レムポイント(6)

 染石はいつも通りの呑気な調子で手を振りながら近づいてくる。僕はというと、染石による『なにしてんのー』という問いに対する答えを探すために、今の自身の状況を振り返る。

 日向で乙百ら選手たちを応援するのにも疲れたので、日陰のある場所で時間でも潰そうかと思っていたところに鞘草がいて、少し会話をしたら彼女は染石を見つけてたった今去っていった。行動と行動の間隙。驚くほどに何もしていない空白のタイミングだ。

 しかし、何もしていないと言うのも何だかはばかられる。どう答えようかと迷い始めたところで、質問をした側の染石のほうが口を開いた。


「まあ、何かしているようにはみえないけど」


 質問しておいて自分で答えるというのは会話のルール違反じゃないだろうか。少なくとも現国や英語では失点が付きそうだが、でも、それも染石らしいように思える。

 僕は渋々うなずきながら「ちょっとサボってます」と言った。「ふーん」と、あまり興味はなさそうな染石。それから彼女は「今誰かと喋ってなかった?」と質問を重ねる。話題というか、彼女の興味の変遷に少したじろぎながら、僕は上階へ続く階段の方を見遣った。


「さっきまで、隣のクラスの鞘草さんと話してました。ちょうどスマホの電池が切れそうとのことで教室に充電しに戻りましたよ」


「……へえ。蓮ちゃんと仲いいんだ」


 気持ちだけ間のある反応。まさか染石は鞘草泥棒説を信じている手合なのだろうか、と思ってから、染石が鞘草のことを『蓮ちゃん』と呼んでいることに思い当たって考え直す。

 僕もうろ覚えなくらいの鞘草の下の名前である。それを呼び名としていること自体が染石の鞘草に対する好感度の証左とも取れる気がして、僕は邪推を振り払った。


「鞘草さんとは、たまに話すくらいです。乙百くんが仲いいらしくて」


「そっか。九空埜ってなんか乙百と話してること多いもんね。……と、そうだ。ちょっと聞きたいことあるんだけどさ」


 思い出したような様子の染石。声が少し小さくなり、それと併せて彼女は一歩踏み出してきて、距離も比例して近くなる。


「あのさ、九空埜の周りに、様子が変わった人とかいない? 体調悪そうとか、余裕なさそうとか、性格変わったな、みたいな」


 急に、何の質問だろう。唐突な彼女の質問の意図があまり読めていないまま、僕は素直にかぶりを振って否定する。


「いえ、特に思い当たる人とかはいないですね……。ただ、新学期ですし、もし何かが変化してても分からないかもしれません。皆さんほとんどが初対面のはずですから」


 変化の話はある程度の期間を定点的に観測して初めて語ることができるものだ。しかもそれが物理的なものではなく精神的なものときた。難易度の高い話である。むしろ自信満々に『変化に気がついた』と宣う輩のほうが信用ならないまである。

 もちろん、そんなことは染石にもわかっているのだろう。表情に『やっぱり』と『ざんねん』を混ぜながら、『つかれた』まで加えてみせる染石。眉や口元、目の動きで不思議と伝わってくる器用な百面相を披露しながら彼女は「そうなんだよねえ」と呟いた。

 そうして困っている様子を見ていれば、言われなくても察してしまう。どう考えても『夢』がらみのことに違いない。

 染石はバレていないつもりなのだろうか。きっとそうだろう。彼女は以前、共有夢の中で、僕を巻き込まないように取り計らってくれた本人なのだ。自ら意図的に僕を『夢』の話に巻き添えにはしないだろう。

 そういうところに気が回らないほど彼女は、そして師階田を含めた彼女たちは苦戦しているということか。

 ……僕は小さく息を吐いて、それから染石の目を見据えた。


「『夢』の……というか、『淀み』の件ですよね」


 僕が問いただすと、はっとして、後悔したような染石。


「ゴメン。九空埜を巻き込むつもりは無くて、ちょっと聞いただけだから」


 自分の発言を顧みたのだろうか、申し訳無さそうな様子。僕のような人間なんて放っておくなり、新木田のように利用するかしてしまえばいいのに。そうやって律儀に落ち込んでいる様子は――ほとんど関わりなんてないのだから当然といえば当然だけど――クラスで目にすることはないものだった。

 不思議だなと思う。染石が味吉や新木田たちと騒いでいるときには、僕には『あの辺のキラキラした集団』としか見えないのに、今この瞬間には一人の人間として見ることができる。落ち込んでいる、ただの一人の女の子だ。

 僕は、今までちっとも……無関係であるとして、考えようとすらもしなかったことを、頼まれもしていないのに、考え始めた。


「……『悪夢』を患っているひとは、様子が変わるんですね」


 僕が聞くと、染石は驚いたように固まってから怖ず怖ずとうなずく。


「え……あ、うん」


 今までちょろちょろと聞いている話によれば、『夢魔』の多く発生する『淀み』には原因があり、それが『悪夢』であるということ。そして、『悪夢』はどうやら『共有夢』のどこかにあるのではなく、『誰か』が見ている夢であるらしい。その『誰か』を特定することが、悪夢を取り除くのに必要な要素なのだろう。

 合点はいく。師階田がわざわざ僕を頼ってきたことについて、その時は特に疑うことはなかったのだけど、彼女はアホみたいに強いのだ。バカみたいに強い染石よりも強い。更には染石にもないような『筆術師』の能力まで持っている。

 そんな人間が、僕を頼ってくるだろうか。

 理由は一つ。共有夢の中での活躍を期待していたのではなく、現実世界でのお手伝いが欲しかったのだろう。おそらく悪夢の罹患者が学校関係者であるところまでは絞れていて、その先の個人を特定するのに苦労しているのだ。

 染石は生徒だからいいとして、師階田は二十歳を超えているようなことをいつだか言っていた。そこにきて、昨今の物騒な世間の状況からして無関係の人間が学校に侵入するのは難しいだろう。よしんば侵入できたとして、教師や生徒に接触するとなるとさらにハードルが上がる。そうなると、探せるのは染石ひとり。それも、羊の群れの中で狼を探すほどわかりやすい話ではない、……見た目にはわからない、悪夢を見ているたった一人を探すのだ。

 だから、師階田は実力的に至らぬ僕でも誘ってきたんだろう。染石の負担を少しでも減らすために。


「具体的な変化の内容はわかったりしますか? 傾向とか」


「傾向……。私もこれまで沢山見てきたわけじゃないんだけど、怒りっぽくなったり、忘れっぽくなったり、ぼうっとしたりする人が多いと思う」


「……変化としては、小さいな……」


 それに、曖昧だ。

 このレベルの様子の変化に気づこうと思ったらそれなりの時間を一緒に過ごさなきゃいけないだろう。入学してから数ヶ月で気づけというのは酷に思える。だけど、逆に言えば……。


「でも、染石さんがここまで色々聞いても出てこないのであれば、すでに人間関係が成立しているだろう上級生や教師は外れそうですね」


 眼の前の染石はうなずくでもなく首を振るでもなく、僕の目をまじまじと覗き込んできた。


「……もしかして、九空埜、手伝ってくれるの?」


「それは……まだ、保留です」


 僕はきっぱりと否定する。得体のしれないことに踏み込むほどの勇気も理由もないし、手伝うとなったら自分の行いに責任だって出てくるだろう。それを安易には背負えない。だから、いつもの僕であればこの先の言葉も言わないつもりだった。


「でも、もし、僕の周りで何かあったらお伝えします」


 それでもこんなふうに言ってしまったのは、どうしてだろう。理屈はないんだ。流されて言っているつもりもない。強いて言えば……『言いたかったから』。

 正直なところ、煮えきらないどっちつかずの言葉だろう。『行けたら行く』のような無責任極まりない言葉だ。それなのに、染石はそんな僕を責める様子も、呆れる様子も見せずにただ素直に笑ってみせた。


「ありがと。……事情を知ってる人がいるってだけでも嬉しい」


 ガッツポーズをした染石は自身に気合を入れるように大きく伸びをする。


「よっしゃ。それじゃ、私まだやることあるから! またね!」


 そして足早に去っていく染石。僕は小さく手を振りながら、日陰の校舎を出て、日向の応援席に戻ろうと思ったのだった。

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