第35話 一章エピローグ
夕涼みの丘公園で私たちは新田さんを失った。その悲しみは深く、決して忘れることはできないだろう…。
あれから一年が経った…。
私と拓弥君は、あの後正式に交際を開始したが、新田さんのこともあって、二人の中で結婚の話が上がることは無かった。
拓弥君は、しばらくは会社で営業を続けていたが、右手の麻痺が完全に戻らなかった為、会社を退職し、自分で新しく会社を起業することにした。
そして私は、新田さんのこともあり、会社に留まることが辛くなり、退職して拓弥君の会社経営を支えることにした。
新しい会社は、現在3人で運営されている。社長であり、営業も開発も担当する拓弥君。ロボット開発会社の後輩で技術者の長谷川さん。そして事務全般を担当する私の3人である。拓弥君や長谷川さんは、前の会社のノウハウを活かして、医療や介護をサポートするロボットの開発と製作を行っている。
既に拓弥君と長谷川さんのコンビで一つのアイテムを完成させた。それは、拓弥の鈍くなった右手をサポートするロボットアームである。現在、他社でも製品化されているが、拓弥君のロボットアームは、更にグレードアップした優れ物なのだそうだ。
製品化には、精細な部品などの確保が必要となるが、拓弥君が営業時代に中小企業との縁を築いたことが役に立ち、軌道にのりつつあるようだ。私も、拓弥君も新田さんのことでは深い傷を負うことになったが、忙しくやり甲斐のある会社運営に追われて、徐々に平穏を取り戻しつつあった。
――――
《夕涼みの丘公園》
今日は、私にとって大切な日だった。それは、クリスマスイブで、私の誕生日であり、新田さんの命日でもあるからだ。拓弥君と午前中の早い時間に移動し、一年ぶりに夕涼みの丘公園に足を運んだ。
新田さんが亡くなった場所でもあり、拓弥君は私を気遣って、これまでこの場所から距離を置いていた。しかし、今日は新田さんの命日であり、私たちは彼のお参りするためにその場所を訪れた。
一年前と違い、日中に訪れたために、私たちの目に映る景色は、以前とはかなり異なって見えた。
私たちは新田さんが倒れた場所に向かった。そこには、新田さんの命日を知る人が献花を添えていた。私たちも、持参した花束を近くに置いた。
私は、そっと瞳を閉じた。あの時の様子がまだ脳裏に鮮明に残っていた。新田さんを失った悲しみが胸いっぱいに広がり、涙が溢れ出したのであった。
「真由?大丈夫?」
「ごめんなさい。思い出してしまって…。」
「そうだね。ここでの出来事は、真由には刺激が強すぎたかもしれない。でも、俺たちは新田さんが守ってくれた未来を、一歩ずつしっかり前を向いて歩んでいかなければいけないんだ。」
「そうね。新田さん。私たちを助けてくれてありがとうございます。」
私は、目を閉じ、両手を合わせ、新田さんを思い浮かべながら祈りを捧げた。やわらかな風が献花を揺らしていた…。それは、まるで新田さんが返事を返してくれているように感じた。
「拓弥君。お祈りは終わった?もう行く時間だよ。」
「いや、もう少し待ってくれないか。俺には、まだここでやるべきことがあるんだ。」
「えっ…?拓弥君?」
「一年前の今日。俺は、新田さんに頼まれてここへやって来た。彼に頼まれたのは、自分に代わって真由のことを一生幸せにすること。だからあの日、あの後にこれを真由に渡すつもりで用意していたんだ…。」
拓弥君が取り出したのは、ハート型にデザインされたリングケースだった。高級感漂うケースの素材から、これが何を意味しているかがすぐに伝わった。
「拓弥君。これって…。」
「真由、待たせてしまってごめんな。一年前、新田さんに背中を押されて、あの場でこれを渡すつもりだった。もちろん、新田さんにも祝福してもらうつもりだったんだ。」
拓弥君は、リングケースを開けて中身を見せてくれた。美しいダイヤモンドの石が太陽の光を受けて、輝きを放っていた…。
「わぁ、キレイ…」
「俺は、新田さんの想いも引き継いで、必ず真由を幸せにすると約束します。だから、俺と結婚してください!」
拓弥君は、膝を折り、重心を前に傾けて、まるで恭しくもある騎士のような様相で私を見上げていた。ダイヤモンドが輝くリングケースを、手に優しく抱え、私を一目見る度に、微笑みが顔に浮かんでいた。その表情は、まるで夢を実現させる喜びと幸福感にあふれていた。
私は、長い年月が経ち、ずっと待ち望んでいた言葉が拓弥君の口から出たことに驚き、幸せと感動で胸がいっぱいになった。そして、諦めていた未来が再び動き始めたことに感動して、涙がこぼれ落ちた。
「はい!」
私は、涙でぐちゃぐちゃになった顔を必死に笑顔に変え、しっかりとした口調で返事をした。その時、私は、胸の奥に溢れる感動を抑えきれなかった。だが、私は嬉しさと感謝の気持ちを込め、自制心を保ちながら、返答をしたのだ。
拓弥君は、昔のように優しく私の涙を拭ってくれた。そして、リングケースから取り出した婚約指輪をそっと私の薬指にはめてくれたのだった。私たちは、その場で、ふたりで抱き合い、思い描いていた未来が目の前に現実となった瞬間を噛みしめた。私たちは、人目を忘れ、愛を確かめ合うため、自然な形で口づけを交わした。
周りからは、祝福の拍手が送られてきた。私たちに向けられた大勢の人々の喜びに、私たちは、ふたりで幸せな笑顔を浮かべた。
「新田さん!一年前にあなたに見せつけるべき光景を、今ようやく実現出来たよ!おーい!聞いているかー!ありがとう!」
拓弥君は、喜びに震える声を上げながら、空に向かって叫んでいた。私は彼の背中をそっと撫でながら、その姿を見つめていた。
私たちは、新田さんの存在がなければ、今の幸せな瞬間を迎えることができなかったと思っていた。彼が私たちにくれたチャンスを、私たちは大切に守っていくことを誓い合った。
そして、私たちは今後も、新田さんの想いを胸に、幸せな未来を共に歩んでいくのだと心から思った。
3ヶ月後、私たちは、幸せいっぱいの結婚式を挙げた。
――――
《 11年後 》
11年が過ぎ去り、私たちは結婚し、二人の愛らしい子どもたちにも恵まれた。夫の拓弥さんは会社を率いており、現在では100人以上の社員を抱え、医療用ロボットの大手企業と肩を並べている。私たち一家は都心にマイホームを持ち、幸福に暮らしている。私たち夫婦が大学時代に夢見た未来は、長い時間がかかったものの、遂に実現したのだ。
「ママ!パパはどこにいるの?」
「パパは、自分の部屋で仕事をしているわよ。」
「分かった!ヒロくん、パパに遊んで貰おう!」
「あっ、お姉ちゃん待ってよ!」
私は庭で花壇を手入れしていたところ、子どもたちから遊び相手を求められた。今日は拓弥さんが家にいるので、子どもたちと一緒に遊ぶことができるだろう。
子供たちが去って、再び花壇に集中すると、突然、庭の塀の向こうから誰かが私を見ているような感覚がした。女性だったように思うが、詳細は分からなかった。その瞬間、不気味な感覚が私の身体を走り、鳥肌が立った。
私は確認するために立ち上がり、塀の側まで移動した。そこから道路の方を覗いてみるが、人の姿は見つからなかった。
「気のせいかしら…。」
私は呟いた。そして、花壇に戻る途中で突然、背後から声が聞こえてきたのである。
「みーつけた!」
私は、驚きのあまり悲鳴をあげた。目の前には、刑期を終えたであろう恵美さんが立っていた。彼女は髪が白髪混じりで目が窪み、同じ歳の女性とは思えないほど変わり果てていた。
「ようやく恨みを晴らす時が来たようね。私が味わった苦しみを今ここで晴らしてやるわ!」
恵美さんの叫び声に気づいた拓弥さんは、家の中から姿を現した。
「お前は…恵美か。何故ここに…。」
「拓弥。丁度いいわ。今度こそ、あなた達を道連れにしてあげるわ…。」
恵美さんの手には包丁が握り締められていた…。
―――― 第一章 END ――――
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