三十八、運命は、変えられない
早く、早く、早く、早く――――。
転校日、初日。先生に連れられて教室までの道のりを歩く。焦る気持ちと、不安。早く逢いたい。確かめたい。早く。先生を追い越して駆け出したい気持ちを抑えながら、俺はなんとか歩幅を合わせる。
扉を先生が開けて先に教室に入り、簡単な挨拶の後、教室の外にいる俺に手招きした。俺は気持ちとは正反対に、ゆっくりと教室に足を踏み入れる。一瞬、瞼を閉じてしまったのは、薄暗い廊下にいた時には無かった光が、窓から差し込んだから。
「新堂くん、自己紹介できるかな?」
ざわざわと騒めく教室の中、転校生である自分の方を全く見てくれない子がひとり。窓の外を眺め、興味なさそうに時間を潰しているその子は、まだ俺のことを知らない。
「はじめまして、新堂奏多です。これから、よろしくお願いします」
「ありがとう。新堂くんの席は、この列の一番後ろの席ね」
はい、と頷いて、俺は用意された席へと向かう。あの時と全く同じ会話、同じシナリオをやり直している気分だった。
朝のホームルームの後、クラスの連中が何人か押し寄せてきた。彼ら彼女らの質問に適当に答え、次のチャイムが鳴るまでそれは続く。
隙間から見える平良は、相変わらず外ばかり眺めていた。
昼休み。
クラスの女子たちを無視して、俺は窓際の一番後ろの席に向かった。ちょうど弁当を包んでいた布に手をかけようとしていたので、その横に立ち、ちょっといい?と声をかけた。
「······なにか、用?」
ものすごく怪訝そうにこちらをちらりと見上げて、自分に声をかけてきた人物を確認し、それが俺だとわかるとすぐに視線を逸らした。初対面でこれはマズかっただろうか?けど、時間が惜しかった。
本来なら、最初に声をかけたのは、転校してからひと月後くらいだった。それから特に何も考えないで何度か声をかけて、いつの間にか目で追うようになっていた。皆と違う方向を見ている平良が、なにを見ているのか気になったのだ。
それから、弁当をつまみ食いして、ずっと距離が縮まった。それは最初に声をかけてから半年後だったので、かなり時間をかけてからとった行動だった。それでは時間がもったいない。
「そのお弁当、手作り?」
「······そうだけど、」
周りの視線、囁く声、そんなもの、どうだってよかった。
「俺にも分けてくれない?弁当忘れちゃって、」
もちろん、嘘だ。わざと買ってこなかったのだ。
平良はすごく不審そうに、俺と弁当を何度か交互に見やって、それから教室の空気を感じ取ったのか、俯いてしまった。
これは少し強引すぎただろうか?もしかしたら、誤解されたかも?よくよく考えたら、いじめっ子が弁当よこせって言ってるような感じに映ってる?
(まずい。確かに初対面でこれは、警戒されたかも?)
頬を掻いて、うーんと俺は次の作戦を考えようと言葉に詰まらせていると、意外なことに平良の方から「あの、」と声をかけてくれた。
「······君、目立つから、俺と一緒にいない方が良いと思うよ」
その声はそっと小声で囁くような。
「お弁当、欲しいなら、あげる」
平良は包んでいた布ごと俺に弁当を押し付けてきた。その表情はどこか怯えていて······これはすごくマズい!!
「あー····違う違うそうじゃなくて!」
「は?な、なに!?」
押し付けられた弁当はとりあえず受け取り、ついでに平良の腕を掴んで立たせる。
(あれ?俺、なにやってんの!?これじゃあ、本当にいじめてるみたいじゃん!)
混乱する頭をなんとか整理し、俺はそのまま平良と共に教室を出た。クラスの連中は俺のその行動に、もはや呆然としていた。
無言で弁当と平良の腕を握り締めたまま、体育館の裏へと向かう。
(いや、俺、ホントになにやってんの!?)
ふたり、階段の上に座り、無言でグラウンドを眺めていた。昼休みも中盤、昼食を食べ終えた何人かの生徒たちが、サッカーをしたり、遊具で遊んだりしていた。
「俺には、関わらない方が良いって、みんなに言われたでしょ?それ、冗談じゃなくて本当だから、気を付けた方が良いよ?」
平良は返してもらった弁当を膝の上に置いて、俯いたままそう言った。折角の平良の手作り弁当が、少しも食べてもらえずに悲しんでいる気がする。
俺はよし、と心を決めて、本来すべきことを改めて思い出す。
「俺は、新堂奏多っていうんだ」
「····知ってる」
「はは。だよね!じゃあ、ほら、君の名前、教えて?」
え?と平良は視線をこちらに向け、驚いたように顔を上げた。それから少し考えて、ぽつりぽつりと言葉を零すように呟いた。
「······鷹羽、平良」
「タイラくん。平和の平に良い子の良?」
「え?なんで知ってるの?」
あ、またやってしまった····。
平良はまた不審な人物でも見るような目で、こちらを見てくる。誤魔化すように、俺は弁当を指差して、それ、食べようよ!と提案する。平良もお腹が空いていたのか、遠慮がちにその提案に頷いた。弁当の蓋を開け、俺の方を見てくる。
「俺が作ったんだけど、それでもいいの?」
「もちろん!俺、手作りの弁当はじめてなんだ。めちゃくちゃ美味しそう!」
その日から、平良は俺の分も弁当を作って来てくれるようになり、こうやって教室の外で食べるのが日課になった。そしてほどなくして、彼の親友の座を得ることに成功する。
三年後————。
雨の日。あの横断歩道で。全く同じ行動を平良は取る。靴ひもが解け、それを結び直そうとした。その腕を掴み無理矢理立たせると、俺は横断歩道を急いで渡り、歩道へと移動した。
「ちょっ····どうしたんだよ?まだ青信号で、余裕あったのに、」
「そんなの、いいから!こっちに来て!」
現に、まだ信号は青だった。平良は嘆息し、文句を言いつつも靴ひもを直そうとその場にしゃがみ込む。青い傘で隠れてくれたおかげで、俺が今どんな顔をしているかを平良に見られずに済んだ。
ほっと安堵をしていたその時、俺の後ろで鳴り響いたタイヤのスリップ音。次に大きな衝撃音。目の前でトラックと車が正面衝突をしていた。耳障りなクラクションの音。一定の間隔で鳴る警告音。あの時と同じ光景が、振り向いた先に広がっていた。
「······俺、もしかして危なかった?」
平良が青ざめた顔で見上げて来る。俺は、震える指先を握り締め、心の中で叫んでいた。
これで、平良は死なない!
未来は変えられるんだ!
変えられた!
「奏多?大丈夫?」
俺はその場に膝を付き、思わず平良を抱きしめていた。驚いたように平良は目を見開いていたが、目の前で起こった事に対してびっくりしたのだろうと思ってくれたのか、俺の背中をゆっくりとさすってくれた。
「······よかった····っ······ホントに、生きててっ」
「うん?奏多のおかげだな、」
降り注ぐ激しい雨は流れる涙さえ溶かして、俺の感情も少しずつだが冷静にさせてくれた。事故によって起こった、緊迫した騒がしさの中で、もう大丈夫、そう、俺はひとり安堵していたのだった。
けれどもその一年後、また平良が目の前で死んだ。工事現場で、落ちてきた鉄骨の下敷きになったのだ。
そして俺はまた、小学三年生のあの日に戻っていた――――。
その後も何度も何度も、回避しては次の死が生まれ、その度に俺はあの日に戻される。九十九回目の死を目の当たりにした時、高校生になった俺はやっと気付いた。
運命は、変えられない――――、と。
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