第14話
「へぇ! けったいなこった!」
今日は弥勒亭を準備中にして、俺と彼岸は食事をとりにきていた。テレビでは三橋みつるが逮捕され、事件の全てを自供したと報道されていた。
俺は左腕を包帯でぐるぐる巻きにしているが、まだ痛む。クソ犬め。
「でも、彼岸ちゃんと尾崎の兄ちゃんの活躍で殺人犯を逮捕! いやぁ、すごいねぇ」
大将はどーんと、鯛の活け造りをテーブルに置くと俺のお猪口に日本酒を注いだ。
「今日はどんどん食って飲んで! 景気付けだ!」
「じゃ、遠慮なく」
「俺もいただきます!」
活け造りになっている魚は海の方から仕入れたらしい。俺は食ったことがなかったが海の魚っていうのはこんなにも味があって美味しいのか。そうか、昔じゃ海から魚を運んでくることなんて難しかったが、今の車や飛行機なんかがあれば新鮮なまま持って来られるんだな。
「いや〜、でも最近は物騒になったもんだねぇ」
「殺人や自殺なんかも増えてるっすよ、親父とテレビをよく見るんすけど、いやーなニュースが多くって」
弥勒が大将のお猪口に日本酒を注ぐ。大将はちびちびとそれを飲みながら、炙り立てのあたりめをしゃぶった。
悲願の方はタコの唐揚げを一生もぐもぐしていたし、俺は「鶏の唐揚げ」に夢中だ。この唐揚げってのに黄色いクリームをつけて食べるともう悪魔的に美味い。油揚げよりも好きかもしれない。まよねーずと言ったっけな? 白飯にも酒にも合う。酸っぱくてしょっぱくて芳醇な香り。それでいて大した値段はしないときたもんだから最近の日本人の技術はすごいとつくづく思う。
「ぷはっ〜」
「親父、飲み過ぎんなよ」
「いいんだ、いいんだ。今日は二人をもてなすんだから」
「あーあー、お二人ともすんません。親父ったら下戸なのに酒飲んじまって」
申し訳なさそうにする弥勒に彼岸は
「いいのよ、ご馳走してくれてありがとう。ふふふ、たまにはこうしてみんなで食事をするのも素敵ね」
いいことを言っているのに、タコの唐揚げを噛んでいるせいで子供のような喋り方になっている。
「そうだ、扇風機の話はどうなりました?」
三橋の事件のせいですっかり忘れていたが、そうだ。扇風機とやらを彼岸にお願いしようと思っていたんだった。
「忘れてた……、なぁ彼岸。俺、扇風機が欲しいんだよ」
「そう、いいんじゃない」
「ほんとうかっ」
「えぇ、別にダメなんて一度も言ってないわ」
「よっしゃ〜!」
寝苦しい夜から解放されると思うとそれだけで頑張ってよかったと思う。
「だって、今回のお客さま対応で尾崎は十分に活躍してくれたもの。ただの穀潰しだなんて言えなくなったわね」
彼岸は俺の左腕を見ながら皮肉たっぷりに言った。こんな時までちょっと馬鹿にしやがって。本当に彼岸は椿にそっくりだ。もしかして、生まれ変わりなんじゃないか? 割と、本気で。悲願の怪しい瞳が意地悪く光ると、弥勒が
「じゃあ、明日の午前中。仕入れに行くんで一緒に町までどうでしょう? ついでに扇風機を買って運んじゃうっすよ!」
「弥勒、ありがとう」
腹一杯になるまで食事と酒を食ったり飲んだりして、俺と彼岸は弥勒亭を出た。すっかり夕方になって、日が傾いていた。今日は夕食はいらないな。夜に茶漬けでも流し込むか。
「彼岸、風呂は?」
「今日は私が先の日でしょう」
「そんな酔っててできるのかよ」
「あら、私はお酒に強いのよ? ふふふ、あなたこそ、その腕で薪を割れるのかしら」
「るせぇ、平気だよ」
彼岸がよろよろと歩くので服の裾を俺が掴んでなんとか転ばないようにする。街にはハイカラなものがたくさん溢れていて、服や靴だっていろんなものがあるのに彼岸はこういう古臭いものが好きだ。
柄の着物に漆塗りの下駄。下駄なんか履いているせいで何度も転びそうになる。真っ黒な髪は椿とおんなじで、後ろ姿だけなら生写しのようだ。
余命が長くなって、余裕が出てきて少しだけ彼女自身も心に隙間ができているらしい。俺をからかってみたり、新しい本を買ってみたり。少しずつ幸せを増やしていっているようなそんな感じだ。
「あら、お客さま?」
「おいおい彼岸、こんな時間にか?」
彼岸に言われて、彼岸堂の入り口に誰かが立っていた。背丈からして男だろう。黒スーツを身に纏っている。男のそばに黒い車が止まっているが、気配は一つ。彼は一人でやってきたようだった。
客が来ているが、今日は俺も彼岸も酒に酔っている。話を聞いてやれるか? 彼岸はへろへろと笑っている。無理だな。今日はおかえり願おう。
「すんません、今日は臨時休業で……って、え!」
俺が声をかけたら男が振り返った。タッパのある男はスーツがよく似合っていたが、その顔を見て俺はすごーーく嫌な気分になった。
「先日ぶりですね、尾崎さん」
能面のような表情で、見事な作り笑いを浮かべた島松は俺たちをじっと見つめたままお辞儀をした。
「何の用ですか」
犬の気配はない。それに、先日こいつらがやってきた時の白黒の車ではない。では、休みでやってきたのだろうか。とはいえ、休みならスーツなんていう動きにくい服は着ないはずだ。
「どうぞ、上がってくださいな」
「彼岸、こいつ客じゃないぞ」
「いいのよ、尾崎。冷たいこと言わないの」
俺はわざと聞こえるように舌打ちをする。島松は聞こえないふりをして俺たちの後に続いた。俺はどうやらこの警察や刑事という生き物が嫌いらしい。
「尾崎、お水を」
彼岸と島松が先に応接室へ向かい、俺は台所へと向かった。江戸切子のグラスに水を注ぐと氷を浮かべ、お盆に乗せる。
「どうぞ」
「ありがとう」
島松は軽く会釈をするとグラスに口をつけた。彼岸も良いを覚ますように水を飲むと小さく息を吐く。
「島松さん、刑事さんでしたね。今回はどのような要件で?」
こいつは<死の相談>をしにきたわけじゃないのは彼岸もわかっているようだった。
「あぁ、僕は職業柄、さまざまな死に関わります。死体を調査することもあれば、殺人を防げないこともある」
「では死の相談を?」
「いえいえ、今回はね。そういう目的じゃないんですよ」
もったいぶりやがって。刑事ってのは暇なのか? 俺はイライラして足を揺らす。
「あら、なにかしら」
「実はね、俺たちは三橋の自供を聞き出すために、あの日かなり前からこの彼岸堂に到着していたんです。ちょうどこの応接室の外で聞き耳を立てていました。もちろん、三橋があなたがたに危害を加えようとすればその窓から彼に銃撃するつもりで」
応接室にある小さな窓を指差して、島松は淡々と言った。
「そうだったの」
「えぇ、ですが。彼岸さんと尾崎さんと三橋は話し始めましたね。特に、彼岸さんの話術はすごかった。ベテラン刑事もびっくりの尋問でしたよ」
「尋問だなんて。私は彼の相談を受けていただけですよ」
「三橋は殺人犯です。多くの殺人犯は自己保身のために嘘をつき、それを正当化する。俺たちが証拠を見つけられなければ殺人犯の嘘が真実になってしまうんです」
確かに、今回の場合はやよいが死んでしまっている以上、彼女の言い分は聞けないのだ。
(まぁ、俺らは幽霊と話すことができる時もあるからそうとは限らないけど)
「で、何がいいたいのかしら?」
島松は「無駄話ばかりすみません」と謝罪した後正座に座り直すと彼岸の顔をじっと見つめた。島松瞳は浅い茶色で、瞳孔が小さいからかまるで猛禽類のような嫌な瞳だった。こんな目で睨まれたら三橋のような犯罪者はしょんべん漏らすんじゃないか。
「あなたに、殺人犯の尋問をして欲しい」
「嫌です」
彼岸は非常ににこやかに、それでいてほとんど即答で返事をした。あまりにも即答だったので島松も混乱しているようだった。
「えっと、そんな。報酬はしっかり警察の方からお支払いしますし、ここからの送り迎えもちゃんとしますから」
「嫌です」
彼岸は薄笑いではなく作り笑いを浮かべていた。どことなくその笑顔から嫌悪感が滲み出ている。
「あなたの尋問は素晴らしかった。もしも、警察に通うのが嫌であれば殺人犯をここへ連れてきましょう。あの儀式というのもしても良いですし」
食い下がる島松、しかし彼岸はがんとして譲らない。あまりの頑なさに俺は島松が可哀想になってきた。
「なぁ、彼岸。少しは話を聞いてやっても……」
「いや。何を勘違いされているのかわからないけれど、私はここで相談屋をしているの。死の相談は……かかきれない思いを私に託すことで水に流し、人々が前を進むために行うもの。国や法律に縛られた人間たちが、合理的に真実を明かすために使う道具でも手段でもないの」
無表情で話す彼岸は、なんというかとても怖かった。真紅の瞳が薄く、強く島松を睨み付ける。
「でも、あなたのおかげで三橋は真実を自供し、前に進んだ。違いますか。多くの殺人犯は前に進めずにいる。あなたが尋も……じゃなくて話を聞いてくれれば罪を反省し、前に進むことができる」
島松の言っていることはただの屁理屈だ。犯罪者の中には愉快犯や死への思いを抱えていないものも多いだろう。そもそも、彼岸に真実を話すのだってその人間が真実と向き合おうとしているから話すのだ。
嘘をついて自己保身に走っている人間が話すとは到底思えない。
「殺人犯を捕まえて真実を暴くのはあなたがたの仕事じゃなくて?」
「それはそうですが」
「自分達の実力のなさを、こんな田舎に住む私どものようなものに頼ろうだなんて、恥ずかしいと思わないのかしら。あなたはもっと仕事のできる人だとおもったのだけれど」
とんでもない侮辱だ。彼岸はもしかしたら俺よりもお上が嫌いなのかもしれない。この場合、俺は間を持つべきなのか? どんな時代もお上に嫌われると良いことはないしな。
「すみません、うちの主人はこの相談屋を仕事というよりも趣味に近い形で行っています。ご警察のお仕事として行うには少し荷が重いかと」
俺の発言に彼岸は「ふっ」と笑う。せっかく俺が間を取り持ってやったのにこの女、鼻息ひとつで台無しにしやがった。
「それに、私とても怖かったんです。三橋と話すのはすごく、それはすごく」
そう言われてしまっては島松は何も反論ができない。それもそうだ、凶暴な殺人犯と目を合わせて会話をするなんて、怖いに決まっている。傷つけられることはないにしても心に深い傷や恐怖を感じることだってあるかもしれない。
「ですが……」
島松は何も言い返せなくなったというのにまだ諦めきれない様子だった。この男、いったい何を考えているんだ?
「ということですので、さっさとおかえりくださいまし」
しばしの膠着のあと、彼岸は吐き捨てるようにいうと応接室を出ていってしまった。俺と島松の間で気まずい空気が流れる。
「ダメか……。いや、彼岸さんがすごいと思ったのは本当なんですよ。それに、俺たち警察の尋問がうまくいかないことも本当です。でも、彼岸さんのいう通りですね」
島松は鞄を手に取ると重い腰を上げた。
「あの、殺人事件ってのはそんなに頻繁に起きるんですか」
俺は気がついたら質問をしていた。というのも、彼岸の余命が4日から44日に伸びたとはいえ、客の出入りは今の所完全に運任せだからだ。
この前はたまたま椿が俺たちを助けてくれたからよかったものの、もう次はない。次、客足が途絶えてしまえば彼岸は確実に死ぬだろう。そこで俺は思ったのだ。この刑事と手を組めば、半永久的にこの彼岸堂に客が来るんじゃないか?
「まぁ不審死は日々ありますが……俺たち警視庁が捜査に出るのは1ヶ月に1件ほどですかね。三橋の事件はかなり早く解決しましたが、場合によっては数ヶ月にわたることもありますね」
島松は丁寧に説明してくれた。聞くところ、好都合じゃないだろうか。1ヶ月に1度、こいつ経由で客を寄越してもらう。そうすれば余命44日である彼岸は、命の危機に晒されることはない。
「被害者遺族だ」
「え?」
「被害者遺族の話なら、うちの主人も聞いてくれるかもしれないです」
玄関で靴を履いていた島松はぴたりと止まった。俺は奥で彼岸が聞いているのをわかっていて少し大きな声で続ける。
「俺たちは、死への……死者への思いを受け取ります。それは生きているものたちが前を向くために、死んだものが後腐れなく天へ還ることができる。それが俺たちの仕事なんです」
「なるほど」
島松は真剣な表情で顎をさすった。
「その条件は殺人犯には当てはまりません。でも……殺人の被害者遺族なら当てはまると俺は思います。理不尽に大切な人を失った遺族の悲しみを、俺たちならその人たちを助けられるかもしれません」
俺が助けたいのは……彼岸だ。俺たちが生活するための糧にしたいだけだ。
「被害者遺族の悲しみを、か。確かに、殺人によって家族を失った人々はその人生を狂わせてしまうことが多い。だが、俺の仕事の手助けにはならないけどな」
島松は乾いた笑いを浮かべた。こいつの目的は殺人事件を迅速に解決し、真実を見つけること。でも俺が出した案ではそれは叶わない。刑事という生き物は非常に利己的で、己の利益にならないことはしたくないのだろう。交渉は決裂……か。
「もし、死への思いのやり場を失っている人がいれば、ここを紹介してください。きっとそれなら、うちの主人もきっと話を聞いてくれるはずですから」
「あぁ、機会があればそうするよ」
島松は立ち上がってトントンとつま先を地面に打ち付けて革靴を整えた。
「それでは、ご主人によろしく」
「えぇ、さようなら」
島松が車に乗るのを見送ってから、俺は引き戸を閉めて鍵をかけた。
「気が効くじゃない。尾崎」
「聞いてたんだろ」
彼岸は片手に持ったグラスを傾け、水をごくりと飲んだ。すっかり酔いが覚めて、赤くなっていた頬も元に戻っている。
「ごめんなさいね。私、刑事という人間が大嫌いなのよ」
「そうかよ、俺も刑事も犬も嫌いだぜ」
あぁ、特に犬が嫌いだ。仲良くなれる気がせん。
「でも、ありがとう」
「別に、お前のためじゃねぇよ。金を稼いだらいい暮らしができるだろ。俺のためだ」
彼岸は俺の本心を見透かしているように笑うと台所の方へ向かった。彼岸のご機嫌がよくなった。それだけで十分だ。
俺は椿と約束したんだ。
——コン。 彼岸をよろしくね
俺が唯一愛した人間は最後にそう言い残した。彼女が天に登ったあの朝日を俺は忘れないだろう。
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