第13話 暗殺者の思考パターン

 会議が終わると、集まっていたメンバーは速やかにそれぞれの受け持つ場へと展開していった。少佐とスタッフはは首相のすぐ近くに。大尉は司令部に使う予定の装甲車。部長は上空を周回するヘリコプター。その他のスタッフは自分が指揮するチームの受け持つ場所へ。わあたしは会場に離れた位置に止められた指揮用のバンへ。

 バンの中には通信装置が一式と、それにつながれたコンピューター、各種のディスプレイが備えられ、私の他に2人の社員が乗っている。迅速に移動する必要が出てきた時のために、50㏄のスクーターを横のラックに備えている。

 メインに使っているディスプレイには、街の地図と配置されている人員の位置、群衆の様子に加え、注意を要するポイントが表示されている。会議室を後にしてから、私はヘッドセットから流れる無線でのやり取りと、画面の中の人の動きにだけ注意を払い続けてきた。

 昼食代わりにビスケットをいくつか食べただけで、後はずっと座り続けている。カフェインは尿意の元になるので、コーヒーも口にしていない。

 現状では問題が生じていないものの、あまりに人通りと交通量が増えたせいで、あちこちで渋滞が起きている。事故は起きていないようだが、チームの動きが制限される危険性がある。それが大きな懸念材料だった。


 午後に入り、最大の目玉である首相の演説が始まった。可能な限り多くの人が見にこれるように、ラジオやテレビを通して関われるように、彼は演説の時間を昼休みと重なるように設定している。世間の人々にとっての昼休みは、我々にとってのピークタイムとなった。

 銃撃を警戒する立場の私にとって、首相が開けた場所に姿を現すこのタイミングが最大の山場になっている。演説中は彼の正面に護衛が出ることはできない。一段高い所にしつらえられた演説台の上に立つ首相は、銃口を向けるのに都合の良い的になる。暗殺者は群衆に紛れて近づくのが容易になり、狙撃手は最も容易なタイミングを得ることができる。


 狙撃の訓練を受ける中で私が学んだこと、そしてどの狙撃手も必ず学ぶことは、優れた射手と狙撃手はイコールではないということだ。

 たとえ世界最高の銃を手にしたオリンピック級の射手でも、距離がはっきりとわからない状態で、強風と雨の中で数百m以上先の動く的には当てることはできない。

 逆に射手の腕が並でも、100m以内の位置に近づいて、距離を1m単位で把握し、無風のタイミングを選べるなら、確実に成功させることができる。どれだけ腕がよくても、不適切な環境では命中させることができない。

 狙撃においては、確実に当てられる環境を見出し、セッティングするまでの準備に多くの時間が費やされる。狙撃とは、計画作りと事前準備も含めた作業のことを指す。

 撃つ前に自分の銃と弾薬の特性を完全に把握し、どの状況ではどのように弾丸が飛ぶかを知る。気象情報を参照し、どの位置とタイミングであれば飛ぶ弾丸が受ける影響が最も小さくなるかを考える。


 そして、最も重要なのが場所だ。自分の持つライフルで撃って届く範囲にあり、武器を持った状態で侵入できる場所かかどうか。射撃を行うタイミングまで見つからないでいられるか。そして、撃った後で誰にも姿を見られることなく抜け出して逃げ切れるか。

 狙撃を行う側は入念な計画に基づいてことを進める。そして私は彼らと同じように考えることで、その選択肢を先回りして潰す。

 良好な狙撃ポイントになる建物は立ち入りを規制し、入口には鍵をかけさせ、窓には雨戸を降ろさせておく。危険な場所は、地上と空中から目を光らせ、不審な動きがあれば私が訓練した狙撃手がそちらに銃口を向ける。モニターに表示されている場所の多くは、私がもし“釘打ち師”の立場ならどこを選ぶかを考えながら、1週間にわたって周囲を歩き回りながら検討した。

 奴が世界トップクラスの射撃技術を持ち、なおかつ数多のライフルの中から道具を好きに選べると仮定すれば、警戒するべき場所は相当な数になる。


 世界最長の狙撃記録は、2017年にカナダ軍の兵士がイラクの武装勢力相手に実行した3.45kmの狙撃だ。この際には.50口径の対物狙撃ライフルが使われた。次点では2012年のアフガニスタンでオーストラリア軍の兵士が行った2.95km。3位は同じくアフガニスタンで2009年にイギリス軍の兵士が行った2.45km。

 ライフルと弾薬、各種技術の進歩によって、狙撃の射程はとんでもないレベルにまで達している。もっとも、19世紀の時点で実戦における1.4kmの狙撃に成功した例もある。高精度なライフルと優れた射撃技術の組み合わせは、信じられないような距離からの殺人を可能にする。

 ただし、警備の際にはそこまでの距離を気にしなければいけないケースはほぼない。首相が演説を行うのは街の中だ。イラクのような見通しの良い砂漠でも、アフガニスタンのように遥か彼方まで見渡せる山岳地帯でもない。2kmや3kmも先から見通せる場所がめったにない。


 しかし、街中には別種の問題が多数ある。遠くから狙撃が出来なくとも、近づいて身をひそめることができるポイントが極めて多い。カーテンを閉めた部屋の一室で、窓をほんの少しばかり開けて、窓から1m離れた位置で狙撃姿勢を取られていると、外から見ても狙撃手を発見することはできない。

 風向きや日射の影響を最小限にして、なおかつ侵入も逃走も容易な場所ということを考えると、場所は絞られてくる。私の行ったことは、そうした場所を探し出し、当日には人が入れないようにして、警備チームを配備することだった。有能な狙撃手ならば、そいつらは私と同じ考えをすることに自信を持っている。

 奇妙なことに、私は人殺しが出来ない人間だが、人殺しと同じ考えができる。私は何年も狙撃の訓練を受け、卑劣な悪漢から無辜の市民を守る重要なタイミングに身を置かれてさえ、引き金を引くことが出来なかった。

 それに対し、“釘打ち師”の様な輩は躊躇なく弾丸を人の頭に撃ち込む。誰かを助けるためでもなく、完全な営利目的で、冷静に計画を立てて他者を殺害する。私が殺し損ねたヤク中野郎とも異なり、完全な正気のままで殺人を実行する。

 依頼主が虐殺を隠そうとする非道な連中で、殺す対象が多くの人から慕われている男だとしても、そいつには関係がない。


 警察にいたころにも、何度かその手の“プロ”の仕業と思しき事件に出くわしたことがある。特に腕利きだったのは拳銃使いの奴で、明らかになっている殺人の中で15件以上がこいつの手によるものではないかと私は考えている。

 こいつの場合は接近して拳銃で撃つというシンプルなやり口を取っていたが、撃つ前も撃った後も煙のように姿が消えてしまい、何の証拠も残さない。使う銃も毎回変えていたが、どの角度でも正確に頭の中心部を撃ち抜いて脳を破壊する正確な狙いと、5人以上の武装した相手を反撃も許さず1人で始末する手際の良さは、全て同じ人間によるものだと私は考えている。

 当然ながら証拠はないし、尻尾すらつかめないまま迷宮入りしているので、ただの推測に過ぎない。ただ、殺人を請け負う腕利きのプロという物が存在するのは確実だ。他にも夜中に人をさらう拷問屋、ナイフ使いの女、その場にある物を凶器にする奴など、噂や状況証拠からその存在は示唆されている。

 私が警戒している“釘打ち師”もそんな連中の一人だ。狙撃の技術に関しては、私は奴の考えをトレースできると思っている。だが、引き金を引く瞬間、殺すという意思の実行に関してはその限りではない。

 私が一歩を踏み出せなかったあの境界をやすやすと越える連中の心の内を知ることはまずないだろう。

 様々なことを考えながら、私は腕時計に目を落とした。首相のスピーチはすでに始まっている。

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