第六話 形あるもの

「ごめん……光基……」

 優はそう言って僕の胸から頭を離す。優の頬に貼られている絆創膏は粘着力を失い、やわやわとしわを作っている。優の口角はまた、強がるみたいに上がっている。変わらないなと思い、僕もほっとした。

「全然」

 僕はそう言う。

 優は気持ちを切り替えるように何秒か目を瞑り、今度はちゃんとした笑みを見せて言った。優の澄み切った眼は、まだ少し潤んでいる。

「……なあ、検査終わったらさ、駅前にあるカフェ行かね? 夜野先生がおすすめしたとこがあんだけどさ」

 こうやって話題を切り替えるところも、実に優らしい。

「へえ、夜野先生、そこで執筆してるの?」

 自然と僕の声のトーンが上がる。

「ああ、なんかぱっとしないときとか、アイデアが浮かばないときとか、そうしてるらしいぜ」

 僕は夜野先生の顔を思い出す。最後に会ったのは、何か月前だっただろうか。僕の通う大学のある市のマンションに住んでいるということから、自然と優と夜野先生の、小説家仲間とでもいうのだろうか、そんな関係がいつの間にか築かれていて、僕も何度か顔を合わせたことがあったのだ。丁寧にメイクが施された彫りの深い顔、ウェーブを描く外巻きの髪型。余裕がありそうで、同時に柔らかさや優しさも醸し出しているような、かなり印象に残る人だった。

「……じゃあ、明日検査終わったら行くか」

 僕がそう言うと、優は無邪気に白い歯を見せて笑い、

「ああ!」

 と言った。優のどこかお調子者のエキスをたらりと垂らしたみたいな性格をその笑顔から感じ取り、僕は心の底から安心した。

 優は読書灯の明かりを消し、僕達は眠りにつき始めた。いやに優の泣き顔が頭の中に残り、僕は胸が締め付けられる思いがした。


 ***


 朝、僕は目を覚ました。ぐっすり寝たとも、寝不足ともつかない、微妙な目覚めだった。

 優しい白い光がカーテンの隙間から漏れていて、僕はベッドから体を起こしてカーテンを開けた。まだうとうととした眠気を含んだような、淡い青をした空が僕の目に映った。

 僕はベッドから出て、安心したような顔をして眠る優の横顔を見た。

 僕は優の肩をゆする。んん、という声を上げて、優は目を覚ます。

 優がこうやって生活できていることが、こうやって一緒にいてくれることが、僕にとってどれだけ嬉しいか、優は、知っているのだろうか。

 きっと優とは、友情でも、恋愛感情でも、性的感情なんかでも表せない何かでつながっている。社会が名前を付けた、形あるものに、僕達は当てはまらない。

 だけど、こうして一緒に居られることが、今はただ幸せだ。

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