第3話 バグとの遭遇

 谷には様々なものが、落ちていた。

 鉄くずの塊、灌木の枝、古タイヤなどなど。きっと、あの雨でできた川がこの谷に色々なものを流し落とすのだろう。


 ぼくは落ちている鉄くずを眺めながら、これは元々どこにあったものなのだろうかなどと考えていた。


 谷底を歩き回っていると、突然巨大な鉄の塊に出くわした。

 その鉄の塊には見覚えがあり、ぼくは思わず声を上げてしまった。


「飛行機だ……。飛行機があるよ、レイラ!」


 ぼくの声に驚いた顔をしたレイラが近づいてくる。


「ひこうきって、なんだ?」

「え、知らない? 空を飛ぶやつだよ」

「この鉄の塊が空を飛ぶのか。鳥みたいにか。馬鹿言うな、キト」


 レイラはゲラゲラと笑いながら言う。

 飛行機の存在をレイラは知らなかった。でも、ここには飛行機の残骸がある。どういうことだろうか。


 ぼくは飛行機の残骸を色々と調べてみた。一部分だけしか無いのではっきりとはわからないが、この飛行機はふたり乗りのもので、プロペラを使って飛んでいたようだ。

 なにか役に立つ部品なんかは無いだろうか。もし、エンジンがあって、それが動かせるのであれば、ここでの生活は一変するはずだ。

 そんなことを考えながら飛行機の部品を見ていると、レイラが大きな声でぼくを呼んだ。


「キト、キトッ!」


 ぼくが顔をあげると、少し離れた場所にいたレイラがライフル銃を持って立っていた。


 え、本物?

 レイラはふざけ半分に銃口をこちらへ向けようとする。


「ちょ、ちょっと待って、レイラ。それ、何だか知っているのか」

「わかる。銃だ」

「わかってるなら、こっちに向けるな」

「バンッ!」


 レイラが口で銃声を真似する。

 それだけでも、ぼくには十分な恐怖であり、思わず首をすくめてしまった。


 その日の夜は、谷でキャンプをした。

 ちょうどコンテナのような四角い箱があったため、その中で食事と睡眠を取った。


 静かな夜だった。

 時おり聞こえてくるのは風の音となにかがガサゴソと動く音だけだった。


 ガサゴソ?


 ぼくは飛び起きた。

 レイラはすでに目を覚ましていたようで、昼間拾ったライフル銃を手に持っている。


「なに、この音?」

「やつらがいる」

「え? やつら?」


 なにのことだかわからなかった。レイラはぼくと出会った時に久しぶりに人を見たといっていた。やつらというのは、もしかしてこの世界にいる別の人間ということなのだろうか。


「レイラ……」

「しっ! 静かに。やつらに気づかれる」


 レイラは人差し指を唇に当てると、闇の中に目を向けた。

 夜空には赤い満月と蒼い三日月が存在していた。

 その月明かりに照らされて、何かがゆらゆらと動いているのが見える。


 大きさはぼくらと同じくらい。二足歩行であり、ぼくたちが着ているポンチョに似た服を着ていた。


 レイラはライフル銃を構えると、そのポンチョに向けて撃った。

 ものすごい音がした。

 ぼくは驚いて、その場で尻もちをついた。耳がキーンとして、一時的に周りの音が聞こえなくなる。

 レイラは次の標的を探すかのように銃口を水平に移動させた。

 火薬とか弾もあったのか。こんな時に、ぼくはそんなことを思っていた。


 またライフル銃が轟音を立てた。

 今度はぼくも耳を両手で塞ぎ、先ほどのようにはならなかった。


 闇の中にポンチョが落ちた。

 ポンチョのフードが取れて、顔を現したのは巨大なアリだった。二足歩行で人間と同じくらいの大きさのアリだ。そのアリは奇声のような高音の鳴き声をあげる。


「な、なんだよ、こいつ」

「逃げるぞ、キト」


 レイラがぼくの手を引いて走り出す。

 すでにミシュはどこかへ逃げていっているようで、その姿を見つけることはできない。

 ぼくはレイラに手を引かれながら、鉄くずが入り組むようにして放置されている迷路みたいな場所を通り抜けて、その奥へ奥へと進んでいった。

 どのくらい走ったかはわからなかった。あのアリの化け物みたいなのが追いかけてくるかと思うと生きた心地がせず、ぼくは必死に走った。


「ここまで来れば大丈夫だと思う」


 足を止めたレイラが、息を切らしながら言う。


「あれは何だったの」

「バグだ」

「バグ?」

「やつらが現れて、みんないなくなった」


 いなくなったって、どういうことだよ。殺されたってことなの。

 ぼくは吐きそうになっていた。


「あいつらは人間を捕まえる」

「捕まるとどうなるんだ?」

「わたしの家族は、村の人たちは、みんなあいつらに捕まった」


 レイラは目に涙をためながら言った。

 ぼくは何も言えなかった。

 ただ、あのバグに対する恐怖だけを感じていた。



 日が昇るまで、ぼくたちは鉄くずの影に隠れていた。


「朝になれば、やつらは姿を消す」


 レイラが言った通り、朝日が昇るとやつらの姿はどこにも無くなっていた。

 どうやら、あのバグとかいうアリの化け物は夜行性のようだ。

 ぼくたちは、まったく眠れない夜を過ごした。

 レイラはライフル銃を大事に抱えて、時おり何かを思い出したかのように鉄くずの陰から辺りを伺ったりしていた。

 眠れない夜を過ごしたのは、レイラと会ってからはじめてのことだった。

 どこに隠れていたのか、ミシュが現れた。どうやらミシュは無事だったようだ。


「もう帰ろう」


 ぼくは疲れ切った声でレイラに言った。


 谷からの帰り道、ぼくもレイラもミシュに甘えて、その背中で眠っていた。いま思うと、ふたりともよく転げ落ちなかったなと感心してしまう。


 10日間の旅を終えてレイラの家に帰ってきたぼくらが一番最初にしたことは、水浴びだった。出掛けてから一度もぼくらは体を洗ってはいなかった。旅の間は水は貴重な資源であり、飲み水を優先したためだった。


 レイラは自分の体を犬のように鼻をスンスンと鳴らしながら嗅いでいる。


「やっぱ臭い」


 笑いながらそう言ったレイラはバケツに入れた水を被ろうとした。


「あ、ちょっと待ってレイラ。いいものがあるんだ」


 ぼくはそう言って、水浴び用のバケツに細工を施した。

 水浴び用のバケツに谷で拾ってきたホースとシャワーヘッドを繋げた。

 これがぼくの今回の収穫だった。

 本当であればレイラみたいにライフル銃とかすごいものを持ってきたかったが、あのバグの登場のせいで持って来ることができたのは、このホースとシャワーヘッドだけだった。


「なにこれ、すごいな」


 即席のシャワー装置を見たレイラは驚きの声をあげた。

 レイラは着ていたタンクトップを脱ぎ捨てると、シャワー室へと駆け込んでいった。

 おいおい、だらしないぞ。ぼくはレイラが脱ぎ捨てたタンクトップを拾い上げて、洗濯用のバケツの中へと放り込む。


 水に関しては巨大なタンクに豊富に蓄えられているため、不足することは無かった。月に一度のペースであの大雨が降るため、すぐにタンクの水は一杯になるそうだ。タンクに溜められた水はろ過装置を通って、飲料水として使えるようにもなる。そういった技術はあるみたいだ。


 家族も村の人たちもみんな、バグに捕まったとレイラは言っていた。

 レイラの住むここに、文明が存在していたことは確かだ。現にレイラは銃を使えるし、あの谷には飛行機と思われる残骸もあった。バグという存在は文明を滅ぼそうとする存在なのだろうか。


「おい、キト。お前も水浴びしろよ」


 レイラの声で思考が断たれた。

 顔をあげると水浴び場から一糸身にまとわぬ姿のレイラがピョンピョンとジャンプしながら、こちらに呼びかけている。

 ぼくは固まった。女の子の裸を見たのは初めてだったからだ。


「ちょ、ちょ、ちょっと、レ、レ、レイラ。ぼ、ぼくは後で浴びるから」

「えー、そうなのか。つまんないの」


 レイラはそういって水浴び場へと戻っていった。

 見ちゃった。全部、見ちゃったよ。


 ぼくの心臓はドキドキと鼓動を繰り返していた。

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