Magic - Hour

ゆきむら燎

00 プロローグ

 爺ちゃんが他界して半年。


 あのアクティブ高齢者がオレの前から消えた衝撃は、思っていたよりあっさり収まった。心の中に出来た『爺ちゃんが居た場所』の空き地は、埋まることはないけれどそこが空いていることにいつの間にか慣れている。

 人はこうやって悲しみを乗り越えていくものなんだなって、我ながら妙な感慨を抱いてしまった。

 初めて経験した、身内の死。忘れるんじゃない。忘れられる訳がない。ただ、居ないことにはいずれ慣れる。不思議なことに今は楽しかった記憶ばかりを思い出す。


 半年を経て遺産問題にケリが付いたらしく、爺ちゃん家を売り払うことになった。

 そこで遺品整理業者が入る前に思い出の品を漁りに——失礼、譲り受けに来た。

 最初は嫌だったけど、来て良かった。もう壊されちゃうんだ、この家。釘で引っ掻いてめちゃくちゃ怒られた廊下の傷。うっかり割っちまって一枚だけ模様が違う、昭和レトロなガラスの建具。苦悶の表情にしか見えなくて子供の頃死ぬほど怖かった天井のシミ……。


 全部、なくなっちゃうんだ。


「欲しいものがあったら言えよ」


 親父の後ろ姿は完全に空き巣だった。

 趣味人ではあったがコレクターではなかった爺ちゃんは、金を外で使う。蒐集品を買い集めるより、旅先で新しい体験をし美味しいものを食う方が好き。

 そんな人だから、金銭的な価値のあるものは家にあんまりない。


 ただ、ひとつ。

 爺ちゃんのトレードマークと言えば、なものがある。


「じゃあ、カメラ」

「カメラ? ……古いし、高級な奴じゃなかったと思うけど」

「別に良い」


 売って金にしようって訳じゃない。

 記憶にこそ価値がある。

 爺ちゃんが撮った写真は、爺ちゃんがその瞬間に生きていて、その場にいた証拠だ。


 カメラバッグはほどなく発掘された。

 古いカメラがいくつか。レンズが五、六本。これが半年間、爺ちゃん家に眠っていたということは、誰も欲しがらなかったんだな。

 あるいは持ってって売りに出してみたものの、値がつかなくて戻されたのかも。

 ゴミを出すのも金がかかるご時世だ。


 一番でかいカメラの電源を入れてみた。もちろん無反応。完全に放電し切っちゃってる。

 幸い、フィルムカメラじゃなくてデジカメだった。メモリーカードを抜いてみる。互換性のある奴だ。鞄から携帯ゲーム機を出して差し込む。

 記憶は、そこに残っていた。


 観光地のスナップ写真や、見覚えのある風景、人物が混在している。遠い地の雪景色の次に庭の植物、みたいな感じで。

 旅先で、近所で、爺ちゃんは気ままに記憶を留めていたようだ。


 ——何だろう。何か、ほっこりする。


 ふと、ゲーム機の画面がオレンジに染まった。

 ボタンを押して写真を送る手が止まる。


 知っている景色だ。この特徴的な三角形の連続は、市境の美作川にかかる橋。良く遠足で行った山の上公園から見下ろしている。

 知っているのに、知らない。オレンジ色に輝く川面や橋、逆光で黒くなってる対岸の山の縁が白く光っていて、今まさに太陽がそこに隠れましたと言わんばかりの鮮やかな夕焼け。


 何これ。

 何だこれ。

 良く見知っている風景の、全く知らない一面。爺ちゃんは知っていて、写真に撮った。


 撮りたい。

 同じ写真を撮りたい。

 爺ちゃんが居た場所で、爺ちゃんと同じ景色を見たい。


 オレは夕焼けハンターになる決意を固めた。

 機材がタダで手に入ったし、いいお手本もある。目的のない渇いた高校生活にぽとんと、潤いに満ちた雫が落ちたみたいだった。




 やがてこの瑞々しい一滴は、オレの人生を豊かに彩ることになる。

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