第3話

 甘辛いたれの焼き肉をこれでもかと頬張り、さらには苺のチョコレート漬けを5個も食べた後。満腹になったガンドは、うつらうつらと船を漕いだ。数分もしないうちに足取りがおぼつかなくなり、今ではシガレットの両腕の中で穏やかに寝息を立てている。

「花も寝るんだな」

起こさないよう、慎重に華奢な体をベンチにおろすと、シガレットは彼の隣に座った。

「そうだね。食べ疲れたんだろう。人間のような花というのもおかしな話だが」

私もガンドの右隣に腰を下ろし、愛らしいその顔を眺めた。広葉樹の葉の隙間から光が落ちて、白磁の頬に柔らかな影を作っていた。子供はうるさいから得意ではないが、こうしてみると可愛いものだ。そこはかとなく庇護欲を掻き立てられる。

「好きなだけ眠ると良いよ。ここは学院内でも限られた人しか知らない秘密の園だから」

私はガンドの髪に落ちた木の葉をつまむと、そう独り言ちた。

「はは。あんたもそんな優しそうな顔すんだな」

「何か問題が?」

「いいや」

私が半目で彼を見つめると、シガレットは口元に柔らかな笑みを浮かべた。

「でも、意外だったな。あんたっていつも何かを考えてるか、作り笑いをしているから、そんな表情は初めて見た。ブラックとはこれで4年目だけど、俺の知らない顔がまだまだあるんだな」

「当り前だ。人の本性がそう簡単に知られてたまるか。……特に君には知られたくない物も多い」

「まーな。そりゃそうだ」

シガレットは足を組むと、ポケットから煙草を取り出した。慣れた手つきで火をつけ、ふうと白い息を吐く。燻ぶった臭いが鼻の奥をつんと刺激した。ガンドの前で吸うなと注意しようとしたが、止めた。代わりに宙に視線を投げ、ちらちらと舞い落ちる木の葉を眺める。ガンドは起きそうもないし、遠くから聞こえる喧騒が沈黙を埋めてくれたから。

 私とシガレットの運命は呪われている。

 7歳で初めて教会に行った日。私は慣例に従い、大司教である叔父上から軌石を頂いた。その時の私はまだ古代神聖文字が読めなかったから、代わりに叔父上が軌石を読んでくださった。

 私の運命を知って、叔父上は大変喜ばれた。私が叔父上の後を継ぎ、枢機卿にまで出世するからだ。今でも想像がつかないが、国中の教育制度を大々的に改革するらしい。唯一、2度も婿に出されたのにひとりも子供ができないことだけは玉に傷だが、それでも滅多にないほど恵まれていると、叔父上はおっしゃっていた。きっと、叔父上自身が早くに妹と義理の弟を亡くされたことも関係しているのだろう。

 しかし、私は自分の出世よりも、20歳で人を殺すということが気になった。叔父上は運命だから気に病むことはないよと私を諭した。けれども私はどうしても納得できなかった。だから、幼い私は、まだ会ったことすらない「シガレット」という男が極悪非道の大罪人だと思い込むことにした。大罪人なら裁かれる必要があるから。

 それがまさか、よりによって高校でルームメイトになった男が、その「シガレット」だったとは。シガレットは大雑把で、楽観主義を通り越した能天気で、賭博と女性に弱い単純な人だったけれど、大罪人なんかじゃなかった。いずれ自分を殺す相手にも、容赦なく踏み込んできた大馬鹿者だ。何が「友達を100人作ることが夢」だ。そこに私を組み入れてほしくなかった。情が沸いてしまったら、君を殺すことが間違いだと思ってしまうじゃないか。神の意志は、叔父上の言うことは絶対なのに。

「シガレット。もし、君が運命を書き換えられるとしたら、何を願う?」

気が付いたら、私はそんなことを口走っていた。

「ブラック。あんた……」

シガレットは目を見開いた。煙草の灰がぽたりと地面に落ちる。

「ああ、ええとただの心理テストみたいなものさ。直感的に答えてくれればいい」

私は目を泳がせながら言った。我ながらひどい言い訳だ。冷静な私らしくない。

だが、シガレットは「わかった」と笑い飛ばしてくれた。

 そして、彼は数秒もしないうちに答えを出した。

「これと言った物はねえな」

「え?」

「俺は何も望まない。このままでいいと思う」

「どういうことだ」

だって君はガンドの花の話をあんなに嬉しそうに語っていたじゃないか。私を外に連れだす口実とはいえ、「伝説の花を探しに行こう」とも。

「あ、勘違いすんなよ? 俺にも『もしもこうだったらよかったな』って思うことはあるぜ?」

戸惑う私に、シガレットはおどけた口調で付け足した。

「2回も留年したくなかったとか、18までに彼女作りたかったとか、あの時のポーカーでジャック捨てなければよかったとか、色々後悔はある。なんで23になったら死ななきゃいけないんだって、理不尽に思ってることもある。でも、その運命をひっくるめて全部俺じゃん? 俺が俺自身を否定してどうすんだよ」

「シガレット……」

「それにさ、あんたとの生活も意外と楽しんだよ。少なくとも、俺はあんたと出会って後悔はねえぜ?」

シガレットはぽりぽりと頭を掻いた。ほんの少しだけ頬は赤らんでいたが、緑色の目は力強かった。私の濁った紫色にない、希望の光が宿っていた。

「そういうあんたはどうなんだよ?」

シガレットは短くなった煙草の火を足で踏み消した。

「私は――」

君を殺したくない。君と生きたい。だけど――。

 そう、言おうとした時だ。

「ん……ふあああ。えっと、ブラックお兄ちゃんとシガレットお兄ちゃん……?」

シガレットの肩にもたれかかっていたガンドが目を覚ました。

「あれ? ここはどこ? ボクは苺チョコを食べてたはずなのに」

いつの間にか知らないところに連れてこられて、困惑しているのだろう。ガンドはきょろきょろとあたりを見渡す。。

「ここは高等部の校舎裏だ。ガンドが道中寝ちまったから、俺がここに運んできたんだよ」

「そっか。ありがとね、シガレットお兄ちゃん。あーあ、もっと屋台見たかったな。もったいない」

ガンドは肩を下げ、がっくりと頭をうなだれた。その姿はまるで、飼い主に叱られた子犬のようだ。

 シガレットは彼の頭を叩き、軽く笑った。

「学園祭は夜まで続く。今、ちょうど3時を過ぎたとこだ。時間ならいっぱいあるぜ」

しかし、ガンドはゆるゆると首を振った。

「ババ様がね、夕方になる前には戻りなさいって言ってたの、夢で思い出したんだ。だからボク、ババ様のところに行かなくちゃ」

「そうか。それは残念だね。じゃあ、私たちがババ様の元まで送ろう。そうすれば少しでも長くいられるだろう?」

私は腰をかがめ、空色の瞳をじっと見つめた。本当はガンドではなく、ババ様に用がある。もし彼女が危険人物だったら、叔父上に報告しなくてはならない。

けれども、そんな私の思惑は露知らず。ガンドは私の右手を握った。もう片方の手で、シガレットと手を繋ぐ。

「じゃあ、3人一緒にババ様のところに行こう!」

元気の良い高い声が、秘密の花園に波紋ように広がった。

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