第13話 『勇者』レオンvs『場違い』レンティ

 岩と岩とが衝突したかのような、重々しくも激しい音。

 レンティが石畳を踏みつけた音だ。


「あああああああああああああああああァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」


 吼えて、獣の如く吼えて、彼女は両手に掴んだ長剣を高く振りかぶる。

 凄まじい速度だ。一瞬にしてレオンとの間にあった距離を潰す。


 レンティの目は『勇者』を睨む。

 そしてタイミングを計って、肉厚の刃を全力で叩きつける。


 自分が使う長剣は重くて厚いが切れ味に劣る。

 しかし、そんなものは関係ない。これだけの勢いで叩けば死ぬ。絶対に死ぬ。


 殺すつもりで、レンティはひとかけらの躊躇いもなく、刃を振るう。

 だが、そのさなかに唐突に硬い手応え。

 耳をつんざく鈍い金属音から、振った剣が何かにぶつかったとわかる。


「……レンティ」


 レオンが、右手の剣をいつの間にか両手に持ち替え、水平に掲げていた。

 渾身の一撃を受け止められてしまった。


 刹那、防がれたことへの動転を、レンティは舌打ちと共に塗り潰す。

 そして攻撃後の隙を少なくするため、強引に後ろへとステップしようとする。


「決められなかったね。残念だ」


 レオンが構えを解いて、他人事のように言った。

 たった今、殺されかけたというのに、彼の顔はいかにも涼しげだ。


 それが、たまらなく気に食わない。

 自分は全ての事情をわかっているとでも言いたげな、そのスカしたツラが。


「まだまだァ――――ッ!」


 再び、石畳を強く蹴りつけて、レンティが突進する。

 ただ突っ込むだけでなく、つけた勢いの中で上体を横にひねり、横向きの一閃。


 ガィンッ、と、またしても金属音。

 レオンの長剣に弾かれてしまい、両手にビリビリと震動が伝わってくる。


「……くっ!」


 レンティは、また後退する。

 それを、レオンは追いかけない。構えも取らずに彼女へと指摘する。


「その、打っては退く一撃離脱の戦法。リアンが得意としていたものだね」

「…………ッ」


 見抜かれ、ギクリとしながらもレンティはそれを何とか表情に出さずに済んだ。

 だが、レオンはそんな彼女の胸の内も見透かしているように、


「冒険者に復帰してからの君は、以前とは別人みたいに精彩を欠いているとは聞いていたけど、やはりそうなんだね。レンティ。本当に、哀れな道化だよ。君は」

「――うるさいッッ!」


 憐憫の色を帯びたレオンのまなざしに怒鳴り返し、レンティはみたび挑みかかる。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォォォォ――――ッ!」


 大気を震わさんばかりの絶叫と共に、最高速での刺突。

 いかに切れ味の鈍い刃でも突き刺されば関係ない。人の胴体は、急所の密集地だ。


 突き刺してやる。

 抉ってやる。

 目にもの見せてやる。生意気なクチを叩けなくしてやる!


「それは、遅い」


 ギヂィィィィィ――――ッ!


 金属同士が擦れ合う、何とも耳障りな衝突音。

 レオンの胸を抉るはずだった切っ先は、しかし、途中で刃に激突して逸らされた。


「無駄だよ、レンティ」


 落ち着き払ったレオンの声が、彼女の耳朶を打つ。

 癇に障る。癇に障る。どこまでも癇に障る『勇者』の声。その物言い。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!」


 すぐさま退き、そして四度目の突進。

 繰り出すは上段からの斬り下ろしに始まる、怒涛の連続攻撃。


 一、二、三と一呼吸で重ねられる斬撃は、並の剣士であればひとたまりもない。

 だが『勇者』レオンは、それに難なく対処していく。


 常にレンティとの間に最低限の間合いを保って、彼女の刃を弾き、捌き、いなす。

 呼吸を乱し始めるレンティに対して、レオンはまだまだ余裕を保っている。


「汗が多くなってきたね、レンティ」

「黙れ。黙れよッ!」


「やはり、その剣も、その技も、君には合っていないようだ。自分でもわかるだろう? さっきから重心が全く安定していないし、剣の重みに体が流されっぱなしだ」

「黙れって言ってるんだよ!」


 ガギンッ、二本の剣が噛み合って鈍い音を響かせる。

 Xの形に交差した刃越しにレンティは睨み、レオンは冷ややかに見つめる。


「見てごらん、自分が使っている剣を。無理な使われ方をして、刃全体に歪みが生じている。刃こぼれだって一カ所や二カ所じゃない。僕の目はごまかせないよ」

「……黙れッ!」


 図星を突かれて、レンティは呻くような返ししかできない。

 わかっている。今の自分は前よりも全然弱い。本来の戦い方ではないからだ。


 この剣は、別れ際にリアンから預けられたものだ。

 そのときの相棒の言葉を、彼女ははっきり覚えている。


 生きて戻るから、そのときに返してくれ。

 リアンは確かにそう言ったのだ。だから自分は、レンティは――、


「あいつが戻ってくる日まで、わたしはこの剣で戦うんだよッ!」

「……へぇ」


 彼女の意思表明にレオンがいやらしい笑みを浮かべた。

 それは今のレンティをしてゾクリとさせる、ねばついたものを感じさせる笑みだ。


「なるほど。それで君はリアンの戦い方をマネるようになったんだね。それが自分を弱くすることを理解しながら、近くにリアンを感じていたかったんだ、君は」

「ぅ、うるさいんだよ!」


 焼けつくような羞恥が、レンティを叫ばせた。

 怒鳴りはするが、完全な否定にもなっていない。彼女自身も気づいていないが。


「かわいそうだよね、レンティ」

「わたしを、憐れむな!」


 夜の城壁に、剣戟の音が鳴る。

 刃は噛み合い、火花が散って、けれど彼に届かない。


「僕が憐れんでいるのは君だけじゃないさ。君が助けた奴隷達もだよ」

「な、何を……?」


 この男は、何を言い出すのだ。

 ザンテが自白したことだ。奴隷達の始末を命じたのはレオンだ。と。それなのに。


「君は、自分の意思で彼らを助けたと思っているのだろうね。でもそれは違うよ、レンティ。違うんだよ。君はきっと自覚はないだろうけど、それは違うんだ」

「何が、違うとッ!?」


 下から上へ、刃が唸りをあげて斬り上げられる。

 レンティの突き上げるような一撃を、レオンはヒラリとかわして言葉を続ける。


「それもまたリアンのマネに過ぎないんだよ、レンティ。今の君の行動の基準は全て『リアンならどうするか』なんだ。君はただ妹の人生をトレースしているだけだ」

「うるさい……ッ!」


「リアンだったら困っている人間は見捨てない。だから君も、困っている人間を見捨てない。それだけだ。それだけだよ。君にあるのは模倣だけ。そこに善意は皆無だ」

「黙れェェェェェェェェェェェ――――ッ!」


 頭の中で、真っ赤な炎が爆裂したような感覚だった。

 はじけるものに支配され、意識を赤く染めたレンティががむしゃらに剣を振る。


 しかし、レオンはその攻撃のことごとくを、自分の長剣で受け止め、防ぎきる。

 そしてさらに言うのだ。


「君が助けた奴隷達の始末を指示したのは僕だ。でもね、それは慈悲だ。君のくだらないごっこ遊びに付き合わされているかわいそうな奴隷達を救ってあげたんだ」

「そんなものが、救いであるものかッ!」


「それを君が言うのか。リアンの武器を使い、リアンの技を使い、リアンの髪型をして、リアンの行動をトレースして、リアンの口調をマネして救われている君が」

「黙れ……ッ!」


 攻めているのは、果たしてどちらなのか。

 一方的に斬りかかっているのは、見ての通りレンティだ。

 しかし、一方的にダメージを負っているのも、やはりレンティだ。


 レオンの言葉の一つ一つが、いちいちレンティの心を抉る。

 体は無傷のはずなのに、体力がもうほとんど残っていないのは、精神の疲労か。

 だが、レオンはなおも彼女の精神を打ちのめそうとする。


「レンティ、君は本当に鈍い子だ。愚かで、そして理解力に欠けている。まだ気づいていないのかい? 君がさっきから叩き折ろうとしている僕の剣をよく見るといい」

「な、にを……ッ」


 聞くな、と、理性が彼女に訴える。

 しかしレンティはレオンの言葉に流されて、その視線を彼の剣に寄せてしまう。


 そこに見たのは、彼の体躯に合った長さの長剣。

 刃幅が広くて、随分と肉厚な、叩き斬ることに適した造りの――、え?


「それは、その剣は、まさか……」

「そうとも。これは君が使っているものと同じ、リアンの剣だ」


 少女ながらたぐいまれなる膂力を持っていたリアンは、二本の長剣を操り戦った。

 その現場を、レンティは誰よりも近くで見ている。


 だから、一度気づいてしまえば、見間違うことはない。

 レオンが握っているのは鍔や柄こそ変わっているが、リアンの使っていた剣だ。


「何で、それを……」

「回収したからに決まっているだろう。僕が何の『試練』を達成して『勇者』になったのか、君は知っているはずだね、レンティ。そのときに見つけたのさ」

「そんな……」


 平然とそれを告げてくるレオンに、レンティは顔面を蒼白にさせる。

 脳裏に思い浮かぶ、別れ際の相棒の顔。交わした約束。


「だけど、リアンは、生きて戻るって……」

「そんな言葉を疑いもなしに信じるほど、君は純粋じゃないだろう? 君が自分をリアンで染めようとしたのは、そうしないとあの子の死を受け入れてしまうからだ」


「ち、違う、わたしは……」

「違わないよ。何もね。君はすでに心の中ではリアンの死を確信している。でも、それを受け入れてしまえば自分を保てなくなる。だから、リアンになろうとしたんだ」


 初めて、レオンがレンティを睨む。

 その、突き刺すような視線に、レンティは口を開けたまま震え出してしまう。


「違う、違う、そんなことない……、わ、わたしは……」


 彼女の精神は、崖っぷちにまで追い込まれていた。

 口では「違う」と言いながら、本心はすでに認めつつある。レオンの言う通りだ。


 リアンは死んでいない。いつか必ず戻ってくる。

 それを信じ続けなければ、レンティは耐えきれない。今の環境を我慢しきれない。

 周りから笑われて、嫌われて、嘲られて『場違い』と後ろ指をさされる現状を。


 あの子の名誉を取り戻すために、レンティは冒険者として復帰した。

 そしてニコやリップという仲間と出会うこともできた。

 でも、彼女達は背中を預けられる仲間であっても、命を捧げられる相棒ではない。


 レンティにとって、それはリアンだけなのだ。

 その彼女の死が確定してしまったら、そうしたら自分は、自分は、もう――、


「安心するといいさ」


 突如、レオンが諭すように、あるいは励ますように、言ってくる。


「リアンは死んでいない」

「え……」

「あの子は僕の中で生き続けている。さっき言ったじゃないか、僕の中にはリアンがいる。君を苦しませているのは、僕の中のあの子が僕にさせたことだ。って」


 何を、言っている?

 この男はいきなり、何を言っている? リアンが、レオンの中で生きている?


「だからレンティ、君は今の君のままでいいんだ。僕の手の上でなすすべなく弄ばれるだけの哀れな道化人形のままでいいんだよ。リアンもそれを望んでいる」

「リアン……」

「そう、リアンが望んだことだ。今の君の苦しみは、全てリアンを待ち続けているからこその苦しみだよ。妹は君にそう在ってほしいと願っているんだよ」


 リアンが望んでいる。リアンが、レンティの苦しむ姿を望んでいる。

 じゃあ、この息苦しさも、ジクジクと疼く心の痛みも、リアンが願ったことだと?


「僕が『勇者』になれたことで、僕の中のリアンもまた『勇者』になれたんだよ。君達の願いは叶っている。だからレンティは、今まで通りに生きてくれればいいのさ」


 そう言って、レオンが笑いかけてくる。

 自分達の願い。彼が『勇者』になったことで、それは叶えられた。それは――、


「…………違う」


 小さな声で、一言。

 そして、脱力しかけていたレンティの全身に瞬く間に力がみなぎっていく。


「む……?」


 いきなり後方に飛び退いた彼女に、レオンも反応を示した。

 彼は、やれやれとばかりに肩をすくめる。


「まだリアンのマネを続けるのかい? それが僕に通じないことは、君だってもう痛感してるはずだろうに。君は君のままでいいとは言ったけど、これについてはそろそろ終わらせてほしいところだよ。いつまでも君に付き合うつもりはないんだ」

「…………」


 レオンの言葉など無視して、レンティは石畳を蹴った。

 しかし、違っていた。これまでとは違っていた。


「……音が、ない?」


 それにレオンが気づく。

 激しく響いていた踏みつけの音が生じなかった。無音の駆け出し、無音の疾駆。


「これは――」


 今までは真っすぐ最短の距離を突っ切ろうとしていたレンティだが、これも違う。

 一歩一歩をジグザグに、跳ねるように進む、無軌道な走り方。


 右に、左に、ときに大胆に、または小刻みに、次の一歩を読ませない動きだ。

 レオンの目が大きく見開かれる。明らかに今までのレンティの動き方ではない。


「このステップワークは……ッ」

「右」


 レンティが、小さく告げる。

 その声に、レオンは一瞬だけ視線を右へと向けてしまう。何もなかった。


「しまッ……ッ!」


 誘導された。

 レオンはすぐさま気づいたが、もう遅い。目の前にレンティはいなかった。


「こっちだよ」


 声は、後ろからした。

 レオンがハッとなって、弾けるようにして振り返ろうとする。


「レンティ、君は……!」

「遅い」


 後ろを向いたレオンが見たものは、自分に向かって振るわれる長剣だった。

 刃が、見事に彼の首筋に叩き込まれた。


 レンティの腕に、柔らかいものが千切れる感触が伝わってくる。

 直後に、バギンという鈍い手応えと、低い金属音が続いた。


「…………か」


 開けた口から短く声を漏らして、レオンが自分の首元を見る。

 首の半ばほどまで食い込んだ刃は、ポッキリとへし折れていた。寿命だったのだ。


 断たれた首から大量の血が噴き出す。

 だがそのときには、レンティはとっくにレオンから離れていた。

 彼女の手には、半ばから先を失った長剣が握られている。


「レン、ティ……」


 一度だけ名を呼んだのち、レオンの目はグルンと上を向いた。

 鍛え上げられた肉体から力が抜けて、彼は自分が作った血だまりに崩れ落ちる。


「…………」


 冴える月の下、レンティは自分が殺した『勇者』を見下ろした。

 勝った。『場違い』のレンティが『勇者』レオンに勝った。完全に、間違いなく。


 だが、それがどうしたというのだろうか。

 それで何が変わる。何が終わる。何が始まる。何が転がる。何が……。


「わたしは、何を――」


 壊れた長剣を握り締めて、レンティはゆっくりと月を見上げる。

 体力は尽きかけ、体は芯から熱を持ち、何だか意識もボウッとしている。


 達成感はない。充実感もない。勝利の実感より、体力の消耗による倦怠感が強い。

 本当に、こんなことをして一体何になると――、


「……くは」


 声がした。自分が出した声ではない。

 レンティはそれに気づき、レオンの死体へと視線を戻した。


 彼は、まさに立ち上がろうとしているところだった。

 首を半ばまで断たれて、確実にトドメを刺されたはずなのに、平然としている。


「な……?」


 その、非現実めいた光景を目の当たりにして、レンティは低く呻いた。

 彼女の疲れ切った体が、それでもはっきり感じとる。


「この、魔力は……?」


 レオンの全身から溢れ出る、圧倒的な量の魔力。

 人間が保有できる規模を軽く凌駕するそれは、さっきまではなかったものだ。


「レオン!」

「違うよ、レンティ」

「――――ッ」


 身構えようとしたレンティだが、彼の口から紡がれる声を耳にして、硬直する。

 声が、変わっている。


 レオンの姿なのに、その声は女性だった。

 若い女性の声だ。そして、レンティにとっては聞き馴染みのある声だ。


 聞きたくて聞きたくて、今までずっと夢に見続けてきた懐かしい『彼女』の声だ。

 その瞳を激しく揺らしながら、レンティは震える声で呟いた。


「……リアン?」

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