6th. 出産賛美

 死ねばいいのに、と思う。

 昨夜もだ。私は出産を終えたばかりで、疲れ切っていた。腹ん中の子は出たんだろう、と迫ってくる夫に、きつい、嫌だと断ったが、むりやり下着を取られ、性交を強要された。

 出産時に会陰に裂傷を負っていた。その傷口に男性器をねじこまれ、ぐりぐりとかき回された。傷口を縫っていた糸がぶつぶつと切れ、血だらけになった。あまりの痛みに、もうやめてと叫んだ。夫は不機嫌な顔になる。「十月ぶりの夫婦の営みなんだぜ。おまえもしたかっただろ? 本当は気持ちいいんだろ?」「血が出てるのよ! 快感なんかあるものか! 痛い気持ち悪い痛い痛い痛い!」「おいおい、おまえとしたくても、腹の子のためを思って、俺は我慢してきたんだぜ。思いやりのある旦那だろうが。それなのに、おまえは俺のことをもう愛していないってのか」

 死ねばいいのに、と思った。私が陣痛に耐えている時、「俺にできることなんかないよな」と云い、酒場へと行ってしまった夫。それから丸二日、私が出産を終えるまで一度も帰ってこなかった。そのくせ帰ってくれば、嫌だと云っているのに性交を強要する。レイプじゃないか。なにが愛だ。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。

 夫が満足するのに、三時間もかかった。血まみれの私を見て顔を顰めた夫は、また飲みに出かけたらしい。私は赤ちゃんの泣く声を聞き、起きあがった。あまりの痛みに柱に縋りつく。会陰の傷が開き、さらにそれが腫れあがって、お尻の方まで痛い。私は泣きながら赤ちゃんを抱き、立ったままお乳を与えた。

「……あ、やだ……」

 ずっと尿意がないと思っていたのは、やはり裂傷のせいらしい。私は赤ちゃんに授乳しながら、おしっこを漏らしていた。尿が傷口に猛烈にしみた。それよりも、恥ずかしさで目眩がした。

 座ると激痛に襲われるため、立ったままうつらうつらとしていた。赤ちゃんが泣く。慌ててお乳を与える。おしめを換え、それでも泣きやまない赤ちゃんに途方に暮れる。痛い。つらい。殆ど寝ていないせいで、意識が朦朧としていた時、玄関が派手な音を立てて開いた。

「子を産んだ女を、経産婦っつーんだよな!」

 酒をしこたま飲んできたらしい、夫だった。かれは手に握りしめていたチラシを私に突きだした。

「経産婦は、代理母ってのをやれるらしいぞ! おまえ、ちょっと子産みしてこいよ。小金くらいにゃなるだろう!」

 私は夫に背を向けた。台所に行き、ドアを閉めた。ドアの向こうで夫が喚いていた。

「可愛くねーの。子を産むと女は変わるってマジなんだな、怖い怖い」

 死ねばいいのに、という言葉は──そして、言霊になったのだ。

「あなたの旦那様で、間違いないですね?」

 私はソレを見た。両腕と両足が切断され、だるまになった男は、口に太いくいのようなものを刺され──死んでいた。

「……はい。夫に間違いありません」

 私は兵士に答えた。この兵士が私の家まで迎えにきたのだ。『旦那様らしき遺体が見つかった』と。

 夫は酒場の裏のゴミ置き場で死んでいた。散乱する生ゴミに混じっているせいか、死体は鳥類が啄んだ痕がある。凄惨な現場だが、私は無感動だった。二時間おきに泣く赤ちゃんへの対応と、止む気配のない会陰の痛みで一睡もできていなかった。兵士がなにか訊いてくる。私はなにか答えていたようだ。軈て、ご愁傷様です、という言葉とともに、家へと帰された。

 ふにゃあ、ふにゃあと赤ちゃんが泣いている。私はぼんやりと立っていた。夫が死んだ。死ねばいいと思っていたから、少し嬉しい。だが──現実的に、お金がないことにぼんやりとしていた。

 働けど得た金は酒に使ってしまう夫だった。貯金などあるはずがない。それなのに、私と、赤ちゃんと、食い扶持は二人もいるのだ。

(女は、働けない……)

 男が外で働き、女は家で男の世話をする。それが現代の道徳だった。女は家の外に出ることは許されず、夫の性処理をし、夫の子を産み、夫の子を育て、夫の世話に誠心誠意をささげる。従って、女が就ける職はない。女の一生は、男が稼いでくる金でしか成り立たないのだ。

(赤ちゃん……私の赤ちゃんが、死んじゃう……)

 今はまだ母乳が出る。だけれど、私が飢えれば当然お乳は出なくなる。飢えぬためには──。

 私は、テーブルに落ちていたチラシを掴んだ。

 代理母には、相当額の金が支払われる。女でも──金が稼げる。

「なんで泣いているんだ? 男が殺されて、悲しいのか?」

 鈍く、私は振り向いた。そこにいたのは魔物だった。悲鳴はあげなかった。ぎょろぎょろとした眼をして、腕からは気味の悪い皮を垂らしているが、ちっとも怖くなかった。お金がなく、飢えて赤ちゃんが死んでしまうことばかりが怖かった。

「夫なんか、死ねばいいと思っていた」

「でも、泣いているぞ」

「代理母をやるしかない。でも……出産は、もういや」

「しゅっさん。人は女が子を産むんだったな」

 さっきまで泣いていた赤ちゃんは、私の腕の中ですやすやと眠っている。魔物がこんなに近くにいるのに。肝の太い子だ。……可愛い子だ。

「出産ってね、道徳で賛美されているけれど。実際は辛くて惨めで苦しくて──あんなもの、二度とやりたくない」

 こんなに可愛い赤ちゃんを抱いていても、二度と子産みはしたくない。

「激痛でのたうちまわる、女性器が裂ける、脳が萎縮する、内臓が肥大化する、骨が変形する。人前で大便を漏らす……子を得るためなら、女がどんな目にあってもいいって見本みたいなものね」

「あんたは、出産が怖くて泣いているのか?」

「ええ」

 私は頷く。腫れあがったお尻が痛くて、座れそうにない。

「妊娠するとね、つわりっていうのがあるの。胃がむかむかして、私は毎日吐いていたわ。吐く物がないから、胃液ばかりを吐いて、歯がボロボロになった。それが半年くらい続いた」

「吐くのは苦しいな。一回でも苦しいのに、毎日つづいたのか。くるしかったな」

「赤ちゃんが産まれてくるとき、出したいけど出せなくて、何時間も苦しんだ。それなのに産婆さんは『赤ちゃん頑張ってるよ!お母さんが頑張らないでどうするの!赤ちゃんのほうがしんどいんだからね!』ですって。私だって痛いわよ。鼻水垂らして、大便漏らして、泣いたわよ」

「それでもあんたは赤ちゃんを産んだんだ。あんたがいちばんがんばった」

「胎盤が出てこなくてね。産婆さんが両手を突っこんで、掻き出したの。絶叫なんてものじゃなかったわ。血が噴射して、それを浴びた産婆さんが怒ってね。ありったけのガーゼを中に詰めこまれたわ」

「聞いているだけで痛い。それでもあんたはおれに話してくれる。話してくれて、ありがとう。だが、むりはするな」

「誰も聞いてくれなかったの。私、苦しかった、苦しかった……!」

「うん、うん」

 魔物が聞いてくれるから、私の口は止まらなかった。話せば話すほど、出産の恐怖がリアルに思いだされ、私は泣いた。嫌だ、もう出産なんかしたくない。代理母なんかしたくない……。

「……?」

 暖かい感触が手にあった。見れば、魔物の小さな三つ指の手が、私の手を撫でていた。涙で濡れた手を、懸命に撫でる手は、あたたかくて──やさしい。

 ふしぎと、痛みがやわらぐような気持ちがした。私の赤ちゃんもいい子だけど、この魔物もいい子だ。大きさも、ちょうど同じくらいだし。

「きみを撫でたら、噛まれるかしら」

「噛まない。けれど、おれを撫でるのはご主人だけなんだ」

 手をのばすと、身軽に避けて。魔物はふわりと空中に浮遊する。

「雪が酷くなってきた。あったかくして眠ろうな。あんたも、あんたの赤ちゃんも」

 窓のほうへとふよふよと飛んでゆく。魔物の向こう側に、雪降る夜が見えた。綺麗、と思ったのは。魔物の両耳にくるりまわる、青いピアスを見たから。

「綺麗なピアスね」

「……」

 褒めると、魔物が嬉しそうに飛びまわる。それから──。

 それから、眼が覚めるとベッドの上だった。慌てて起きあがり、そのせいで体を貫いた激痛に身悶えする。ゆりかごはベッドの、私の眠る隣りにそっと置かれていて。赤ちゃんはよく眠っていた。

 私はベッドを降り、よろよろと部屋を進む。また尿を漏らしているらしく、床が濡れた。恥ずかしい。苦しい思いを聞いてくれた子がいた。あの、窓。雪降る夜を背景に、嬉しげに飛ぶ魔物を見た。青いピアス。私の話しを聞き、頬をなめてくれて優しい子……。

 窓はぴたりと閉まっていた。昨夜はかなり降ったらしい。雪が窓を覆っていたが──その内側に、信じられないものを見た。

「……うそ」

 出窓に置かれていたのは──札束だった。これで、ご飯が買える、と思った。これで赤ちゃんにお乳をあげられる……。

「私、代理母をしないでいいの……?」

 これは、あの魔物からのプレゼントだろうか。わたしの赤ちゃんと、同じくらいの大きさの子。同じくらい可愛くて、優しい子……。

 私は両手を組んだ。そのまま窓の下にうずくまる。下半身が猛烈に痛んだが、歯を食いしばった。有り難う。有り難う。涙がぽつぽつと床に落ちた。赤ちゃんが泣いている。立って、お乳をあげなければ。

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