第13話 二日酔いの力を借りて

 その夜、僕は夢を見た。一面の金色の稲穂の中を、狐がぴょんぴょん飛び跳ねていく。稲穂の中に、頭としっぽがかわるがわる現れる。狐の姿はだんだん遠くなり、やがて姿が見えなくなってしまった。


起きるとひどい二日酔いで、頭がガンガンする。僕はベッドから這い降り、とりあえず水を飲もうと、四つん這いのまま冷蔵庫からペットボトルを取り出した。500ミリのペットボトルの半分を一気に飲み干す。冷たい水が五臓六腑にしみ渡る。


昨日、どうやって家まで帰ってきたのか道中の記憶がない。よほど悪酔いしたらしい。とりあえずスマホも財布も落としていないのでほっとした。自分で自分をほめてやりたい。


 まだ頭がぼんやりしたまま時計を見ると9時だった。10時からバイトなので、慌ててシャワーを浴びる。なんとか9時50分に事務所に滑り込み、タイムカードを押していると、制服に着替えた美緒ちゃんが更衣室から出てきた。


「おはよう」といつもどおり挨拶を交わすが、僕は美緒ちゃんの目が少し赤く腫れぼったいのに気がついた。彼氏と何かあったのかなと思ったけれど、その日はやることが多すぎて、忙しさに紛れてすぐに忘れてしまった。


 今日は正月用の商品がどっと入ってくる。店内がクリスマス仕様なのは今日までで、明日からは一気に迎春モードだ。その準備に、品出しはもちろん、ディスプレイの変更もあるので僕はてんてこ舞いだった。


頭痛と、時折こみ上げる吐き気と戦いながら仕事をなんとかこなし、昼休憩のために休憩室に行くと、美緒ちゃんが一人でお弁当を食べていた。いつもなら緊張するところだけれど、今日はそうでもない。二日酔いのせいでちょうどいい具合に感情が鈍化しているようだ。


「昨日、飲みすぎちゃって頭が痛い」

「史香ちゃんとこのパーティーだよね」

桜沢さんは今日は休みだ。

「そう」

「私もそっちに行けばよかった」と、美緒ちゃん。

「なんで? 彼氏となんかあったの?」

一瞬の間が空いて、美緒ちゃんが涙ぐんだので、僕は焦った。

「ごめん、変なこと聞いて」


ううん、と美緒ちゃんは首を振った。ぽつりぽつりと美緒ちゃんが話したところによると、彼氏に二股をかけられていたという。

「前から少し変だと思ってたんだけど、よりによって昨日問いただしちゃって。向こうも開き直るし、もう最悪」

結局、そのまま別れ話になったという。クリスマスイブの修羅場。


「高校時代とは人が変わっちゃったんだよね。気がつかなかった私もバカなんだけど」

「そんなことないよ。僕だったら美緒ちゃんにそんな思いさせないけどな」

わっ。何を言っているんだ、僕。美緒ちゃんがちょっと驚いたように僕を見る。


「ごめん、僕、今日二日酔いで頭おかしいから。気にしないで」

言い訳になっていない。

美緒ちゃんはニコッと笑って、

「今度、またリス園に行かない? 二人で」と言った。



 その日の午後は、頭痛と胸やけと、これまでにない幸福感の中で時間が過ぎていった。よほどフワフワして見えたのか、店長に「森野君、なんか様子が変だけど大丈夫?」と声をかけられたぐらいだ。


酒の力を借りてという言葉があるけれど、僕の場合、二日酔いの力を借りて、ということになるのだろうか。今度こそ、二人でデートだ! 


街の空気はどんどん慌ただしくなっていったけれど、僕の脳内はバラ色のまま、スーパーの入口には門松が据えられ、あっという間に年の瀬を迎えた。


店内は年末年始の買物をする人でごったがえし、売場もレジも殺気立っていたけれど、僕は美緒ちゃんと目が合うたびに意味もなく笑顔になってしまうのだった。


バイト先のスーパーは大みそかまで営業し、正月は2日から初売りだ。僕は目いっぱいシフトを詰め込んでいたので、今年は帰省しないつもりだった。それに、正月一日はお狐さまのお参りに行かなくてはいけない。引っ越し後の初めてのお参りだ。お狐さまは、うまく仮住まいになじんでいるだろうか。


金色の稲穂と去っていく狐の夢。あれはただの夢なのか、それともお狐さまからのメッセージなのか。お狐さまのメッセージだとすると、少し控えめすぎる。


夜中に胸の上に座っていたり、部屋で新聞を読んでいたり、お狐さまの出現はいつも強烈だった。引っ越しの後は何のアクションもないのが、かえって気がかりだ。出てこられるのは恐怖なのだが、音沙汰がないと、それはそれで不安になる。


矛盾する思いに困惑しつつ、大みそかの夜、僕はバイト先でお狐さまのために少し高級な油揚げと、いつもの小瓶ではなくて、五合瓶の日本酒を買った。







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