【短編】プロセルフ・アート

結城 刹那

第1話

 閑散とした暗い空間に響き渡る摩擦音。

 かれこれ十数年という長い年月聞き続けた馴染みのある音だ。


 音を奏でるペン筋とスクリーンを凝視しながら、私は線を引いた。私の手の軌跡を追うように生成される黒いインク。それが、一瞬にして消える。描いた線に納得が行かず、『逆戻り』の操作をした。


 もう何度同じ動作を繰り返してきたことだろう。

 かれこれ一時間もの長い間、私はたった一筋の線を描くのに手こずっていた。まるで私だけ時間が止まったような感覚だった。


「ピコンッ」


 葛藤していると、向かい合ったスクリーンの隣にあるパッドから通知が流れる。視線を動かすとSNSで反応があったことを示すメッセージが送られていることが分かった。私の描いた作品に誰かが『いいね』をしてくれたみたいだ。

 

 私は内容を見て思わず微笑んだ。パッドのロック画面を解除し、SNSを覗く。

 そして、今度は落胆した。SNSには私よりも遥に優れた技量を持つ絵師がたくさんいることに気づかされるからだ。それらの大半はこう呼ばれている『AI絵師』と。


 人工知能による画像生成技術が革新されたことで『人が上手と思えるような絵』を人間の数万倍の速さで作れるようになった。

 それを嬉しく思う人もいれば、悪く思う人もいる。私は絶対的に後者だった。


 自分が長期間かけて作った傑作が自分より優れた物が短期間かけて作った凡作に埋もれていく様を目の当たりにして、喜ばしく思えるわけがない。


 私は彼らに追いつこうと努力した。だからこそ、一筋の線を引くのに数時間もかかっている。私のこんな苦労を知らず、彼らはこの数時間で数千万、数億の線が引けているのだろう。


「私は何をやっているんだろう……」


 絶望にひれ伏した私は、脱力するように椅子にもたれかかる。背もたれを倒し、わずかに光る蛍光灯へと目を向けた。


 自分は今まで何をやってきたのだろうか。こんな私がこの世で生きていていいのか。時々、大きな不安が私を覆い尽くす。せっかくもらえた称賛の声が、自分の不安に打ち消されていく様を目の当たりにし、さらに落ち込む。まさに負のスパイラルだった。


「気晴らしに街を歩くか……」


 これ以上、絵と葛藤していても埒が明かない。気分を転換させてからまた取り組もう。

 重たい身体に無理やり言い聞かせ、椅子から立ち上がる。身支度を整えると、私はのそのそと外へと出ていった。


 ****

 

 強い日差しが肌を刺し、人の声や車の音といった騒音が鼓膜を打つ。

 先ほどと逆転する環境に触れたことで体力の消耗が激しい。少しでも抑えようとフードをかぶる。夏のこの時期にフードをかぶるのは珍しいようで街行く人の視線が私に降り注ぐ。


 なんだかむず痒さを感じる。だが、太陽の光の影響で削られる体力を考えれば安い物だ。最悪の場合、疲れて家に帰ることができない可能性もあるのだから。

 騒音に関しては慣れるのを待つことにした。幸い、平日のためか人通りも車通りも少ない。


 とはいえ、この暑さの中ずっと歩き続けるのも辛い物だ。

 外へ出て数十分。流石に体力の限界を迎え始めたので、ビルの中へと入る。

 ドアが開くと部屋に溜まった冷気が自分の体へと押し寄せる。フードをとり、服を叩くことでこもった熱を外へと逃す。代わりに入ってきた空気はまるで氷を入れたかのように冷たくて心地よかった。


 あまりの気持ち良さに身悶え、大きく息を吐く。

 ふと我に帰ると、誰かに見られていなかったか不安になり、顔をキョロキョロさせた。運よく誰にも見られていなかった。そこで今の動作も不審だったと気づき、恥ずかしさが増す。


 ビル内の様子を見渡すと多種多様な飲食店が見られる。その場で商品を渡され、どこかで食べるという形式の店が数多い。

 並んでいるのはスーツを着た男性女性ばかりだ。おそらく、このビルに部屋を持っている会社の社員だろう。


 私は最初に目についた『スムージー』のお店にいくことにした。

 普段飲む飲み物よりもリッチなものとなるが、気分を上げるための金額と思えば大丈夫だろう。


 メニューを覗くと新商品の『サクラ』が昨日から販売されているようだった。だが、他のスムージーよりも100円高い。そこは流石に看過できない。

 私は自分の中の定番である『マンゴースムージー』を注文した。

 

 注文を終え、受取口へと足を運ぶ。

 キッチンでは私の注文したマンゴースムージーの調理が始まる。ミキサーにマンゴーを入れると電子音が流れる。先ほどまで綺麗な形をしていたマンゴーが残像と化す。一瞬のうちにネバっとした橙の液体となり果てていた。


 容器に注ぎ、蓋をされ、私の元へとやってくる。

 ちゃんとこの目で見た紛れもない、100%マンゴーで作られたスムージー。容器を持った時の冷たさも相まって、私の食欲を一気に注がせる。


 ストローで啜ると少しして、マンゴーが口の中へと注がれる。普段滅多に食べないため味を忘れてしまっているが、口の中に入ると瞬間的に私の記憶が蘇る。甘さとジューシーさのハーモニーに少しかかった酸味が独特な味を見せる。これこそがマンゴーが唯一無二である果物の象徴だ。


 冷たさが体全体に染み渡り、疲れ切った私の体が一気に回復していくのを感じた。

 買ったスムージーの味に満足感を覚えながらビル内を散策する。静けさ漂うビル内に靴音が響き渡る様は聴いてて心地いい。


「ん……」


 マンゴースムージーによって味覚が強まった私の五感だが、自販機横に置かれたカタログケースに視線を奪われた。目に入ったのは、聴いたことのないようなワードだ。


「プロセルフ・アート……」


 そのワードを小さくひとりごちりながらケースの方へと歩みを進めた。どれだけ別のことに頭がいっていたとしても、芸術に関しての意識は常に心の中にある。

 カタログから『プロセルフ・アート』と書かれたカタログを取り出し、中身を確認する。


 どうやら、個展開催の広告のようだ。

 開催は明日から。場所も案外近いものだった。

 私は『プロセルフ・アート』という初めて目にする単語に興味をひかれ、広告を凝視した。

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