私のどん底②

 そんなどん底状態の私を救ったのは一体何だったのか。振り返ってみれば、たくさんの助けがありました。


 一に、家族でした。親は最初、私の病を理解してくれませんでした。ただひたすらに私を学校に送り出そうとして、家にいると叱りました。強引に学校へ連れていかれたこともあります。一見冷たい対応に見えるかもしれません。実際当時の私は、親をとても恨みました。分かってくれないからと、彼らを騙して学校を休んだことも少なくありません。しかし振り返ってみれば、もしあのとき家が何の不自由もない居場所になっていたら、私は家に閉じこもっていたような気がします。ですから、私は親の厳しさに感謝しています。


 また、妹にも支えられました。親が厳しくしてくれた一方で、妹は私にとても優しかった。「駅にいると人を突き落とさないかが怖い」と言った私に、妹はちっとも理解できない考えなのに、「そういうときってあるよね」と言ってくれました。その一言で私がどれだけ安らげたか。数年経ってから「あのときのお姉ちゃんは本当にやばいと思った」と聞いたとき、私は年下の妹の対応力と優しさにとても驚きました。妹は、当時から精神的に大人だったのだと思います。そんな妹が身近にいて私は幸福だったし、今もそう思います。


 二に、学校でした。学校の先生は、私には無理に来なくていいと言ってくれました。一方で私が学校に来るための努力も惜しまずにしてくださいました。席を廊下側に寄せて、授業中に無断で出て行っても問題ないように私の情報を教師間で共有してくれました。早退したいと言えば早退させてくれ、遅刻しても怒らずにいてくれました。ただ、無断で欠席したときだけは欠かさず連絡をくださって、それだけはないようにと優しく諭してくださった。休むためには必ず電話をしなければならない、というミッションは、私を少し学校に近づけたと思います。


 三に、情報でした。私は携帯電話で自分の症状の正体が何なのかを調べました。パニック障害に行き当たるまでに時間はかからなかったと思います。得体のしれない恐ろしいものの正体が見えてきたことで、私には勇気が出てきました。私の症状は脳内物質のせいだという明確な原因があり、薬があるらしい。それなら、病院に行けば快方に向かうかも。病になってから、初めて前向きな意見を持てた気がしました。もちろん当時見た情報の中には、「パニック障害とは一生付き合わなくてはならない」だとか、「薬も効かなかった」だとか、後ろ向きなものもたくさんありました。しかし、「百人に一人がかかる」という事実が私には何より心強かった。同じように苦しむ人がたくさんいるのなら、私も頑張ってみようかなと思えました。(ちなみに、インターネットで見つけた、四秒間で鼻から息を吸って、八秒間で口から息を吐き出すというリラックス呼吸法もとても役に立ちました。数字に意識を集中すると、パニック発作は徐々に落ち着いていきました)


 そして四の病院に至ります。診察を受けるまでにも電車、待合室という障害がありましたが、楽になれるかもしれないという希望があったから、無事に耐えることができました。さすがに医師は励まし上手でしたし、正確な診断もくださって——やはりパニック障害でした——ちゃんと効く薬もくださった。この薬が、私の社会復帰の力強い後押しになりました。ポーチにたくさん薬を入れて、何かあればすぐに飲めるようにしておいた。それをお守りのように握っているだけでも落ち着けました。誤解を恐れずに言うと、私は心療内科というものを少し敬遠する気持ちがありました。怖い患者さんがたくさんいるのではないか、という偏見がありました。現実では、全くそんなことはありませんでした。通って本当に良かったと思います。


 最後に、五。実はこれが一番大きかったんじゃないかなと思います。それは私自身の気質です。生来私は、大変な負けず嫌いでした。「こんな病気に人生を台無しにされて堪るか」という気持ちが、あらゆる苦痛に打ち克つための原動力になりました。一つ前の話にも書きましたが、結局最後に戦うのは自分自身です。どんなに周りが支えてくれても、励ましてくれても、行動を起こすのが自分である以上それは当たり前のことなのでしょう。こう思えるようになったのは薬をもらって少し前向きになれてからでしたが、薬は弱めのものをいただいたこともあって、パニックを軽減するだけで万能ではありませんでしたから、この気質によって堪えられた部分も大いにある気がしています。


 とにかくそれらのおかげで、私はどうにか学校に通い直すことができました。最初からうまくいったわけではなく、少しずつ少しずつでしたし、五日間連続で朝から夕方まで通えるようになっても、平日の放課後は無論、土日まで疲れ切って何もできない日々が続きました。結果、受験は成功とは言えない結果になりました。けれども、親の要求には一応のところ応えられたこと、そして何よりもこの状況下で受験をして合格し、無事に大学に行けるということ。それだけで私は自分を褒めてあげることができました。


 私事ばかりで恥ずかしいお話でしたが、この闘病記がどなたかの役に立つことを願っています。


 ちなみに現在私は、パニック障害を克服しています。大学時代はまだ薬に頼りながらでしたが、社会人になってから気づけば薬を要さない生活になっていました。パニック障害の改善法の一つに、朝しっかりと起きて昼は日の光を浴び、夜はしっかりと眠るというものがありましたが、あながち間違いではないのかもしれません。働き始めてから間違いなく、生活習慣は大幅に改善されましたから。


 闘病中は、本当に本当に苦しかった。死にたいとまで思った気持ちにも嘘はありません。けれどもこうして乗り越えてみると、私はとても強くなりました。どんなに辛いことがあっても、「だって私はあの病気を乗り越えたんだし」と思えて、それより怖いことなんてないと感じるようになったんです。びっくりするくらい前向きになりました。そうすると、人生がとても楽しくなりました。今、私はそこそこ社畜かもしれませんが、しっかり幸せに生きています。そしてぜひこの輝きの中に皆さんも招きたいと思っています。それを目標にして、この先の文を綴っていこうと思います。

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