四十九、おかえりなさい



「終わったな、」


「ああ、なんとかな」


 鬼灯はふんとそっぽを向く。知りたかったこと、知りたくなかったこと。その半分くらいしか聞き出せなかったことが、今更悔やまれる。しかし、どれだけ後悔しようが、考えようが、時間は戻らない。らしくない、と鬼灯は首を振って、そのまま妖刀を消して自らも消える。


「本当に良かったのかい?君の記憶が消えてしまったことの原因が、わかったかもしれないのに。と言っても、あの状況じゃ、それ以外の選択肢はなかったかもだけど」


「いい。あれが関わっていたとなれば、ろくなことはないだろう。それに、お前が言ったんだぞ。自分が何者か、それはそんなに大切な事か?と」


 紫紋は「そういえば、そんなことも言ったかな?」ととぼけた口調で言い、笑みを浮かべる。自分自身、抜け落ちた記憶は戻っていないが、あの時、なにが起こっていたかはなんとなくだが把握した。今も心の奥で渦巻いているなんとも言えない感情が、波のように押し寄せてはひいていく。


「ひとつだけ、わかることがある。少し前に、何度か夢を見た。おそらく、誰かの意識を共有していたのだろう。時間軸も滅茶苦茶だった。その先で、ある少年に会った」


 少年もまた、禍津日神まがつひのかみに利用された被害者のひとり。彼の寿命はもう、つきかけていた。その意識に触れた時、見てしまった、モノ。だから、助言してやったのだ。それは意味がないし、もう、どうにもならないのだと。


「平良と関りのある者だと、思う。その夢の中で、少年に依頼をされた」


「どんな依頼?」


 梓朗はその光景を思い出しながら、この幽世かくりよに平良が迷い込んだ時のことを思い出していた。


 魂を禍津日神まがつひのかみに回収される前に、平良をここに導いたのは、もしかしたら、あの少年かもしれない。


 あの約束を、自分に果たさせるために?それとも、本当に偶然に?


「守って欲しいと。平良を知っているなら、彼を自分の代わりに守って欲しいと。自分の持っているものは全部あげるから、引き受けて欲しいとも。自分はもう、いなくなるから······と。同じ意識の中に存在したこと。これもなにかの縁だから、とも」


「そっか。平良くんにはそのことは言わないつもり?」


「わからない。いつか、話せる時に話す。あいつが信じるかどうかは知らんが」


 その、共有していた夢の影響だろうか。平良を見て、なにか想うところがあったり、懐かしいと思ったりした、不思議な感覚。


(あれは、俺の記憶じゃなかったんだな、)


 なんとも言えない表情を浮かべ、梓朗は遠くからこちらに駆けてくる平良たちを視界の隅に入れた。


(それに、禍津日神まがつひのかみがあんなに簡単に捕まったことも、なにか引っかかる····まだなにか企んでいるのか?だとしたら、俺は)


 紫紋はそんな梓朗の様子を見て、よしよしと猫でも撫でるようにその頭を撫で回す。珍しく抵抗はされず物足りなかったが、よく頑張ったね、とひと言囁くと、目を細めて微笑んだ。


「弥勒さん!」


「弥勒様!」


 間もなく平良と識が駆け寄ってきて、止まることなく梓朗に抱きつく。識は腰の辺りに、平良は身体ごと、左右から。目を細め、慈しむようにふたりの肩に手を伸ばそうとしたその時、予想もしなかったモノまでが、こちらに突進するかのように向かってきた。


「ちょっと待て!あれをなんとかしろ!!」


 顔色を一変させた梓朗が、平良に訴えるように命令する。あれ、とは黒い毛に覆われた"あれ"である。やれやれと紫紋は肩を竦め、苦笑いを浮かべた。平良が手懐けたのであろう大神おおかみが、新たな主人めがけて嬉しそうにこちらに向かって来る。


 穢れの元凶であった禍津日神まがつひのかみが消えたことで、あの赤眼も元の金眼に戻っていた。


「ああ、駄目っすよ、わんこ!弥勒さんは犬が苦手なんだから」


 平良は抱きついていた弥勒から離れ、両手を広げて前に立つと、「めっ」と軽く叱るように大神おおかみを宥める。大神おおかみはぶつかる寸前で止まり、そのまま平良の前でしゅんと項垂れると、地面に伏せをした。


「弥勒さん、このわんこ店で飼ってもいい?」


「駄目に決まってるだろ!でかすぎて店が壊れる」


「たしかに、飼うには大きすぎるよね······番犬としては有能そうだけど」


 あはは、と紫紋はその体躯を改めて眺める。この大きさでは店の扉すら通れないだろうし。だが、かと言って捨て置くこともできない。


(それ以前に、弥勒様が犬と一緒に生活する姿が想像できません)


 識は梓朗に抱きついたまま、そのやり取りを見て心の中で呟く。そもそも犬が苦手というか、無理というか、絶対に拒否すると思ったのに、理由が店が壊れるから?なのが不思議だったが、そこは黙っておこうと識は言葉を呑み込む。


「え、小さかったらいいってことっすか?わんこ、小さくなれる?」


 わん、と大神おおかみは犬のように答えて、得意げに鼻をふんと鳴らすと、平良の要望通り、その大きな体躯を縮ませてみせた。みるみると小さくなった大神おおかみの姿は、抱き上げられるくらいの子犬の大きさになり、平良と識は目を輝かせた。か、かわいい!!


「弥勒さん、これならいいっすよね!世話はもちろん俺がするっす!」


「······勝手にしろ、」


 平良の満面の笑みには勝てず、梓朗は疲れた顔で渋々承諾するしかなかった。


「じゃあ、色々と問題も解決したところで、俺たちも帰ろうか。まあ、今まさに"逢魔が時"のようだけど」


 あのけたたましい鐘の音が、洞穴の入口の方から微かに聞こえてきた。

 紫紋が腰に手を当ててふっと笑みを浮かべる。こんな時に朝陽でも昇っていたなら、非常に美しい場面だったろうに、ここは生憎の幽世かくりよ。しかも洞穴。外はちょうど"逢魔が時"という、なんとも言えない時間帯だった。


「タイラの不運がなくなったか、試してみるのもいいかもしれません」


 元凶であった禍津日神まがつひのかみは隔離され、影響をあたえることはできないはず。ならば、最強最悪の不運体質も消えているかもしれない。


「それは良い考えっすね、ちょっと怖いけど」


 ずっと付き合ってきた不運も、こうなるとなんだか寂しい気もする。


「帰るぞ、俺たちの家に」


 梓朗を先頭に、それぞれが後に続く。

 洞穴を抜け、森を抜け、彼岸橋を渡り、あの古めかしいが思入れのある街並みが見えてくる。逢魔が時。"穢れ"がなくなったわけでも""がいなくなったわけでもない。それでも。


 幽世かくりよの日常が戻ってくる。


 賑やかしくも怪しげなそのセカイは、平良にとってかけがえのないものになっていた。これからもずっと、ここにいてもいいのだろうか?いたい、と思ってもいいのだろうか?


「なんだか、ものすごく長い間帰ってなかった実家に、久々に帰ってきた気分!」


 そんなに時間は経っていないはずなのに、そう思えてしまう。そんな平良に、梓朗は胸元で右手の手の平を翳し、ふっと口元を緩めた。


「おかえり、平良」


「おかえりなさない、タイラ」


「おかえり、平良くん」


 三人のその言葉に、平良はなんだかじんわりと胸の辺りが熱くなる。

 やばい、泣きそう!そんな気持ちが込み上げてくる。腕の中のちび大神おおかみがはっはっはっと舌を出して見上げてくる顔は、まるで機嫌よく笑っているように見えた。


「········ただいま!」


 喉から絞り出すように、やっと出た言葉。

 帰る場所がある。迎えてくれる人たちがいる。

 それは、当たり前すぎて忘れていたこと。


 夜を告げる鐘が鳴り響く。いつもの趣のある街並みが、なんだか落ち着く。

 こんな風に、「おかえりなさい」と「ただいま」が言える場所があるということ。



 気付けばこの「華鏡堂かきょうどう」は、帰る場所になっていたのだ。



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