流されていく先で(1)

 数学の授業中に刺激的な戦闘を行ったその日の放課後、僕は校外をいそいそと歩いていた。維目(いめ)駅へ向かうのではなく、避難所たるコンビニへ向かうのでもない。目的地は高校近くにある公園である。

 片手に持ったスマホでは地図アプリが起動している。地図上には自身の歩いている場所から公園までのルートが引かれており、僕の現在地を示す青い丸がノロノロと動いている。顔を上げれば見覚えのある小さな通り。昨夜の夢の中で師階田(しがいた)が犬コウモリに付け狙われていた道だ。

 もちろん今は夢ではない。その証拠に僕の他にも数人の歩行者がいる。彼らは思いもしないだろう。今自分たちの歩いている道に、化け物がいたんだぞ。


「練習、か……」


 僕は呟いた。

 公園まで足を運んでいるのは自分の意思でのことではない。終業前のホームルームで乙百(おともも)に誘われたからだ。曰く『二人三脚の練習しようぜ』とのことであった。

 どこかの部に所属しているわけでもなく、趣味があるわけでもない僕としては断る理由も見つからなかったし、何かあったら流されておくのが僕の流儀でもある。……夢の中で『淀み』とやらをどうにかするためにどうこうする、みたいな良くわからないことに流されるのはゴメンだが、乙百の話はそんなに大それたことでもない。拘ることなく快諾した。

 そして、肝心の乙百は所用あるとのことで現地合流となっているため、僕は一人スマホを頼りに公園に向かっているというわけだ。


「えーっと」


 公園についた僕は周囲を見渡す。面積的には高校の校庭くらいのこじんまりとした公園だ。遊具が数点と、後はだだっ広い砂地。雑草が方々に生えている。夕前の割には人が少ない。いくらかベンチが置いてあるが、座っているのはジャージ姿の女の子が一人。僕と同じ高校のジャージではなかろうか。他に人はおらず、もちろん乙百もいない。

 乙百、早く来てくれないかな……。

 居心地が悪い。人が何人もいる公園じゃなくて、ひと気のない公園で知らない女子と二人である。しかも服装からして同じ学校ともなると、とにかく落ち着かない。ベンチの女子の方を盗み見ると、もっさりとしたおかっぱ頭の下で涼しい表情をしている。彼女は不乱にスマホを操作しているので、何かゲームでもやっているのかもしれない。

 仕方ない。ちょっと時間ずらしてからまた来るか。

 近場の自販機でジュースでも買って時間を潰そうかなと思いたった僕は公園を後にしようと踵を返す。すると公園の入口から乙百が現れた。


「悪い! 遅れた!」


 僕と目が合い彼が一声。僕が「大丈夫ですよ」と返事したところで彼は僕から視線を逸らし、僕の背後へ。……背後?


「蓮(れん)も! すまん、待たせた!」


 僕はちょっと驚きながら、乙百の声に一拍遅れて振り返る。先程までスマホを一生懸命睨んでいたベンチのジャージ女が顔を上げて、それから挨拶代わりに片手をあげる。彼女は立ち上がるとこちらに近づいてきた。


「乙百。これはどういうことだ」


 彼女の第一声であった。気だるそうな低めの声が印象的。表情も気だるげ。もっさりとした髪の下から乙百を伺う両目が疑り深く開いていた。とはいえ、僕も彼女と全く同じ疑問を持っているので、彼女に倣って乙百の方へ目を向ける。僕たちの視線を受けて、彼はその整った顔で爽やかに笑った。


「蓮の運動不足解消のついでに体育祭の練習もしようと思ってさ。こっちは九空埜(くからの)。俺の二人三脚の相方」


 乙百に背中を優しく叩かれ、僕は反射的にジャージ女に頭を下げた。


「あ、九空埜です。乙百くんとは同じクラスで、えっと……」


 なんだっけ。自己紹介とかしたほうがいいのか? 続く言葉を探していると、ジャージ女が助け舟を出してきた。


「鞘草(さやぐさ)です。乙百と同じクラスってことは、C組だよね。私は隣のD組。よろしく」


 温度を感じない口調だと改めて感じる。言葉から得られる情報も最低限な気がする。だけど、敵意だったり悪意だったりがあるわけじゃないのはなんとなく伝わってきた。単純にあまり器用ではないのだろう。少し自分と似ている気がして僕は安心感を覚えた。

 ……これもなんとなくだが、彼女の視線からも僕と同じような感情を抱いていることが伝わってくるようだ。


「で――」


 鞘草は、じとりと乙百を見上げた。タッパのある乙百と小柄で華奢な鞘草が並んでいると、まるで親子から兄妹かのように見えてしまう。


「――今日は何すんの?」


 乙百は「そんなに焦んなって」と言いながらベンチの方へ。鞘草がそれに続いていくのをみて僕も追いかける。乙百はカバンをベンチに置くと、制服のブレザーとシャツを手早く脱いでTシャツ姿になった。そして、ズボンの裾をまくる。新品っぽいスニーカーが輝いている。


「もちろん今日も体力づくりの基本セットからだ! 俺の見立てでは……九空埜!」


 急に大きめの声で名前を呼ばれて「ひゃい!」と若干噛みながら返事をする。乙百は「普段運動、ほとんどしてないだろ?」と一言。僕は無言でうなずく。


「部活も入ってないって言ってたな。体育での動きを見る感じ、しっかり運動不足だろ」


「否定はできないですね……」


 自慢じゃないが運動習慣はゼロである。中学校でも帰宅部だった。たまに帰宅後、従妹に付き合ってバドミントンをしていたくらいか。昔から『ウロの夢』で歩き詰めているせいか、起きている時に改めて運動しよう、という気持ちにならないんだよな。

 僕の回答が予想通りで嬉しかったのか、笑顔で乙百は両腕を軽く振ってランニングのジェスチャー。


「じゃ、体育祭までの間だけでも少し走っとくぞ。活動は俺が部活休みの月木の放課後。自主練も可。蓮は意地でも自主練しないけどな。あと、次からは動きやすい服も持ってこいよ」


 まくし立てる乙百。圧倒されていると鞘草が「彼、まだOKしてないみたいだけど」と僕を一瞥。僕は「あ、いや」と断ろうとしてから、乙百の顔を見る。彼は一言も発していないのだが『もちろん走るよね?』と聞こえてきそうな表情だったので、僕は頷くことにした。


「そうですね。体育祭までなら」


 言ってから、乙百の顔を見て僕はホッとする。乙百が嬉しそうに笑ったからだ。彼が求めていた言葉はこれで良かったらしい。

 それからたっぷり二時間。筋トレとストレッチ、公園周りをジョギングしたり、上手な走り方のレクチャーまでてんこ盛りの内容である。乙百が運動メニューに詳しかったので確認したところ、陸上部に所属しているらしい。あんまり興味なかったから種目だとかは深く聞かなかったが、彼が色々と詳しいことには合点がいった。

 日が落ちてきて肌寒さを感じた頃、第一回目の活動は解散する運びとなった。

 自転車通学の乙百は学校に置いてきているチャリを取りにいき、電車通学の僕と鞘草は維目駅に向かって二人で歩いて行くことになった。


「疲れた……」


 久しぶりの運動で体が重い。身体を動かすこと自体は楽しかったが、今から帰って夕食を作るわずらわしさにうんざりし、心のなかでスーパーの惣菜を晩餐とすることに決めていると、鞘草が「つきあわせてしまったな」と呟くように言ってきた。

 運動中は――久しぶりに身体を動かしてしんどかったのもあって――あんまり落ち着いて話す時間もなかった。少しくらい、話しておいたほうがいいかな。

 僕は鞘草に「運動不足は本当だったので、いい機会でした」と返した。相手に不快感を与えないように、少し微笑んでもみる。


「鞘草さんは、乙百くんと昔から仲良いんですか?」


「いや、仲良くはないよ。普通。昔からの知り合いではあるけど」


 ドライである。そんな鞘草に対して、乙百の方は運動中も随分鞘草に気を回していたように見受けられたが……気のせいだったのだろうか。


「九空埜は、今日、乙百に無理やり誘われたんじゃないか」


「あ、そうですね……。まあ、でも、他にやることもないですから」


 事実だ。他にやることとか、やりたいこととかがあるならそっちをやっている。何もないから流されてみただけなのだ。

 ふと、今日学校でみた夢の中で会った染石のことを思い出す。もしかすると、染石の誘いに乗っても楽しいのかもしれない。今日は何もないから乙百の誘いに乗ってみたけど、存外楽しくもあったからだ。……いや、そんな気軽には決められないか。染石の話にはリスクだってあるんだし。


「まあ、嫌じゃないならこれからも頼むよ」


 思考の最中に放り込まれた鞘草の声。


「えっと」


 僕は一瞬考えてから、毎週月木の運動不足解消活動のことだと思い当たる。「もちろん」と頷き、それから「鞘草さんも乙百くんに誘われて始めたんですよね」と聞いた。彼女は「当たり前だろ。私が運動とか『らしく』なさすぎる」と言う。

 そして彼女は一息おくと、その醒めた目で明後日の方向をぼんやりと眺めた。


「……色々あんだよ。……まあ、今後ともよろしくな、九空埜」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る