第22話「光都」

 ゲンブ国首都、グラジール。かつてこの都市を訪れたスザク国の著名な冒険家は、やや過剰な詩的表現でこう評した。『世界中の光が集まる街』と。

 ある意味ではそれは真実だった。この街の建築物の多くには、ケイ素と水晶が多く含まれるゲンブ国特有の土壌を使用し、朝方ともなれば太陽の光を反射して街全体が輝いて見えた。

 そして近年、その表現は更なる具体性と真実味を帯びた。今やこの街にはゲンブ国全土から人々が集まり、純白の象徴たるアガナ神教への祈りを捧げていた。信徒は最低でも年に1度、グラジールへの巡礼が義務付けられ、街の中央の大聖堂では人々が毎日のように列をなしていた。彼らの顔には一様に穏やかな笑顔が浮かび、巡礼を信徒の義務というよりかは、人生における数少ない娯楽の1つとして捉えていた。

 今日も巡礼者が街の正門の前に集まっていた。彼らは特段な取り調べも受けず、アガナ神教のローブを被っていればそれだけで、街の中へ入るのをすんなりと許可された。

 そんな列の中に、簡素な商人服を着込んだ1人の老人がいた。背筋は曲がり皺だらけで足取りも覚束ないが、だらしなく垂れた目の奥からは不断の意志が放たれていた。それはもちろんこの物語の主人公であり、大陸一と謳われる大商人金蛇屋藤兵衛その人だった。

「いやあ、ここがグラジールですか。初めて来ましたが、噂通り清廉で美しい街ですのう。やかましいだけのオウリュウ国とは大違いですわい」

 藤兵衛は周囲にいるローブの民衆に、嘘くさい笑顔を貼り付けて和気藹々と話しかけた。彼らも戸惑うことなく、信徒の礼を返してから笑顔でそれに応えた。

「はは、そりゃ当然さ。こんな美しくて立派な街、大陸のどこにもありゃしねえよ。南海屋さん、あんたもその歳でよく決心したもんだね」

「いやあ、年を取ってから実に信心深くなりましてのう。儂はしがない商人でして、金に縛られた人生にうんざりしていた所に、奇跡的にアガナ様の教えを知ったのですじゃ。まさに目から鱗が落ちんばかりでしたわい。しかし皆様とご一緒できて本当によかった。こんな老いぼれを馬車に乗せて頂いて、お陰で助かりましたぞ。改めて礼を言わせて下さい」

「なにを言ってますやら。お互い信徒同士、助け合うのが当然でしょう。アガナ様の教えにもありますぞ。『慈愛と勇気を持って他人と接しなさい』と」

「いやはや、アガナ様々ですわい(ふん! 何とも胡散臭い教えじゃて)。さて、無事に入れましたので、儂はこの辺で……」

 さっと一群から抜けようとする藤兵衛だったが、信徒達は笑顔でそれを制した。

「おっと、南海屋さん。知らないのも無理はないが、この街に入ったらまず一つやるべきことがあるんだよ」

「はて? それは何でしょうかな?(……むう。昔はそんなもの無かったがの。どうにか誤魔化せぬものか)」

「洗礼の儀式だよ。門の中に入ったら、俗世の穢れを清めるんだ。なあに、1人1分もかからんよ。よかったら一緒に行こう」

 洗礼が行われるという礼拝小屋は、正門からすぐのところにあった。綺麗に清掃された白く輝く小さな建物で、巡礼者達が入り口のところで列をなしていた。しかし彼らが言うように、実際の所はかなり形骸化した儀式のようで、1人、また1人と次々に建物の裏口から出て行った。彼らの表情をじっと眺めて立ち尽くす藤兵衛に、巡礼者の1人が気軽に話しかけた。

「おっ。そろそろわたしらの番だね。南海屋さん、お先にどうぞ。何やら急いでらっしゃるんだろう?」

「これはこれはすみませんな。お言葉に甘えさせて頂きますぞ。聖母アガナのお導きを!」

「アガナ様のお導きを!」

 建物の中は静かで、塵一つ無い清浄な空間だった。狭い室内には敷居の付いた半開きの窓があり、そこに1人だけが座れるように椅子が置いてあった。それ以外の家具や物は何もなく、ただ洗礼のためだけに使われている建物のようだった。入り口と出口に1人ずつ衛兵が立ち、彼らは独特の緊張感を保ちながら、行き来する人々を何処か空虚に見つめていた。

「次の方、お入り下さい」

 小窓の奥から声がした。藤兵衛は言われるがままに椅子に腰掛け、声のする方を向いた。

「目を閉じて楽に」

 言われた通り目を閉じて微動だにしない藤兵衛。そこに小窓から伸びた腕が藤兵衛の頭に伸び、肌にそっと触れるか触れないかのところでピクリと止まった。そして、ゆっくりと流れ込む……闇の力。首輪の如く纏わり付く、邪な悪意の塊。ぞくりと悪寒を覚え、はっと顔を上げた藤兵衛。小窓から僅かに見えるは、碧眼金髪の男の邪悪な笑みであった。

「遅かったな。金蛇屋藤兵衛。場所は用意してある。衛兵。客だ。直ちに連行しろ」

「は! かしこまりました! 大司教ガーランド様!」

 ガーランドが手を挙げると、完璧に計画された動きで衛兵が藤兵衛を取り囲んだ。彼は抵抗する素振りさえ見せずに口の端を曲げて苦笑し、目尻を下げて悠然とキセルに火を付けると、机にどかりと足を乗せてふんぞり返った。

(成る程の。“大司教様”と来たか。先手を取られたのは事実じゃが、まあ想定の範囲内じゃて。さて、ここからが本番じゃのう。お手並み拝見といこうか……ガーランドよ!)


 一方、グラジール上方遥か彼方の雲の中。

 飛龍バルアの背に乗って、シャーロットたち3人は、雲を切り進むように凄まじい速度でグラジールに接近していた。時折曲芸の如くぐるぐると回転する飛び方には一同辟易していたが、彼は通常では考えられない速度で、目的地まで一挙に到達しようとしていた。

「すごいです! まだ半日も経っていないというのに、もう都市の灯りが見えてきました! 心から感謝します、バルア様」

「へへ。だろ? 俺は飛ぶことに関しちゃ本当に凄えんだよ。シャーロットちゃんみてえな美人乗せてりゃ5割り増しよ! あ、もちろんレイちゃんもだぜ」

「うるせえブタ野郎だな。いいから黙って飛べや。でねえとその細え首をねじ切ってやるぜ」

「ヒャア! そりゃたまんないね。そういうとこも嫌いじゃないぜ。……まあ邪魔くせえゲロイモ野郎もいるけどよ」

「き、貴様! 何度も何度も侍に向かって舐めた口の聞き方を! もう我慢なら……オェェェェエ!!」

「ああ! テメエまた吐きやがったな! 鱗にかかってねえだろうな? こないだ磨いたばっかだってのによ、これだから田舎モンなんか乗せたくなかったんだ」

 天気は快晴、空の道に渋滞はなし。一行の旅路に憂いの要素はなかった。ただ一つ気がかりなのは、レイ。明らかに口数が少なくなったレイを、シャーロットは時折心配そうに横目で眺めていた。ふと見せる考え込むような表情、何よりどこか寂しげで虚ろな目つきを見せており、遂に彼女は心配そうに顔を覗き込んで直接問い質した。

「どこか具合でも悪いのですか、レイ? ずっと気分が優れぬようですが」

「すいません、お嬢様。ちっとばかし体調が悪くて。気にせんでください」

 力無く微笑んで、レイは明確に嘘と分かる言葉を返した。シャーロットはそれ以上何も言わずに、小さく息を吐くだけだった。

「え? じゃあ少し休んでくレイちゃん? 俺、すっごい虹が綺麗な場所知ってるからさ」

「てめえは黙ってろクソ龍! おい、チョーシのるのはけっこうだけどよ、くれぐれも川を渡るんじゃねえぞ! お嬢様がくたばっちまうからな!」

「分かってるって。“神族は流れる水を超えられない”。これって世界の常識だぜ。シャーロットちゃん相手なら尚更さ」

「ふふ。ありがとうございます、バルア様。ただ……本当に平気なのですか、レイ?」

「気にせんでください。俺はその……なんでもありませんから」

 レイは言葉少なくそれだけ返した。心配を深めるシャーロットに、亜門がこっそりと耳打ちした。

「(おい、魔女よ。少しは気を使え。落ち込んでも仕方なかろう。レイ殿は先ほどもまた道に迷われた。まさかあのような一本道の洞窟で迷われるとは、本人もよほど気にしていると見える。あそこまで酷いと病気の可能性もあるゆえ、触れぬ方が吉であるぞ)」

「聞こえてっぞアホが! ちっとボケっとしてただけだって言ってんだろうが! ったく……てめえもクソ商人に似てきやがったな」

 あの洞窟で何があったのか、フィキラと何を話したのか、レイは誰にも言おうとはしなかった。遅れたことを詫び、いつものように振る舞おうとしていた。しかし確実にレイはあの時から変わった。長い付き合いのシャーロットには明確にそれが分かっていた。そんな一行の微妙な空気を察知したのか、バルアは少し真面目な声になって話を変えた。

「なあ、イモ侍。お前さ……フィキラの旦那にあの刀貰ったんだって?」

「その呼び方は気に入らんが、確かにお預かりしたでござる。修繕を施し秋津国に返すようにとのこと。無論己も本意ではあるが。それがどうかしたでござるか?」

 亜門は腰から錆だらけの小刀を抜き、愛おしむようにそっと天に掲げた。バルアはちらりと振り返るもすぐに前を向き直し、僅かに声を震わせながら言った。

「……俺からも頼むぜ。旦那の願いを叶えてやってくれ。実は旦那は昔……龍族の間でいろいろあってな。だからなんだ。あれほどの方が、1人寂しくあんなとこでくたばってくのは」

「色々とは? 私からすれば、フィキラ様は素晴らしい人格者とお見受けしましたが」

「もちろんそうさ。あの人はかつて帝龍と称された程の方だ。人格、実力共に右に出るもんはそういねえ。ただあの人は、前の戦争の時に一悶着あってな。悪く言や……龍族からハブられちまったんだ」

「秋津国の建国の祖、典膳公の盟友たるフィキラ殿を!? ……許せんでござる! そんな連中、己がまとめてたたっ斬ってくれようぞ!」

「はいはい。話がそんな単純なら何も問題ねえやな。お前に言うのもあれだけどよ、400年前に龍と人間の間で戦争があったろ? いわゆる『龍戦争』ってやつさ。かつては手を組んで神々と戦った俺たちが、今度は憎しみ合って殺しあったワケだ。で、いろいろあった結果、俺ら龍族は人間サマにボコられて、今や世界の端っこでぼんやり生きるしかねえワケよ。そんな龍族の恨みは、結果として戦争の引き金になった旦那に向かっちまったんだ」

「あ? ドンパチ始めたのがあいつだってのか? だとすりゃ言い方はアレだけどよ、多少恨まれてもしかたねえんじゃねえか?」

「そうじゃねえよレイちゃん。詳しくは掟で言えねえが、あの方は全ての責任を1人で被ったんだ。昔っからそういう人なんだ。友を庇い、仲間を守るため、あえて汚名を被りながらも、あの方の信念は微動だにしねえ。結果として全ての地位を剥奪されちまったがな」

「そんな……フィキラ様ほどのお方に対して酷すぎます! 私は今まで、あの方ほど高貴で威厳に満ちた方に会ったことはありません。それなのに……」

「俺もそう思うぜ。旦那は立派な方だ。俺みてえな『龍言語』も使えねえ三下にも、いつだって変わらず優しかった。けどな……正直言って他の仲間の気持ちも分かるんだ。戦争に勝ったからって、この大地で好き放題やってる人間。あいつらを恨みに恨んで、今は誰を恨んでいいのか、それすらもワケわかんなくなっちまってるのさ。でもな、俺は旦那の恩に報いたい。だから頼むぜ。何としてでもそいつを蘇らせ、ナントカとかいうド田舎まで運んでくれや」

「へっ。んだてめえ、ちったあいいとこあんじゃねえか。見直したぜ」

「マジ? じゃあレイちゃん今度デートしてよ。俺、世界の果てにある島を知ってん……ロリュン!!」

 ため息と共にバルアを蹴り飛ばしたレイ。錐揉みとなって雲を突き抜ける彼らの現在地は、間も無くグラジール上空。シャーロット一行の愉快な空の旅も終焉を迎えようとしていた。


 グラジール、大聖堂。最上階の謁見の間。

 円卓の上座に座らされた藤兵衛が、誰に臆することなく悠然とキセルをふかしていた。部屋中には数名の衛兵が配置され、中でも隊長格と思わしき金髪を後ろで束ねた長身の女性が、藤兵衛の一挙手一投足まで見逃すまいと冷たい視線を送っていた。部屋の中には聖母アガナの紋様が刻まれた純白の宗教用具が散りばめられ、厳かで気高い雰囲気を醸し出していた。

「なあ、お嬢さんや。ガーランドはまだ来んのか? もう1時間にもなる故、年寄りにはちと堪えるわい」

「大司教様はお忙しい方。今しばらく待たれよ。ただ、呼び捨てで呼ぶな。ガーランド“様”だ」

 感情を込めずに威嚇だけを込めて女は言った。藤兵衛は目を垂らし好々爺の笑みを浮かべたまま、少しだけ声を落として呟いた。

「冷たいお嬢さんよのう。美人が台無しじゃて。少しは話し相手になってくれてもよかろうに。しかし……ここは確か元々は王城じゃった場所じゃろう?」

「……何故そんなことを聞く?」

「いや、昔来たことがあっての。あの時はボロボロの城じゃったが、いやはや変われば変わるものじゃて。中々こう見事には出来ぬわ。アガナの力とは凄いものじゃのう」

「世辞は言うなら人を選べ。見え見え過ぎて笑えるな」

「そうではないわい。純粋に資金力の話じゃよ。儂は商人じゃからな、その手のことが気になって仕方なくてのう。ここまで国を作り変えるとなると、ざっと見積もっても百億はくだるまいて。あるところにはあるものじゃな。いや、流石じゃわい」

「そういうことか。下衆な人種の考えそうなことだ。確かにアガナ神教の資金力は、通常の宗教とは一線を画している。それもこれも大司教ガーランド様の手柄だ。我らはただ従うのみだ」

 女の言葉を聞いて、藤兵衛の目が怪しく光った。彼は揉み手をしながらごく自然に話を紡ぎ、違和感なく“世間話”を続けていた。

「いやはや、本当に上手じゃて。儂はオウリュウ国で神明教と付き合いがあったが、連中は上流階級にしか相手にせぬ故、いつも金で苦労しておっての。お陰でたかられ尽くしで散々だったわい。下層の者にも救いを与え、対価としての搾取とは、中々によき目の付け所じゃな」

「そうだ。クズ共はそのままでは何の役にも立たんが、我らの手で富へと生まれ変わるのだ。それこそが真の救いよ」

「成る程のう。勉強になるわい。流石はガーランド“様”じゃの。して……」

 その時、部屋の扉が静かに開かれた。豪奢な純白の司祭装束を着込んだ、細身の若い男だった。短く刈り込んだ金色の毛の先からは威圧感が針のように放たれ、一見すると優しげな表情の奥には、燃やし尽くすほどに蒼い瞳が狂気に輝いていた。一気に室内の温度が下がったように感じるほどの威圧感。これが大司教ガーランドの圧力だった。彼は無表情で被ったフードを搔き上げると、藤兵衛をちらりと見てから冷徹に告げた。

「カミラ。乗せられるな。これがこの男の手だ。何気ない会話から情報を引き出している。騙し合いで勝てる相手ではない」

「……!? も、申し訳ありませんガーランド様!」

「ふん。つまらんのう。折角美女と楽しくお喋りしておったのに。横恋慕とは感心せぬぞ」

 藤兵衛は悠然とキセルに火を付けて、事もなしにぬけぬけと言い放った。カミラは震えながらガーランドに深々と頭を下げ、すぐにキッと藤兵衛を睨み付けた。だが彼は微かに笑みを浮かべ、追い払う仕草を彼女らに向けた。

「俺は貴様を買っている。裸一貫から大陸有数の影響力を手にした男だ。俺は一切油断しない。そろそろ話をするか。お前らは下がれ。俺が呼ぶまで入るな」

「し、しかしガーランド様! 此奴はただの老人ではありません。もしもの事があれば……」

「俺を信頼出来んと? 下がれ。以上だ」

「も、申し訳ありませんでした! ……行くぞお前ら!」

 萎縮しきり部屋から出て行くカミラ達を冷たい視線で見送り、ガーランドは何事もなかったかのように戸棚からグラスを2つ用意し、静かに葡萄酒を注いで藤兵衛の前に差し出した。

「飲め。本国の酒だ。ゲンブ国産は肌に合わん」

「まだ仕事中じゃろうに、呆れた大司教様じゃな。生憎、儂は美食家での。田舎の飲食物は性に合わんわい」

 その言葉に一切応える事なく、無言でグラスを傾けるガーランド。美味そうにキセルをふかす藤兵衛。独特の緊張感が漂う中、口火を切ったのはガーランドの方だった。

「端的に話そう。俺の目的は貴様の持つ賢者の石。それ以外に一切興味はない。シャーロットなど俺にはどうでもいい。まずそこを理解して欲しい」

「あんな大妖をけしかけておいてよう言うわ。セルシウスは貴様の差し金であろう? 奴の体内に刻まれた術空間、ザザめの術符と似た構造じゃったわい」

「その件は詫びよう。だがあの時と状況が変わった。石はシャーロットの所持と思っていた。そうなるだけの道と理があったにも関わらずな。故に用があるのは貴様だけだ」

「そもそも何故こんなものを求める? 既に十分な力があるじゃろうが。貴様の“支配”……言いたくないが見事なものじゃぞ。決して世辞ではなく、儂も見習いたいと思うておったわい」

「俺に下らん軽口は通用せん。理由など言う必要はない。貴様には関係のない話だ」

「ならば当ててやろう。貴様は強すぎる、賢すぎる、力が強過ぎる。どうやって前大司教フレドリックを出し抜いたかは知らんが、現在この国の全ては貴様の手中にある。それどころか、今後は東大陸へ与える影響も尋常では無かろう。じゃが、それを本国の連中が快く思うはずもない。儂も“奴”の力はよう知っておる。アガナの本隊が押し寄せれば、如何に貴様とて勝機は薄い。故に更なる力が必要と。違うかの?」

 ガーランドは僅かに薄い唇を曲げ、グラスを微かに傾けた。黒ずんだ赤色がさらりと流れ、彼は口元を紅に染めて目を鋭く光らせた。

「流石だな。痛いところを突く。本国からの圧力は強くなる一方だ。暗殺されかけたのも一度や二度ではない。だがそれだけでは事は足りん。一番の問題はシャーロットの兄だ。俺は何としても奴に対抗せねばならん」

「……成る程の。彼奴だけは油断ならぬ故な。お互い苦労するのう(い、一体何の話じゃ? シャーロットに兄が? 何故いきなりそんな話が? シャルは一言も言っておらんかったぞ。皆目見当も付かんわ。……ええい、今は話を合わせるしかあるまい)」

 この時の藤兵衛の言葉も態度も、全てが完全なるハッタリであった。何も知らぬ彼は、自然な流れを装いただ話を合わせたに過ぎなかった。しかしこれが結果として効果的だった。ガーランドはグラスを持つ手を怒りで震わせて、初めて感情的に言い放った。

「同じ敵を持つ同士だな。分かり合える部分がある。連中は本当に性が悪い。『楔』の力で眷属を増やし続けている。特にあのミカエル=ハイドウォークは危険すぎる。力が必要だ。全てを破壊する力が!」

 藤兵衛は垂れた目をぴっちりと閉ざして、さも知ったかのように深く何度も頷いていた。しかし、脳内では何度も今の話を繰り返し、混迷の中で必死に咀嚼していた。

(ここで『楔』じゃと!? まさか儂らの敵は……この旅の目的とは……シャルの身内によるものなのか!?)

 昼下がり。人々の祈りの声とともに外からは鳥の声が聞こえてくる、平和で穏やかな昼下がり。しかし、金蛇屋藤兵衛の運命の会談はまだ始まったばかりであった。


 首都グラジール上空。

 朝の光が僅かに射し始め、輝く都の上に一層の恵みを与えていた。その遥か上空、バルアは旋回しながら着陸の機を伺っていた。

「さてと、どちらに降ろせばいいんだい、お嬢様方?」

「なるたけ目立たねえように頼むぜ。街中は家が多すぎるな。あのバカでけえ建物の裏手、そこの丘になってるとこならいいんじゃねえか?」

 レイは周囲を観察し、大聖堂周辺を指差して言った。バルアは嬉しそうに宙返りしながらそれに答えた。

「お、さすがはレイちゃん。俺も最初っからあそこがいいと思ってたんだ」

「ウソつけ! ったくどうしようもねえクソ龍だぜ。おい亜門、なんか見えるか? 敵の気配は?」

「……問題ありませぬな。今が好機かと存じまする」

 目を凝らして気配を探る亜門に加え、シャーロットも目を覚まして周囲を探知しながら言った。

「近くに大きな闇力の反応もありません。ではお願いします、バルアさん」

「シャーロットちゃんの頼みなら俺も嫌とは言えねえな。んじゃ飛ばすぜ。お嬢さん2人はしっかり掴まっててくれ。イモ侍はせいぜいゲロでも吐いてろや」

「き、貴様! 度重なる無礼、この亜門許しは……オェェェェエ!」

 一気に急加速して、墜落するかのごとく地上へと接近するバルア。風圧で飛ばされそうになりながらも、必死で彼に掴まって堪える3人。

「あ、ダメだよレイちゃん。そんなとこ掴んだらガマンできなくなっちゃうから」

「ふざけてるヒマあったら集中しやがれ! おい、もうすぐ地面だぞ!」

「ぶ、ぶつかるでござる! ……オェェェェエ!」

「バルア様を信じなさい、2人とも。私は心より信頼していますよ」

「へへっ。さすがシャーロットちゃんだ。……ほらよ!!」

 まさに地面へ直撃しようというその時、バルアの翼と全身が怪しく輝いた。慣性を無視するかのように急速に速度を落とし、彼は微調整しながらふわりと絹のように滑らかに着地した。青ざめるレイ、吐き続ける亜門、実に愉快そうに微笑むシャーロット。

「ふふ。さすがはバルアさんです。こんな楽しい気持ちになったのは久しぶりですね。私はとてもドキドキしましたよ」

「そりゃ恋ってやつだぜ。シャーロットちゃんが望むならもう一回やっても……」

「もういい! すっこんでろ! 亜門じゃねえがヘドが出ちまうぜ!」

 地面に突っ伏して嗚咽を漏らす彼を蹴飛ばしながら、レイは心底気分悪そうに叫んだ。バルアは愉快そうにひとしきり笑った後、表情をがらっと変えて何処か思慮深げに翼を広げた。

「じゃ、俺の役目はここまでだな。短い間だったが楽しかったぜ」

「もう行ってしまうのですか、バルアさん? もっとお話ししたかったのに残念です」

「……シャーロットちゃん。俺が言うのもおこがましいけどよ、人と龍は本来交わっちゃいけねえんだ。今回はフィキラの旦那の頼みだから特別なんだぜ。それを理解し……ッ!!」

 シャーロットはその言葉を遮るように、バルアの体を強く強く抱きしめた。尖った鱗の先が彼女の皮膚を何箇所も切ったが、それでも彼女はまったく止めようとせず、強く強くその魂ごと包み込んでいた。

「ち、ちょっとシャーロットちゃん?! いったい何してんだい? いくら俺がイケメンだからってそんな……」

「私が終わらせます。人と龍が憎しみ合うような、そんな歴史自体を……私が必ず終わらせます。例え何十年、何百年、何千年かかったとしても!」

 高らかに宣言するシャーロットを、バルアはただ黙って聞いていた。龍に特有の、縦に長い爬虫類に似た瞳を天に向け、ただ静かにその言葉を頭に入れていた。そして暫しの時の後に、彼はようやく口を開いた。

「……昔さ、同じことを言う奴がいたよ。いつもでかいことばっか言って、何の力もねえのにハッタリだけかまして、クソみてえに死んでいった男だ。でも俺は……あいつが好きだったよ。世の中いいやつから死んでくんだ。シャーロットちゃん、お前さんは死ぬなよ」

「ありがとうございます、バルア様。ですが私は死にません。私には心強い仲間がいます。レイに、亜門に……そして藤兵衛。皆がいればどんな苦難も乗り越えられる、私はそう信じています」

「そういうこったエロ龍。俺がついてりゃお嬢様には指一本触れさせねえよ」

「ふん。仲間なぞと呼ばれるのは心外にござるが、フィキラ様に託された使命の為にも、己とて最低限のことはする所存よ」

「……はは。ははは! ああ、そうかい。そりゃ結構だな。んじゃま、俺もちっとだけ信じてみっとするかね」

 バルアは笑った。口を耳まで大きく開いて、とても良い貌で。彼はしばし笑った後、亜門の前に歩み寄って不思議な術を刻み始めた。

「な、何をするでござる! 己を呪い殺す腹積もりか!?」

「黙ってろって。だから田舎者は嫌いなんだ。……ほい完了、と。シャーロットちゃん、一度だけだ。困ったことがあったら一度だけ呼ばれてやる。旦那の刀に俺の“龍印”を込めといた。いつでも、どんな時でも、一度だけシャーロットちゃんの力になってやるよ」

「ありがとうございます、バルア様。でも、一度だけにはしません。何度もお会いして、ちゃんとした友達になりましょう! 私は貴方のことが好きですから!」

「おいおい、ストレートだね。こっちも好きになっちまうよ。龍が人間を好きになるなんて、どっかで聞いたような御伽話だな。ま、とにかく今の俺に出来るのはこれだけだ。じゃあシャーロットちゃん、また会おうや。あ、もちろんレイちゃんもまたね! ……そこのイモ侍はどうでもいいや。それじゃあな!」

 早口でそう言い終わるや否や、バルアは風のように飛び去った。彼が見えなくなるまで笑顔で手を振り続けるシャーロットの横で、レイも苦笑気味に手を突き上げた。

「へっ。嵐みてえの野郎だったぜ。さてお嬢様、この先どうしましょう?  満月まで1週間ありますが、動くなら早くしねえと」

「はい。まずは宿を決めてから、ここにいるであろう藤兵衛と合流しましょう。その間に『楔』の調査は任せましたよ、レイ」

「かしこまりました。おい、亜門。てめえはお嬢様を守りつつ、俺と交代したらクソ商人を探せ。嫌とは言わせねえぞ」

「お任せあれ。この高堂亜門、必ずや殿を探し出してみせましょうぞ。おい、魔女。己の足を引っ張るなよ」

「ふふ。頑張ります。では宿を探しましょうか。市内に向けて行きましょう」

 3人の足取りは軽かった。予定よりも早く目的地に到達した余裕からか、龍という超常の存在と接した興奮からなのか、あるいはそれとは別な何かか。

 しかし彼らはまだ知らない。この街の全てが、とある一人の男に完璧に掌握されていることを。それでも、行く手に立ち込める闇の靄を切り払うように、一行の足取りは強く大地を踏み固めていった。


 大聖堂内、会談の間。二人の緊迫した遣り取りは続いていた。ガーランドが2杯目のグラスに手を伸ばすと、藤兵衛も2本目のキセルに火をつけた。

「禁煙した方がいい。老い先短いのだからな」

「生憎儂は、どんなに殺しても死なぬ『不死身の藤兵衛』が謳い文句での。貴様こそ飲み過ぎではないか? 間も無く冥土に行く身で余裕のある事よ」

 無表情で言い放つガーランドに、わざとらしく煙を吹き付けた藤兵衛。戦いはまだ続いていた。

「……何を言っているか分からんな。俺には石が必要だ。それだけが望みだ。理解してくれたか?」

「問題はその先じゃろうて。何故力づくで奪わん? 貴様なら造作もないことじゃろうが」

 欺瞞と疑心を呼び起こす物言いを受け、ガーランドは薄い唇で皮肉な笑みを浮かべると、一気にグラスをあおった。

「出来るなら既にやっている。既に賢者の石は貴様と一体化している。殺せばそちらに引き摺られ消滅するだろう。現時点で奪うには2つしか方法がない。自ら献上するか。力を完全に使い果たさせるか」

「よく知っておるの。まるで所有者であるかのような言い回しじゃな」

「……貴様の流儀に付き合うつもりはない。無論、俺も石の所有者だ。後者の方法で前所有者から奪い取った」

 ガーランドはローブをはだけさせ、自身の胸部を突き出した。白い肌の奥に、僅かではあるが賢者の石の鼓動、藤兵衛が常に感じている独特の律動が感じられた。

 だが藤兵衛の目はそこを捉えてはいない。彼はガーランドの目の奥を覗き込んでいた。彼が交渉時にいつもするように、蛇の如き鋭く光る目で、相手の言葉の真偽を見分けんと、油断1つなく見据えていた。

「ほう。確かにの。儂の胆石よりかは小ぶりのようじゃな。ザザに使った奇術はその力と?」

「時空間術は禁術中の禁術。通常の作法では会得不可能だ。俺の石と貴様の石は元は1つ。その欠片が俺の体内にもある。使える術も大きく異なる。闇力の蓄積量も違う。理解したか?」

「成る程の。つまり儂らは……世界で2人きりの『同類』という訳じゃな」

「さてな。何とも言えん。だが骨子としては相違ない。その状況下で俺はどうするか。貴様のことは調べた。素直に石を渡す筈がない。故に取引だ。商談を無効にする男ではない。貴様にとって一番必要な情報を与えよう。代わりに石を寄越せ」

「……で、仇の話か。あんな昔の話をよく調べたものよ。まあ誰が糸を引いていたかは容易に想像付くがのう」

「俺は何でもする。必要なものを手に入れるためならな。裏切りも謀略も枷にはならない。妻子の仇が生きていると知ってどう思った? 奴は今も幸福に生活しているぞ。陰で貴様を嘲笑ってな」

「証拠は? 貴様が現在の奴を知るという証は何じゃ?」

「その手には乗らん。貴様の諜報力ならば僅かな情報が命取りだ。偶然知ったのだ。これ以上は取引だ。他に何か質問は?」

「いや。今のところ話は簡潔じゃな。知りたくば、支払え。これ以上切り落とせぬの。じゃが……足りぬ。時間も条件もの。直ぐに結論は出せぬな」

「これ以上何を求める? 下らん交渉に乗るつもりはないぞ」

「石を手放すと言う事は、儂にこの旅の舞台から降りろという事と同意じゃ。儂はシャーロットと袂を分かっておる。故に追い求めた不老不死も2度と訪れはしまい。それに見合うものは莫大な金じゃ。ゲンブ国での商路、独占的な経済基盤の全てを金蛇屋に託せい。それで手を打とうぞ」

「悪くない条件だ。今後のグラジールの発展には大企業の手が要る。貴様ほどのやり手ならば問題あるまい。こちらからお願いしたいくらいだ」

「ふむ。ならばちとグラジールに滞在させて貰うぞ。現場を見ねば計画も立てられぬ故な。休む部屋に、食事も酒も用意せい。のう、大司教ガーランド“様”」

「すぐに案内する。ただし期限は1週間だ。それ以上は交渉決裂とみなす。貴様の全身を切り刻み、摺り潰し、塵芥と化すまで何十年かけてでも拷問する」

 ガーランドは無表情のまま蒼き瞳を輝かせ、背筋の凍る威圧を込めて言い放った。周囲に伝わる圧倒的な威は、背後の蝋燭をも震わせて掻き消していった。

 しかし藤兵衛は動じない。この男は動じない。

「やめいやめい。強い言葉を使っても結果に大差はなかろうて。話自体は呑んだが、この1週間は儂の好きにさせてもらうぞ。如何なる口出しも許さぬ。それで構わんな?」

「無論。この国に於ける全ての自由を保障しよう。大司教としてな」

「何とも心強いお言葉じゃて。さて、儂はちと休ませてもらうかのう。誰かさんの為に、老骨に鞭打ってやったからのう」

 ガーランドは小声で衛兵を呼び、顎で指示を出した。緊張した面持ちで案内する衛兵に、藤兵衛は胡散臭いほどの笑顔で付き従った。部屋には残されたガーランドと、数人の衛兵達。眉間に皺を寄せて残りのグラスをあおった彼に、カミラが心配そうに話しかけた。

「いかがでしたか? 釣れましたか?」

「さてな。各方面から揺さぶったがあの調子だ。のらりくらりと躱された感は否めん。大陸一の大商人の名は伊達ではない。『首輪』は付いているとは言え一切油断できん」

「奴は従うはずです。さもなくば全ては無駄足となりましょう。情報では奴は、確かにシャーロットと袂を分かった模様。不老の術が解除されているのが何よりの証拠です」

「そんな素直な男には思えんがな。どうも予感がある。あの男がアガナにとって大敵となると。やはり……現時点で殺した方がいいかもしれんな」

 その言葉が空気中に放たれると同時に、室温が数度下がったと感じる程の張り詰めた気配が広がっていった。衛兵は震え上がり、足がすくんで立っているのがやっとだった。その中でもカミラだけがやっとのことで態勢を整え、冷静な態度を取り繕い話を続けた。

「し、しかし奴を殺すには、シャーロットを相手取る必要があります。例え力を落としていても、我らだけでは奴を敵に回すのは危険すぎます。そして何よりミカエルが……」

「黙れ。お前も殺すぞカミラ」

「……!!」

 瞬時に首筋に闇力が高まるのを感じ、カミラは恐怖のあまりその場にへたり込んだ。それを見たガーランドは嗜虐的な笑みを浮かべて軽く腕を上げると、ふっと闇力は霧のように搔き消えた。すぐに冷静さを取り戻した彼は、彼女に歩み寄りそっと優しく肩に手を当てた。

「冗談だ。立て。考えてもみろ。私が何のためにあのケダモノをこの地に留めていたと思う? ミカエルの置き土産を使うのは今しかない」

「は! 左様ですか。ならそちらの準備も進めておきます」

「大人しく渡せばそれで良い。駄目なら奴を捕えてシャーロット一派は皆殺し。責任はあのケダモノに押し付ける。何の不安もない。カミラ。シャーロットを追え。大至急だ」

「それが……途中まで足取りは追えたのですが、現在地は不明です。申し訳ありません」

 心底申し訳なさそうに平伏するカミラに更に近付くと、ガーランドは彼女の美しく伸びた金髪をさらりと撫でた。

「謝る必要などない。奴の術は人間の理解を超える。だが奴は必ずここへ来るさ。俺は確信している」

「解せません。あれ程の術士が、たった1人の奴隷の為に危険を冒すとは。奴に弱みでも握られているのでしょうか?」

 ガーランドは彼女に更に近付き、耳に唇を当てて吐息のように囁いた。

「……カミィ。もし俺が本国に捉えられたら……お前は見捨てるのか?」

「……そんな訳ありません。絶対に取り戻します。私の命に代えても……ガル」

「そういう事だ。話は以上。すぐにシャーロットを探せ」

 カミラ達は敬礼の姿勢をとり、訓練された動きで速やかに部屋から退出した。ガーランドは全員が去ったのを何度も確認してから、不意に机に突っ伏して凄まじい呻き声をあげた。

「くっ……! 静まれ! 静まるのだ!!」

 掻き毟るように胸を押さえるガーランド。額から流れ落ちる汗の量が、彼の苦しみを雄弁に物語っていた。今まで見せたことのない苦悶と憤怒の表情で、彼は絞り出すように呻いた。

「やはり……足りん! 『賢者の石』が必要だ! 金蛇屋藤兵衛……お前の持つ“半身”、必ずや奪い取ってくれる!!」

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