。別に構わないよ。君も嫌がっていた様子だったしね。上司としては当然のことをしただけだから、気にしないでくれ」


 彼女に構わないと鷹揚に手を振ってから、コップの中のお茶を喉の奥に流し込んでいく。


 アルルメリアはそんな俺の姿を見て、口元に手を当てクスリと微笑んだ。


「今まで何度も言ってきましたが、兵隊長はやっぱり尊敬に値する御方です。私の中にある騎士の理想の姿、それが、ロクス兵隊長です」


「君が俺に憧れを抱き続ける限り、きっと、俺と団長殿は永久に仲良くなれないんだろうなぁ」


「え?」


「いや、何でもないよ」


 そう答えると、アルルメリアは何故か背中を見せ、空に浮かぶ満月を仰ぎ見た。


 そしてぽそりと、静かに口を開く。


「ロクス兵隊長。私と初めて出逢った‥‥あの日のことを覚えていますか? あの時も、こんな綺麗な満月が浮かんでいましたよね」


「‥‥君を助けた日のことかな?」


「はい。10年前、村を襲ったワーウルフたちが、目の前で父と母を八つ裂きにした、あの時。幼い私は死を覚悟していました。でも‥‥私は救われた。貴方が、身を挺して庇ってくれたおかげで」


「‥‥‥‥」


「今日、兵隊長が村の生き残りの少女を助けていた姿を見て、私はあの時のことを思い出しました。‥‥あの子は助けに遅れた聖騎士団に対して恨みを持っていた様子でしたが、私はけっして貴方を恨んだりはしていません。貴方に救われた存在もいることを、ちゃんと覚えててくださいね」


 そう言ってこちらを振り向くと、アルルメリアは目を細めてニコリと微笑んだ。


 俺はそんな彼女に微笑みを返して、コクリと頷く。


「‥‥ありがとう、アルルメリア」


「はい。私は、貴方の姿に憧れてこの聖騎士団に入隊したんですから。私も、困った誰かを助けられる人間になりたい。その一心で、今まで治癒魔法の修行をしてきました。誰かを救えなかったと悩むのも良いですが、たまには救えた人のことも考えてくださいね?」


「‥‥そうか。そうだね。励まされたよ。ありがとう」


 そうお礼を言うと、アルルメリアは突如真剣な眼差しで、俺を見つめてくる。


 そして、再度、口を開いた。


「‥‥ロクス兵隊長。今ここで、私の夢を聞いてもらってもよろしいでしょうか?」


「夢?」


「はい。私の夢は、ロクス兵隊長のように強くて優しい人間になって、この世界から魔物を根絶させることです。今日、初めて聖騎士団員として戦場に出たばかりの今の未熟な私では、それがどんなに叶いっこのない夢なのかは勿論、分かっています。ですが・・・・ですが、私は必ずこの夢を叶えたいんです。絶対に、何としてでも」


 そう夢を語ると、満月を背景に、少女はブロンドの髪を風に揺らした。


 その姿はとても幻想的で、まるで英雄の伝記を綴った絵物語の中のワンシーンのようだった。


 魔物に両親を奪われ、この世界から魔物を殺し尽くそうとしている修道騎士の少女。


 俺は、そんな無謀な夢を抱いている彼女に何も言うことが出来ず。


 ただただ、夜空に舞う黄金の髪の毛を、黙って見つめ続けることしかできなかった。


「兵隊長は、私の夢、応援してくださいますか?」


 そう口にすると、真面目な様相を崩し、いたずらっぽく笑みを浮かべるアルルメリア。


 俺はそんな彼女に頷き、笑って答えた。


「あぁ。応援するよ」


「えへへ。嬉しいです」


 頬を染めて、嬉しそうにはにかむ少女。


 俺もそんな彼女へと、微笑みを返した――――。




 ‥‥この時の俺は、思いもしなかった。


 彼女の理想に立ちはだかる敵の親玉に、まさか、自分がなることになるなんてことには。


 いずれ国を守護する聖女となる少女と、いずれ国を滅亡させようとするアンデッドの王となる者。


 その二人の、最期の‥‥心を通わすことが出来た唯一の対話だということは、けっして、気付くことはできなかった。

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