第32話「カジノ・ロワイヤル」①

 運命の会談の、明くる日。

 昼近くになり、部屋の片隅に1人座り込む藤兵衛の顔は不機嫌そのものだった。口をひん曲げ、目付きは鋭く、不貞腐れた表情で部屋の光景を見つめていた。そんな彼を気遣い、亜門が何度か声をかけようとするが、彼は心底不快そうにふんと払い除けた。

「これは……一体どういうことじゃ? 一体何が起きておる!」

 心底忌々しそうに、藤兵衛は憎しみと困惑を込めて叫んだ。それを受けた亜門はおどおどとした態度ながらも、ほっとしたような微笑みを向けた。

「ま、まあ善きことではありませぬか。全て上手くいったと考えるべきでは……」

「痴れ者が! この状況のどこがよいのじゃ! 何がどう上手くいっているというのじゃ!」

 怒鳴り喚き散らしながら、藤兵衛は力強く部屋の中央を指差した。そこにいたのは、実に楽しそうに談笑する女子3人。きゃっきゃと湧き上がる明るい声が、部屋の雰囲気を真っ二つに切り分けていた。

「ええ! ほんとうに2人とも何も化粧品使ってないんですかぁ?! そんなにキレイなのにぃ? わたし信じられない!」

「はい、そうです。儀式の時に使ったことがあるくらいですね。でもリースさんのお肌もとても綺麗ですよ」

「いやだぁ、シャーロットさんったら。お上手ですぅ。わたしもそれだけキレイだったら化粧なんてしなくて済むのにぃ。でも……顔が整ってるのはレイさんが一番かも。ほんっとうらやましいですぅ」

「お、俺がかよ? へへっ、ありがとな。てめえみたいな可愛い奴に言われると、たとえ世辞でも悪い気はしねえな」

「お世辞とかじゃないですよぅ。ぜったいレイさんは磨けば光るんだから。今度一緒にお化粧してみましょうよぉ」

「ええ!? 俺そんなんしたことねえよ! ぜってえやだよ!」

「ふふ。やってみたらどうですか、レイ。貴女ならきっとすごく綺麗になれますよ」

「お、お嬢様まで冗談言って! ほんとに怒りますよ!」

「あ、レイさんが照れてるぅ。キャハハハッ!」

「こう見えてレイは照れ屋さんですからね。本当に素敵なのに。ふふ」

「なんだよ2人とも! からかうなよ! まったくよ」

 和やかで暖かな雰囲気。昨日までの剣呑は何処へやら、彼女らはあっという間に意気投合していた。そう、朝一で亜門とリースが訪れてから今まで、ずっと一同はこの調子であった。

「そろそろお腹が空きましたね。何かありませんか、レイ? もちろんリースさんの分もお願いします」

「ええ!? いいんですかぁ? 嬉しい!」

「ふふ。レイの料理は絶品なのですよ。世界広しと言えど、私に匹敵する料理人はレイしかいませんから」

「そ、そりゃもちろんですが、実はちと今材料を切らしてまして。一走り買ってきますよ。おい、リース。なんか好きなもんあるか?」

「あ、それなら実はわたし、この辺でいいお店知ってるんですぅ。すごぉく美味しいパスタがあるんですよ。せっかくだから今から3人で行きましょうよ。わたし奢っちゃいますよぉ」

「……そこまでじゃ! 一体何じゃこの茶番は!!」

 藤兵衛な耐え切れずに立ち上がり、怒りの罵声が部屋中に鳴り響いた。はっと振り返った女子3人は、顔を突き合わせてコソコソと相談を始めた。

「おい、どうすんだ? なんか怒ってんぞ。メシに誘わなかったからじゃねえか?」

「藤兵衛は美食家ですからね。食い物の恨みは恐ろしいと聞きます。ここは皆で謝るしかないでしょう」

「すみませぇん。リースが軽率でしたぁ。よかったらおじさまも一緒にいかがですかぁ?」

「そういうことではないわ! 貴様ら全員そこになおれい!」

 再び響く怒声に顔を見合わせて、渋々それに従う3人。何故か亜門もそこに加わり、やっとのことでまともな話し合いが始まろうとしていた。

「何故貴様らが仲良くなっているのか、何故シャルが結界を抜け出しておるのか、そんなことは全て後じゃ! そこの女狐が何者かもこの際置いておこうぞ。何より儂が聞きたいのは、この先の話じゃ! おいリースとやら、貴様の狙いは何じゃ? この場ではっきりせい!」

「ええとぉ、わたしはぁ、亜門くんのことを愛してるわけでぇ。だからぁ、今後も一緒に付いていきたいと思ってますけどぉ」

 悪びれる様子もなく、リースは可憐な表情を顔中に浮かべて、己の要求を短くはっきり伝えた。場にはどよめき、藤兵衛は苛立ち、レイは呆れ顔、亜門はにやけ顔、そしてシャーロットは声を上げて喜んだ。

「わあ! リースさんが一緒なら私は嬉しいです! もう私たちは友達なのですから、一緒に楽しく旅をしましょう!」

「(マ、マジ!? なんでこんなにちょろいの?! もしかして何かの策略!?)ほんとですかぁ! ……ぐすん、わたし嬉しいですぅ。わたし、今まで誰からも歓迎なんてされたことなかったんで。うえーんえんえんえん、うえーんえんえんえん」

 涙を流すリースの肩を、同じく涙に濡れながら優しく抱き締めるシャーロット。それを穏やかな表情で見守る亜門。何も言わずに見つめるレイ。場は一気に暖かい雰囲気に包まれた。そう、ただ1人を除いて。

「……そろそろよいかの? 連日の茶番、誠にご苦労様じゃて。シャルが何と言おうが、儂は貴様を連れて行くつもりなど毛頭ない。さっさと本国へでも戻ったらよかろう」

「(さりげなく“本国”とか、よくもまあ遠慮なくゴリゴリ突っ込んで来るわね)この前も言いましたけどぉ、わたし帰る場所もないんですぅ。皆さんさえよろしければ、ここに置いてくれませんかぁ? 下働きでも何でもしますからぁ。それに……愛する亜門くんとずっと一緒にいれますしぃ」

「そ、そこまで己のことを! 殿……この高堂亜門、たっての願いにござる。何とかリース殿を許してやってくれませぬか!」

 亜門はその場に深々と土下座をして、必死に許しを請うた。それを見て内心ほくそ笑むリースだったが、蛇の名を冠する大商人の意思は微塵も揺らぐ事はなかった。

「幾らお主の頼みでも、駄目なものは駄目じゃ。儂は此奴を全く信用できん。ここで打ち捨てい! さもなくば儂とお主との関係もここまでじゃ!」

「そ、そんな……殿がそこまで仰られるとは……己はどうすれば……」

 苦悩し頭を抱える亜門。だがその時、シャーロットは内心で舌打ちをするリースからそっと離れて、彼と同じように頭を地面に擦り付けた。

「私からもお願いします、藤兵衛。これもまた縁です。この出会いは必ず意味がある、私はそう思います」

「ま、魔女! 其方は己が意を汲んで……」

「ぐっ! シャルまでそんなことを……ええい! 何ということじゃ!」

 すこぶる苦い顔をして、今度は藤兵衛が苦しみ頭を抱えた。彼は負けじと何度も反論し危険性を論立てるも、シャーロットの前ではそれは無力だった。頭を下げたまま身動きしない彼女に痺れを切らし、彼は苛立ち紛れに乱雑にキセルに火を付けた。

「(よし! 童貞侍はさておき、まさかシャーロットまであたしの味方とは! この勝負……勝ったわ!)ありがとうございますぅ。わたし、こんなに優しくされたの初めてで……今後ともよろしくお願い……」

「ちょい待ちな。リース、俺は反対だぜ」

 ごろりと座り込んだまま、レイはぶっきらぼうに言った。はっと振り返る一同の様々な意味の視線を一点に集めても、レイは戸惑う事なく平然と首だけで逆立ちをした。

「(この美ゴリ! いいとこなんだから水差さないでよ!)ええ! な、なんでですかぁ!? レイさんはわたしのこと嫌いなの?」

「好きとか嫌いとか、そんなんじゃねえよ。あのな、俺らの旅は危険過ぎるんだ。下手したら命だって失う危険がある。リースみてえな普通の女の子を連れてくのは、あまりにもキツ過ぎる。だから反対だ。わかってくれや」

「そうじゃそうじゃ! 此奴が“普通の女の子”かどうかさておき、シャルとて普通の人間を巻き込むのは本意ではあるまい? それだけではなく、儂らの足を引っ張る可能性もあるわ。それで本懐を遂げられぬは本末転倒ではないか!」

 畳み掛けるレイと藤兵衛。しかし亜門とシャーロットは怯む事なく、リースの前に立ちはだかるように叫んだ。

「そ、それなら己が守りまする! この高堂亜門、一命に代えても、秋津の侍の誇りにかけても、必ずやリース殿を守ってみせるでござる!」

「そうですよ! 私もリースを守ります! ですから大丈夫ですよ、リース。実は私たちはこう見えて凄く強いのです。安心して付いてきて下さい」

「ええい、小賢しい! 駄目と言ったら駄目じゃ!」

「殿、どうかお許し下され!」

「そうですよぉ~。おじさまの頭が固いんじゃないんですかぁ」

「こいつの頭がぶっ壊れてるのは今に始まったことじゃねえが、やっぱ俺は反対だな。いくらなんでも危険過ぎるぜ」

「私の言うことが聞けないのですか、レイ!」

「これは大事な話じゃ! 如何に主従とは言え、しかと話さねばならんわ!」

 議論は白熱するが、結論は見えぬまま平行線を辿っていた。1時間ほどして、しびれを切らしたように言い放つ藤兵衛。

「このままではラチが空かんのう。……どうじゃ、ここは1つ天に聞いてみるというのは?」

「あ? なんか変なもんでも食ったか? てめえみてえな無神論者の極みが、んな殊勝なこと言い出すなんてよ」

「ふん! 貴様と一緒にするでない! 何も神に祈祷せんでも……この街にはあるではないか。運を天に任せる場所がのう」

 藤兵衛の言葉の意味が分からずに、ぽかんと顔を見合わせる一同。だがリースだけはすぐに顔を上げて、無垢な表情を纏ったまま彼を見やった。

「……まさかぁ、それって街の中央のカジノのことですかぁ?」

「流石によく調べてあるのう。そこの女狐の言う通りじゃて。言い合っても話が進まぬなら、塞の一振りで決めようではないか。それなら公平じゃろう、皆の衆?」

「はい! とてもいい考えだと思います! こう見えても私はギャンブルが大得意なのです! 私に任せて下さい、リースさん」

「お、お嬢様! おい、クソ商人! その提案だけはダメだ! すぐに取り消せ! いいから今日だけは俺の言うことを聞け!」

「よいよい。儂に任せておけい。お主もそれで良かろう、亜門や? まさか秋津の侍が、例え盆の上であっても勝負から逃げたりはすまい?」

「あ、当たり前にござる! 例え殿であっても己は必ず勝ちますぞ! リース殿、どうかお任せ下され!」

「(どうせこの狸のことだから、なんか思惑があるんだろうけど……この機を逃す訳にはいかないわ)うわぁ、面白そうですぅ! 頑張れ亜門くん!」

 それぞれの思惑から無数の声が放たれるも、結果として1時間後、彼らは町のほぼ中心にあるカジノに立っていた。ビャッコ国営のガルシア・カジノ。そこは狂乱と豪壮の饗宴。全面が金色で覆われた室内に、暇と金を持て余した人々が、昼夜を問わずに集まる金と欲望に溢れた場所。昼にもなっていないのに、今日も多くの人々が自らの魂をすり減らしていた。

「なんという華やかな……こんな場所が存在するとは驚きでござる」

 亜門が心底からの驚嘆の声を上げた。リースはそんな彼の肩に手を当て、離れようとせずに可憐な笑顔を振りまいていた。藤兵衛はそれを見てこれ見よがしに大きく舌打ちしてから、周囲を軽く見やった。

「見て下さい、レイ。サーカスをやっていますよ! ほら、虎さんが踊りを踊っています! うちにも1匹飼いましょう!」

「お、お嬢様! どうか落ち着いて下さい! ここは遊び場ではありません! ああ、また服を脱いで!」

 子供のように走り回るシャーロットを追いかけるレイ。またまた顔を覆って力なく首を振る藤兵衛。

「ええい、者共集合じゃ! 最後にもう一度“決まり”を確認するぞ」

 やがてそれぞれに集まる一行。ごほん、とわざとらしく咳払いをし、藤兵衛は厳かな口調で説明を始めた。

「では、改めて説明するぞ。まず種銭として、1人につき10万銭を儂から貸そう。そしてめいめいに好きなように使い、2時間後の残りチップで優劣をつける。途中経過は一切問わず、全ては最後に積まれたチップの枚数だけじゃ。ここまではよいか?」

「はぁい! リース頑張りまぁす!」

「貴様には言っておらん! 注意点は1つ。今回は団体戦じゃ。亜門とシャルの合計と、儂と虫の合計で勝敗が決まる。それだけじゃ。他に質問はあるかの?」

「ありません。例え敵が貴方とはいえ、私は必ず勝ちます!」

 シャーロットは目に闘志を込めて、尋常ではなく集中を深めていた。一方では顔を暗くさせ目を覆うレイの姿と、おずおずと手を挙げて藤兵衛に尋ねる亜門の姿があった。

「殿、質問にござる。その……リース殿は賭けはしないのでござるか? 1人だけ仲間外れはその……可哀想かと」

「知らぬ! 貴様の財布の中で何とかせい! そんなのは儂の関与するところでないわ! この痴れ者が!」

「も、申し訳ありませぬ! 己の不徳でありました!」

「うう~怖いですぅ。亜門くん、シャーロットさん。一緒に頑張っておじさまを倒そうね! えいえいおー!」

「やかましいわ! では正午の今を以て勝負の開始じゃ。2時にここに集合。くれぐれも時間厳守じゃぞ!」

 そう叫ぶと藤兵衛はズカズカと中に入っていった。それに続く一同。

 こうして華麗なる賭けの時間が始まった。これも歴とした戦い。勝者は誰か? はたまた負けるのは? 全ては無情なる塞の目やカードに託されていた。

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