3rd. 王の道

 鬱金の旗を掲げた一軍は、いかにも煌びやかで、かつ洗練されていた。

 兵士たちによって、街道を歩く者は既に、その外に追いだされている。更に兵士は怒鳴る。こうべを垂れろ、修道騎士団にあらせられるぞ、と。

 黙って顔を伏せるサワタリに倣い、モモも頭を下げる。

「つゆはらい?」

 ようやく封鎖が解け、街道を歩く旅に戻ると同時に、モモは魔物のすがたに変げした。サワタリの肩に腹ばいになると──とても落ち着く。

「王族がお出ましになるからな。先刻の兵団は、その露払いだ。高貴な方がお通りになるまえに、道を清めるため帝都から行進してきている」

「王族……この世で一番偉い人間が、帝王だったか」

 モモは初等教育すらまともに受けていない。だから人間社会のことに疎い。といって、魔物社会について詳しいというわけでもないのだが。まあ──無知なのだ。

「一番偉くていられるのは、結界を張れるのが王の血族のみだからだ」

「……?」

「カラミタス・ディアボリで、プロスペルムの町の結界が崩壊しただろう? 今はウィザードたちが応急の結界を張っているが、魔物の侵入を完全に防ぐことはできていない。あれは早晩持ちこたえられず崩れる、脆いものだ」

 だから、王族が来る。サワタリはそう続けた。

「王族が張る結界は、魔物を完全に排除する。それこそ災厄という例外さえなければ、何百年も保つ強固な結界を施すことができる──世界のどの町にも、村にも」

「今までおれたちが訪れた町も、これから行く町も……この世の町はみんな、王族の結界が守ってるのか」

「そういうことだ。王族はその力を以て、人間を魔物から保護する。何千年もたった一つの王朝が世を統べていられる理由だな」

「血族っていったな。王家の血をひいているものでないと、結界が張れないのか?」

「正確には、王家の血を引く男子だ。男子のみが、結界を張ることをはじめとした、神の御業即ち秘蹟サクラメントムを執り行える」

 嫌な気持ちがした。モモは黙る。災厄の後の町で、男たちが女たちを蹂躙するのを、数えられないほど見た。否、災厄がなくとも。どの町でも、当たり前に男は女を虐げる。その差別の根源は、男にしか顕れない力を持つ王家にゆえがあるのかもしれない。

「現在の王家の男子は、帝王を始め、その祖父と、息子が二人、孫が一人だな。前王は老齢で、孫は幼若だ。帝王が帝都を空けることは考えられないから、王子のどちらかが来るんじゃないか」

「王子さまって、ほんとうにいるんだな」

「見てみたいか?」

 サワタリは口端を微かにあげ、肩に乗ったモモの背を撫でる。

「まあ、見れんだろうが。秘蹟の最中どころか、移動の間もずっと、修道騎士が厳重に警護している」

「つゆはらいまであるんだものな」

 鬱金の旗には、白い聖笏ワンズの文様が描かれていた。ワンズの文様は、兵士たちが揃いで持つ盾とマントにも輝いており、見事な統一感を醸している。一糸乱れず進む隊列は、これまでの町で見てきた兵士とは全く違うものに見えた。

「見ない」

「うん?」

「王子さまを見にいくより、ご主人の肩にとまって旅をするほうがいい」

 モモはサワタリの肩でのびをする。

「ひさしぶりに魔物のすがたに戻れたんだ。おれ、しばらくこうしていたい」

「そうか」

 プロスペルムの町にとどまっている間、ずっと人のすがたに化けていたのだ。──化けていた、というのは、本当は語弊があるのだが。実際、人のすがたでいることは、モモにとって負担ではない。だが、やはり魔物のすがたで、ご主人の肩のうえを居場所にしているのがいい。それがおれの自然のすがたなのだと思っている。

 そうしてご主人の肩で寛いでいたモモだが、サワタリが丁字路を曲がったところで、びょっと身を乗りだした。

 丁字路は三つの道の結節点だ。だが、新たに踏みこんだ道に、モモはびっくりした。背後に伸びる──来た道はありふれたものだったが、それが接続された道──左右に伸びる道に、眼を剥いたのだ。あまりに立派すぎて。

 これまで歩いてきた街道は、土を踏み固められただけのものだった。おうとつが激しいのは勿論、雨や雪ともなると泥濘になり、人の足も馬の足も大いに鈍る。だが、この道にはそんなことはないのだろう。何しろ、整然と石が敷き詰められているのだから。

 そも、その道は一段高い場所にあった。モモたちが来た道との接続箇所は傾斜となり、緩く上ってゆく。道は森の中を貫いているが、その地面よりも高い。両脇には側溝が掘られ、その更に外側には縁石が置かれている。

 路面に敷き詰められている石は、サワタリの手のひらよりも大きく、石と石の間は砂利で埋められ、道の表面は滑らかだ。土煙りをあげることもなく、するすると進む馬車は、大型のものが二台すれ違っても余裕がある。

「こんなすごい道があるんだな」

 モモの背を撫で、サワタリがつぶやく。

「王の道だ」

「王……帝王がつくったのか?」

「大昔の──伝説レベルの話しだがな。初代帝王が世界を慰撫する旅をした時、その歩いた後が荘厳な道となった」

 実際、とサワタリは続ける。

「王の道は、街道の中で最も安全だ。このとおり整備されているうえに、宿駅も設けられている。常に兵士が監督しているから、商人や芸人はこの道を好んで利用する。一方で、冒険者は好まない。冒険者は魔物の駆除や採取物を求めるから、王の道では仕事がやりにくい」

 モモは興味深くサワタリの肩から街道を観察した。ある間隔で立っている円筒形の石柱は、距離を示すものらしい。それから、夜間は道路が白く光ることも発見した。猫目石という小さな石が石畳の中に鏤められていて、それが淡く発光するのだ。

 雨の日は、水は全て道の両脇の側溝に流れてしまうため、果たして路面は荒れない。側溝の外側を彩る縁石が、雨に濡れてまた、風情がある。馬車が通った。水しぶきもあげず、粛々と進む幌馬車は、人と荷を満載している。馬でなく、ロバを連れている人も多い。旅人のすがたも様々だった。やはり商人らしき者が一番多いが、赤いベールを被った者も見た。ベールと同じ赤い布とひょうたんを縛りつけた杖を持ち、手首に数珠を巻いている。一人のこともあれば、数人のグループで歩いている者もいて、数こそ多くないものの、商人とは雰囲気が違い、なんとなく眼につく。他の街道では見たことがなかったから、あれは誰だとサワタリに訊いてみたが、知らないと云われた。サワタリも王の道を使ったことは数度しかないという。冒険者の副業で路銀を得ているのだし──本業が人殺しであるサワタリにとって、むしろ避けるべき道なのだ。絶えず警護に眼を光らせ、傷みがあれば補修するのであろう、巡回の兵とすれ違うことも度々だった。そこらの兵士とかち合ったところで、サワタリは眉一つどころか、心一ミリも動かさないのだけれど。胆力があり冷静で、べらぼうに強いのだ、モモのご主人は。

「ちょうど宿駅に着くな。今夜はベッドで寝るか」

 前方に見えているのは、四方を高い塀に囲われた建物だった。大きい。この王の道を歩いてくるとき(モモはサワタリの肩にとまっていただけだから、実質歩いたのはサワタリなのだが)、幾つか同じような建物があった。玄関口にぶら下がっている箍が、正式な宿駅のしるしなのだという。

 宿駅は、人が一日に徒歩で進める距離ごとに設けられている。が、なにしろサワタリは足が速い。単純な足の速さもあろうが、足の運びや身のこなしもあるのだろう。ともかく、一日に進む距離も、ふつうの人とは比べものにならないくらい稼ぐ。だから、夜ごとを宿駅で過ごす旅でなく──いつもの街道を行く旅と同じよう野宿していた。だが、今日はちょうど、陽が落ちるタイミングで宿駅に着いた。

 サワタリは鉄製の扉を軽々と開ける。塀の内側は室内だと思っていたから、空が見えてびっくりした。どうやら中庭らしく、周りを囲う建物が幾つか見える。厩があるのを見て、なるほど、こうして中庭に厩があるなら、馬泥棒も手がだせないんだな、と納得した。安心安全王の道である。

 左手に大きくドアを開けた館があり、サワタリはそちらへ進む。カウンターは、町で見る宿屋のそれと同じだった。宿の亭主らしい恰幅の良い男性が、ようこそ旅のかた、と迎えてくれる。

「おや、これはお珍しい。従魔をお連れでいらっしゃいますか」

「同じ部屋で寝泊まりをさせてもいいだろうか」

「もちろんでございます」

「有り難い」

 軽く頭を下げるサワタリに倣い、モモも頭を下げる。

「寝室は三階にございます。どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」

 鍵を受けとり頷くサワタリに、ご紹介をよろしいでしょうかと亭主が続けた。

「食堂は二階にございますが、只今吟遊詩人が滞在しておりますので、夕食の時間帯、中庭でディナーショウを行っております。宿駅でございますので、都の舞台ともいかずささやかなものですが、よろしければ音楽と食事を愉しまれてください」

 吟遊詩人のディナーショウ。モモはぱっと顔をあげ、サワタリを見つめる。サワタリは受けとった鍵を持ち、淡々と三階の客室に上る。部屋に着くと背負っていた荷物をおろし、モモを呼ぶ。ご主人と一緒にシャワーを浴び、体を洗われる間も、浴室から出て体を拭かれている間も、モモはずっとサワタリを見つめていた。軈てナイフの手入れを始めたサワタリの隣りに降り、じっと見あげていると──サワタリが振り向いた。苦笑している。

「中庭に行くか」

「行く! 吟遊詩人、はじめてだ!」

 サワタリはギルドの酒場に顔を出すことさえ皆無である。人と馴れ合うのを嫌う一匹狼なのだ。であるから、二階の食堂で静かにご飯を食べる方を選びたいところだろうが──ぞんがい従魔に甘いのだと、モモは知ってしまっている。

「でも、ご主人のナイフの手入れが終わるまで待つ」

「……、」

 サワタリはモモの頭をぽんと撫で、ナイフの手入れに戻った。──モモの眼から見ても、ナイフの数が減っている。いつもの半分くらいの時間で終わってしまった。だが、やはりサワタリに焦る様子はない。モモを肩に乗せると、従魔のご意向を叶えるべく、階段を降り中庭へと出てくれる。

 先ほどまでただ広い空間だった中庭に、会場が出現していた。夜空の下に焚き火が燃えていて、美味しそうな匂いのする湯気をあげている。大鍋のシチューが、晩餐のメインディッシュらしい。傍の小机に、他の料理や飲み物、デザートも並んでいる。客はそれらを自由に取って、奥へと進む。ステージがあるのかな、と思っていたが、そういうものはなかった。だが、料理を取った客たちが車座になっていたから、その中央に立つ人が主役なのだと判った。銀髪の吟遊詩人が、竪琴を奏でながら、朗々と歌っている。

「すごい、きれいな声だ……」

 モモはすっかり聴き惚れてしまった。ご主人がちゃんと食えと云うから、急いで食事に戻るが、すぐにぽかんと口をあけ、吟遊詩人の歌を聴く。夢中で聴いていると、口になにかが入ってきた。ご主人がスプーンでモモの口にシチューを運んでくれている。じゃがいもがほくほくでおいしい。でも、歌声があんまりにもきれいで、すぐに味を忘れる。

 夜も更け、あらかたの客が食事を終え部屋へと戻ってゆく頃。吟遊詩人は竪琴を抱き、優雅に一礼した。

「本日はショパンの音楽におつきあいくださり、有り難うございました。みなさま、どうぞ良い夜を」

 終わりの挨拶だ。モモは小さな手で拍手をする。三つ指の手は不器用で、殆ど音が出なかったが。代わりのよう、ご主人の大きな手が惜しみなく拍手をしてくれる。モモはご主人の腹に顔をくっつける。いつの間にか、あぐらをかいたかれの足の上に抱かれる格好で、歌に聴き入っていた。

「どうした?」

「ちょっと、思いだしていた」

 サワタリの手が、モモのミルキーベージュの毛皮を撫でる。

「流氷をつたって歩いていった。おおきな氷の山の穴のなかに棲んでいた人がいた」

「あの人も、綺麗な声をしていたな」

 なつかしい、と云うほど昔のことではない。だけど、あの純白の世界で出会った、煌めく声をもつ人のことを思いだすと、なんだか胸が痛かった。

「結局、北天には行けなかったな」

「いつか、行く」

 大恩に報いたいと申し出たサワタリに、かれは天へ行ってくれまいかと云った。煌めく声と輝く瞳で請われたものの、天とは海の果てにあるとされている場所──つまり人には未到達の地点である。さすがのサワタリとて不可能であることは、承知のうえのことだったのだろう。かれは笑いながら、スライムの幼生が欲しいんじゃ、と子どものように眼を輝かせていた。

 賢聖ガリレオのもとで、そうして戯れ滞在した期間は二十日に及ぶ。あの時のことを鮮明に思いだし、モモはサワタリの腹にくっつく。サワタリがモッズコートのまえを開けてくれたので、なかにもぐりこんだ。世界で一番安全な場所。大好きな場所。そこで眼を閉じていると。

「隣りに座ってもいいですか?」

「構わないが」

 モモはぴんと耳をたてる。そろりと、コートの外に顔をだす。

「やあ、めずらしいお客さんがいると思ったんです。見間違えではなかったようで、安心しました」

 にこにこと微笑むのは、先刻まで旅人の心を総ざらいしていた──吟遊詩人その人だった。

「これは俺の従魔だ」

「旅の吟遊詩人をしていますが、調教師テイマーのかたにお会いしたのは片手の指で足りるくらいなのです。まして、従魔を見せていただけることなど──そうですね、今日で二度目です」

「とっ、とても綺麗な声だった! あのっ、感動した! すごい、吟遊詩人って、すごいんだな!」

 昂ぶりのまま口をひらいたら、へたくそな言葉になった。恥ずかしい。顔を伏せると、煌めくような笑い声がした。

「有り難う。きみが小さな手で一生懸命拍手をしてくれているのが見えました。とても嬉しかったです」

「こいつはモモという」

「モモ。よければ、少し話し相手になってもらえませんか」

「お、おれ?」

「魔物のかたとお話しする機会など、望んで与えられるものではありません」

 モモはおそるおそるサワタリのコートから出る。ご主人の膝の上に座ると、吟遊詩人がにこやかに話しかけてきた。歌がすばらしいだけじゃなく、話しもとても面白い。モモが空を飛べると知ると、その時の感覚や気持ちを熱心に訊いてくる。そうして話しているうちに、モモも緊張が解け、元気に話せるようになってきた。吟遊詩人はすっかりくつろいだ様子で、一度しまっていた竪琴を取りだすと、ぽろぽろとつま弾いたりなどしている。

「おれ、その歌好きだ」

 その旋律は、吟遊詩人が何度もくりかえし歌ったフレーズで、モモも覚えてしまっていた。

「うれしいですね、私もこの歌が好きなんです」

 もう一度、竪琴をつま弾く。竪琴は飴色をしていて、古いもののようだが、丁寧に手入れをされていることが判る。

神の御業は今宵しもアデステ・フィデレス、という歌です」

「神さまの音楽なのか」

「創世記の伝説を歌にしたものですね」

「そうせいき?」

 今度は、つま弾く伴奏に合わせ、かれは歌う。

「風の神が虚に天空をうたい、地の神が天空の下に大地をうたい、火の神が天地の間に人をうたい、水の神が人の隣りにあまたの命をうたった」

 ワンフレーズでもきれいだ。歌に酔いしれていると、吟遊詩人が微笑む。

「古い歌なので、最近はあまり求められないのですが。帝都で流行る歌謡曲をリクエストされる方が多いのです。けれど、私はこの歌を聴き、吟遊詩人になりたいと思ったのです。誰も歌わなくなっても、私だけは忘れずにうたいつづけたい……」

「おれ、ファンになったぞ。その歌のファンだし、あんたのファンなんだ」

 相好を崩し、かれは笑った。

「魔物のかたがファンになってくださるとは。私の自慢ですね。これからの旅路で、たくさん自慢させてください」

「そらみろ、あの魔物は良い魔物なんだよ」

「良い魔物ってなんだよ、レン」

「訊いてみろって、リダー」

「やだよ。そうやっておれに行かせようっていうんだろ」

「おや、お客人、よろしければこちらで一緒にお話ししましょう」

 吟遊詩人が手招くと、二人の男がおずおずと寄ってきて、腰をおろした。あ、赤いベールの旅人!

「ええと、そのう。その魔物は良い魔物なのか?」

「私のファンです」

「……俺の従魔だ」

 これまで黙っていたサワタリの声が聞こえ、モモは上を向く。

「従魔?」

「俺と主従契約を結んでいる。だから、人を害することはない」

「あっ、あっ、おれ知ってる、テイマーって人だ、あんた! 冒険者か!」

 また黙ってしまったサワタリの代わりに、モモは頑張って説明した。主従契約のもと、自分がサワタリの完全な支配下にあるということ。北から斜め十字山脈へ向かう旅の途次で、この宿駅に泊まり、吟遊詩人のファンになったこと。言葉は拙いし、順番はめちゃくちゃだし、自分でもがっかりするような説明だが、二人の男はいたって真面目な顔で聞いてくれた。

「あなたがたは、帝都へ向かわれているのですか? それとも、帰ってこられたところでしょうか」

「往路だよ。これから拝みにいくのさ」

 吟遊詩人の問いかけと、それに答える男に、モモは首を傾げる。

「帝都?」

「この方々は、巡礼者ですよ。ほら、赤いベールを被っておられるでしょう」

 赤いベール! モモはサワタリの膝で身を乗りだす。

「きになっていたんだ! 赤いベールと、あと赤い布とひょうたんを結んだ杖を持って歩いている。王の道で、何回か見かけたぞ」

「あー、杖は部屋に置いてきたな」

「酒は持ってきてるぜ。おまえも飲め!」

 男はひょうたんをモモの方へさしだす。中みはワインだった。薄くて酸っぱい。

 もともとお酒は苦手なのだ。有り難うとお礼を云って、モモは男を見あげる。

「巡礼者って何だ?」

 好奇心のまま訊くと、二人の男が代わる代わる説明してくれた。──かれらは年長の方がレン、年少の方がリダーと名乗った。同じ村の出身で、村の代表として旅に出たという。

「帝都にあるイニス・エト・フラテル大神殿を参拝するための旅路にある者を、巡礼者ペルグリーヌスというんだ」

「いにす、えと……?」

「世界中にある神殿の原点で、総本山ってやつだな。創世の神の末裔であらせられる、教皇猊下が神事を執り行われる……えっと、この世で一番すごい神殿だよ」

「おれたちみたいな田舎者からしたらさ、帝都に行くってだけで、すげえ遠いし、すげえ金かかるし、そうそうできる旅じゃねーんだ」

「でも、巡礼参拝を果たしたら、教皇猊下の秘蹟を授かれる。それを村に持ち帰るのが、おれらの使命なんだぜ」

「村の人たちが金だしあってさ、ようやっと二人分の旅費にして。そんで、おれら二人、身体頑健なワカモノが選ばれ、送りだされたってわけだ」

 レンとリダーは拳を突きだし、その手首に巻かれたロザリオ──数珠でなくロザリオというらしい──を誇る。赤い石をつないでつくられ、コインのようなものがついている。手作りらしいそれは、つながれた石は完全な球形をしておらず、コインの彫りも朴訥なものだったが、村人たちの心がこめられていることが伝わってくる。

「神さまは、赤が好きなのか?」

「火の神さまだからな!」

「火の神さま……あっ、さっきの歌にでてきた」

「人を創られたのは火の神と、云いつたえられていますね。ご自分たち神のすがたに似せ、火の神が人をお創りになられた」

 吟遊詩人がおっとりと口を添える。

「神の御色は黄色とされています。ですが、黄は王族の色として、庶民がみだりに使うことを禁じられています。ゆえに、巡礼者は火のイメージである赤を身に纏うのです」

 なるほど、王の道で見かけた赤いベールの人たちの謎が解けた。かれらは帝都の大神殿を参拝にゆく──或いはその参拝を終え故郷へ帰る旅人たちだったのだ。

 その後も四人で──もっともサワタリは殆ど口をひらかなかったが──賑やかに談笑した。旅慣れた吟遊詩人が蓄える様々な知識に裏打ちされた話しも、旅慣れぬがゆえに毎日が苦労だらけの巡礼者の話しも、とても面白かった。いつまでも話していたいと思ったが──やがて中庭の焚き火が消され、それぞれが部屋へと引きあげる刻限になる。

「レン、リダー、たくさんお話ししてくれて有り難う。旅の無事を祈る」

「こっちこそだぜ。魔物と話すなんてこと、旅中でもなけりゃありえねーしさ」

「故郷に帰ったら、土産話しにおまえの話しもするからな、モモ!」

 ロザリオをまいた手を、大きく振って。二人の巡礼者が部屋へと戻ってゆく。

「吟遊詩人さまも、すばらしい歌を有り難う。あと、色んなお話しがとっても勉強になった」

「おやすみと、さよならの前に。一つ、いいですか?」

 指を唇に当て、吟遊詩人が微笑む。

「私の名は、覚えてくださらないのですか?」

「えっ」

 それは、大ファンになってしまったから、覚えているけれど。でも、おれなんかが呼んだらだめだろう、とおろおろしていると。

「巡礼者のかれらを呼ぶように、呼んでほしい。私のわがままですが」

「わがままって、違うとおもう。ええと、あの、じゃあ」

 ショパン、と呼ぶと。かれはにっこりと笑った。夜に銀髪がさやさやと揺れ、声と同じくらいきれいだった。

「一時の想い出を、有り難う」

 かれの竪琴はしまわれていた。夜も遅い。ささやくように、だけれど、心躍る綺麗な声で、ショパンはかれの好きな、そしてモモも好きになった、あの伝説の歌をワンフレーズ、うたってくれた。

「おやすみなさい。さようなら、モモ」

「うん。おやすみ、さよなら、ショパン」

 優雅にお辞儀をし、ショパンもまた、部屋へと帰ってゆく。それをぼうっと見送っていたモモは、後ろからひょいと抱きあげられた。そのまま、サワタリが抱っこしてくれたから。モモはいつまでも、一夜を一緒にすごした旅人たちの背中を、見送ることができた。

 最後に階段を上り、宛がわれた部屋に着くと、サワタリはモモをベッドにおろす。ぼんやりしている間に、サワタリはモッズコートを脱ぎ、インナーに装着しているベルトを確認してから、ベッドに入る。モモを無造作に胸に抱き、横になるご主人の胸に、モモは顔をくっつけた。

「ご主人、中庭につれていってくれて、有り難う」

「楽しかったか」

 こく、とうなずく。すばらしい音楽を聴けただけでない。ショパンも、レンもリダーも、魔物のモモと屈託なく色んなことを話してくれた。とても楽しい時間だった……。

「耳が垂れている」

 ご主人の大きな手が、モモの頭を撫でる。親指で耳をくすぐられ、少し笑った。少ししか笑えなかった。

「おれ、人を、人だって、思ってなかった。それは、酷いことだったんだな」

「うん?」

 あまり上手に話せない、と云うと、おまえの話しはいつも上手くない、と云われた。だから、モモは安心して、思うままにご主人に話す。

「おれは主従契約を結んでくれるご主人を求めて、十年も旅をした。その間に、たくさんの、ほんとうにたくさんの旅人に会った。でも、おれは人を見つけると、かれの足許に飛び降りて、おれを従魔にしてくれと願うだけだった」

 人に仕え、かれの命令に従い、ともに冒険をすることに憧れた。その憧れが、死を望むモモの想い──在り方を凌駕したのだ。モモは人の従魔になりたかった。だがモモンガのような弱くて無能な魔物を従魔にしてくれるような人はいなかった。捜しても、捜しても、いなかった。でも、だから、次こそは。次に出会う人こそは、おれを従魔にしてくれるかもしれない。そうして、モモは人に出会いつづけた。

「おれにとって、人は、おれを従魔にしてくれるものでしかなかった。おれを従魔にしてくれるなら、誰でもよかった。ほんとうのほんとうに、誰でもよかった──だから、その人のことを、知ろうなんて思いもしなかった」

 でも、とモモはつづける。

「旅をしている人は、目的があったんだな。伝説の音楽を歌い継ぐため。帝都の大神殿に参拝するため。大事な目的をもって、毎日たくさんの苦労をしながら、旅をしている。色んな気持ちを抱いて、道を歩いている。おれが出会ってきた人たちは『従魔のあるじになってくれるもの』じゃなかった。色んなことを感じて、思って、目的にむかって歩いていたんだ。おれ、恥ずかしい。たくさんの人に契約をねだったけれど、その人が何をしている人で、どんなことを感じて、どうして旅をしているのかなんて、考えたこと、一度もなかった。それは、酷いことだった」

「そちらの方が、思い違いだ」

「え……?」

「人を思いやる必要はない。おまえにとって、人は『従魔のあるじになってくれるもの』と一律に判を押し理解をする方が正しい。……俺はそう思う」

 冷たいナイフで、心をぐっさり刺された気持ちがした。よく判らないけれど──大事なことに気づいたと思ったのに、ご主人にそれを否定されたことは判った。

「……すまん。おまえは今、世界を見始めたばかりだった」

 おれはどんな顔をしていたんだろう。魔物のすがただから、表情は乏しいはずなのに。サワタリにはどうしてか、心がばれてしまうのだ。

「やはりこんな主人はやめにして……そうだな、先刻の吟遊詩人の従魔になったらどうだ? 従魔の石で、契約をやりなおせ」

「……ご主人、噛みつくぞ」

 サワタリが笑う。背中を撫でてくれる大きな手の感触に、泣きたい気持ちになる。ご主人は、テイマーではない。調教テイムのスキルを持っているわけではないから、従魔の石というアイテムを用い、強引に従魔契約を交わした。それこそ──誰でもよくて。従魔の石を手に入れるための冒険で、瀕死の傷を負っていたモモの傍に、偶然通りかかったサワタリに、むりに願って──選びもせずに主従となったのだ。

「噛みついてみろ、おまえの歯のほうが折れる」

「ううー」

「おまえを傷つけたくない。……俺は、それだけだ」

「……」

 唸り声をひっこめ、モモは顔をあげようとする。だが、サワタリの腕に抱きこまれ、叶わなかった。

「久しぶりの柔らかい寝床だ。寝るぞ」

「命令してくれ」

「寝ろ」

「はい、ご主人」

 サワタリとの旅は、北の土地を巡るものだった。寒い野宿がつづくうち、手軽に暖を取るため、ご主人はモモを抱いて眠るようになった。南下し凍てつく寒さがゆるんでも、暖かい宿屋のベッドでも、その癖が抜けず、サワタリはずっと、モモを胸に抱いて眠る。

 ご主人、もう眠ってしまっただろうか。

 モモはそうっと、頬をサワタリの胸に擦りつける。誰でもいいと思った。実際、人を人と見ず、手当たり次第に主従契約をねだり、モモのあるじにした人だ。思いだす。サワタリが冒険者でなく人殺しだと知った時、懊悩した。もしもあの時──喩えばサワタリの人殺しの性を知り、主従契約を結ばなかったら。こんな風に、優しく抱かれ眠る夜を、おれが知る未来は、今は、あったのだろうか。

 躊躇なく凄惨に人を殺す、サワタリの心にふれる──ふれたと思う時は永遠にこなかったのだと思うと、また、どうせ少し、泣いた。

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