第35話 伏兵

 戸科下市 戸科下市立病院


 院内は昨日のテロ事件の被害者で溢れ返り、戦場と化していた。満床率は百パーセントを超え、病室外にも患者が寝転んでいる。血と糞尿と薬品の臭いが漂い、トイレは用便よりも嘔吐に使われる頻度が高かった。

 怪我をしていない者であっても突然叫び声を上げて暴れることが多々あり、なかにはトイレの個室で首を吊る者もいた。ついには患者の暴力で医師や看護師に怪我人が出るなど、院内は地獄絵図だ。テロ発生から二十四時間以上が経った今でも重篤化する患者が後を絶たず、自衛隊の衛生科隊員が加わってなお人手は足りていない。

 そんな地獄に居てもなお、冷静沈着さと仕事のクオリティを崩さない黒森くろもり郁美いくみは気味の悪さを通り越し英雄視されていた。極限状況における彼女の心身のタフネスは人間離れしていたが、これほど頼もしいのならいっそ人間でなくても構わないとさえ、同僚たちは思っていた。

「……あ」

 人間らしく疲れる振る舞いをしなければいけないことを黒森が思い出したのは、眼鏡型の端末にドゥル監督官からの緊急警報が表示された時だった。

「黒森先生、お疲れ様です。……先生?」

「え? ああ……うん」

 重篤化した患者の難解な手術を、ちょうど終えたところだった。実際は奇跡的に成功したように演出しただけで、彼女にとっては容易な手術だった。手術の加減はできるのだが、次から次へと患者が来るものだからつい流れ作業のように淡々とこなしてしまっていた。気づくと丸一日以上休んでいないではないか。

「あ~ごめん、ちょっと休んで来ていいです?」

「えっ」

 同僚が一斉にこちらを向いた。

「やっとですか!?」

「え、あ……はい」

「どしたん?」

「黒森の奴、昨日から一睡もしてねぇんだよ」

「マジかよ」

「あとは私たちが何とかするので、黒森先生は早く寝て来て下さい!」

 どこかほっとした様子の看護師たちによって、黒森は手術室から追い出された。

「あはは、だいじょーぶすぐ戻って来ますから」

「いやぶっ倒れますよ。一回ちゃんと休んで」

「それアドレナリンとか出て先生の頭トんでるだけなんじゃ……」

「ご飯どころか一回も水飲んでるとこ見てないし……本当にヤバいっすよ」

「あとシャワーも浴びて来た方が」

「へーきへーき。一、二時間寝たらまた来ますね~」

「うわマジかよ」

「あの人ってショートスリーパーなの?」

「たまに居るよああいうヤバい先生」

「黒森もやっぱりあのタイプだったか」

「天才タイプ?」

「いや、奇人変人タイプ。きっと性癖もえぐい」

「聞こえてますよー」

 黒森は仮眠室へ行くふりをし、一目を避けて職員用エレベーターを目指した。と言ってもそこかしこに患者が寝たり座り込んだりしているので、完全に一人になることは至難だった。通路に投げ出された患者の足を踏まないように気をつけつつ、ドゥルと土方から送られて来た現状報告を眼鏡のレンズに映して確かめる。

(新個体が三体も出たんだ~。すげー、監督官も戦うんだぁ)

 昨日回収された異世界人については、病院に怪我人が運び込まれる前に解剖を済ませていた。黒緑神社のサンプルと比べてこれといった重要な発見は無く、未知の種族のどうでもいい生態が判明した程度である。

(今回もどうせ何もわかんないんだろうなぁ……異世界人の生殖方法とか、知ったところで何も得しないし。ていうか原型留めないだろうし。なんか……この件、私だけあんまり役に立ってない気がするなぁ)

 ドゥルが撮影した街の惨状を目にし、黒森は眉をひそめた。

(うげぇ、もう被害出てるじゃん。こりゃあまた患者増えるなぁ~。いや、うちもとっくにパンクしてるし、流石にもう受け入れられないかな~)

 ともあれ、戦闘は黒森の専門外だ。敵にしろ味方にしろ、死体が回収されるまで黒森にできることは無い。黒緑山は病院から離れており、避難の必要も無い。

(昨日のサンプル、出しっ放しだから片付けておくか……新しいサンプルが三体じゃ済まないかもだし、クリーン星人も何人か死んじゃってるし。解剖室空けておかないとー)

 レンズ型ディスプレイに気を取られていた所為か、誰かに正面からぶつかってしまった。

「おっと」

 黒森は眼鏡を少し上げて視線を落とした。

「ごめんね、ぼーっとしてた。大丈夫?」

 そこに居たのは背の小さな女の子だった。雪原のように輝く銀髪に、白い肌。かなり際どい薄着姿で、靴すら履いていない。

(すげぇカッコだ……)

 黒森がその子とぶつかったのは廊下のど真ん中だった。眼鏡型端末のディスプレイは邪魔ではあるものの、完全に視界を覆うわけではなく半透明だ。背が小さいとしても、こんな目立つ頭をした子を見逃すだろうか。まるでその子が突然、目の前に現れたかのようだった。

(あれ、この子……)

 少女は真ん丸の目で黒森を見つめると、満面の笑みを浮かべた。やけに鋭い犬歯を露わにし、少女が一歩踏み出す。その所作で、黒森はあることに気づいた。

(体の造りが……地球人じゃない!)

 ぺたぺたと歩み寄りながら、少女は黒緑山の音声記録で耳にした異世界人の言語を発した。

「へえ~、皆のこと食べたのだ? お前のお腹の中から、皆の臭いがするのだ」

 黒森は爪を伸ばし、少女に貫き手を放った。

 少女は眉一つ動かさず黒森の腕を掴み、細腕に似合わぬ怪力でもぎ取った。同時にもう一方の手で黒森を叩く。肉の裂ける感触がし、目を落とすと黒森の腹が内臓ごと抉り取られていた。

 黒森の内臓は、少女の手に握られていた。

(うぇ……マジかよ……ッ!)

 背骨一本で姿勢を保つ黒森の腹から、青い血が流れ出る。黒森のすぐ隣のベンチに座っていた患者が青い血を浴び、調子っぱずれの悲鳴を上げた。青い血と臓物は地球人の目には造り物に見えなくも無いが、一人の悲鳴はパニックを生む火種となる。俯いていた周囲の患者が次々と黒森のグロテスクな容体に気づき、廊下は大騒ぎになった。

(まっっっずいなぁー……)

 黒森の胃に該当する青白い臓器を、少女は不思議そうに眺めている。

「すご~い、血が青いのだ。内臓も初めて見る形なのだ。味見しようかと思ったけど、なんか気持ち悪くて食べたくないのだ。やっぱやめたのだ」

 少女は無邪気に笑い、甲高い声ではしゃぐ。しかしその瞳は、氷のように凍てついていた。

 銀髪の中から三角の耳がぴょこんと起きる。もいだ黒森の腕を放り捨て、少女は――魔王軍四天王の一角、フォルゥは言った。

「これとにある皆の死体も、返してもらうのだ♪」

 黒森は視線で眼鏡のディスプレイを操作し、SOSを発した。怪しい挙動を察知したフォルゥは、黒森をビンタした。顔がお面のように削ぎ取られ、すぐ横の壁にべちゃっとへばりついた。

「がぼがぼがぼ……ッ」

 脳と咽頭を露出した黒森は青い血を噴いてじたばたした。フォルゥがジャンプして胸にドロップキックを浴びせると、背面から飛び出した黒森の二つの心臓が逃げ惑う患者の背中にクリーンヒットし、惨状を拡大した。

「えいっ! なのだ!」

 膝を折って倒れかかった黒森の首を、蹴り刎ねる。うつ伏せに倒れて痙攣する黒森の背骨を、フォルゥは入念に踏み砕いた。

「ふぅ~、やっと死んだのだ。しぶとい奴だったのだ」

 言語は違えど悲鳴はどの世界も一緒のようで、人間どもがわあきゃあと叫んで走り回っている。うるさいので全員殺そうかなどと思っていると、フォルゥはベンチの横に膝を抱えて座り込む幼女を見つけた。小刻みに震え、怯えた目でフォルゥを見上げていた。

「わぁ、子供なのだ!」

 フォルゥが瞬間移動と見紛う速さで目の前に移動すると、幼女は驚いて壁に後頭部を強打した。とうとう大声で泣き出した幼女の前に、フォルゥはしゃがんだ。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を覗き込み、フォルゥは黒森の胃を差し出す。フォルゥは首を傾げ、にこっと笑った。

「食べる?」

「あ~~~~~~~~~~」

「や~ん、かわいいのだ~♡」

 迷彩服を着た男が廊下に駆けつける。騒ぎを聞きつけた自衛隊の衛生科隊員だ。フォルゥと幼女を見つけ、周囲に目を配りながら走って来た。

「どうした!? 大丈夫か!」

 血が青い所為か黒森の死体は死体に見えていないらしい。容姿に多少の不審さを覚えるも、衛生科隊員はフォルゥのことも要救助者と捉えていた。

 狼の耳がピクンと跳ねる。

「あ、なんか来たのだ」

 フォルゥは出し抜けに立ち上がり、すぐそこまで近づいている衛生科隊員に黒森の胃を投げつけた。

 反射的に目を閉じた衛生科隊員が次の瞬間――真っ二つに裂け――音速で飛び込んで来た蜂尾の硬質ソードが、フォルゥに切りかかった。

「わぁお☆」

 黒森の胃が蜂尾の顔面に当たり、破裂する。

「!?」

 風を切る黒色の刃を、フォルゥは素手でタッチした。

 ベンチや壁の掲示物を吹き飛ばしながら、蜂尾が猛スピードで廊下を飛び過ぎた。

 蛍光灯と病室の窓が衝撃波で割れる。くるっと宙返りして着地したフォルゥが幼女を見ると、鼓膜が破れたショックで気絶していた。

「ありゃりゃ~。寝ちゃったら悲鳴が聞けないのだ」

 フォルゥは背後を振り向き、廊下の三十メートルほど先に居る蜂尾を見た。逃げ去る患者に衝突する寸前で停止した蜂尾は、壁を鋼鉄の翼で削りながら旋回した。

 袖で顔を拭い、蜂尾は自分の右腕を見た。肘から先が無く、グロテスクな断面から金属片が露出していた。

「……」

 ギロリと、フォルゥを睨む。

「ほぉ~ん。へぇ~なのだ」

 フォルゥは腕ごともぎ取った硬質ソードを検めた。爪でコツコツと叩き、指先を軽く当てて切れ味を見る。腕の部分は握り潰せるが、剣身の方は傷一つつけられないほど硬かった。

「翼……ドラゴン並みの速さ……そっか! わかったのだ!」

 腕をポイっと捨て、フォルゥは蜂尾を指さした。明るく笑う彼女の瞳が、月光のように輝いた。

ったの、お前なのだ?」

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