第12話 一人のためのASMR

 食事を終えて、レイラのあとにお風呂に入る。初めてこの家に来たときもそうだが、残り湯を飲むという行為はしていない。

 シャンプーなどでお風呂がいい匂いだって思ってしまうのはしょうがないところだろう。

 明日は週末で休みというのもあって、ゆっくりお風呂に浸からせてもらう。

 僕はお風呂に浸かるときに入れてはいなかったけど、レイラは必ず入浴剤を使っているみたいだ。

 白い乳白色のお湯から上がる湯気は、なにかの花の香りがしている。

 なんて思いながら、実は花の香りじゃなかったら恥ずかしいんだけど。


 お風呂を出て、新しい寝間着に着替える。

 レイラは匂いフェチの可能性があるので、普段より一日早く新しい寝間着にした。

 いつもは三日に一回替えていたけど、二日に一回にした形だ。


 僕はソファのままでいいやって感じだけど、今日はお風呂からリビングへ戻るとベッドにしてあった。

 この家に来て初めてベッドになっているというのもあって、リビングでの専有面積がけっこうあるように感じられる。

 見た感じダブルベッドと同じ大きさになっているので、けっこうな大きさだ。


 僕の寝床を用意してくれているレイラに、つい視線が向いてしまう。

 もう温かい季節になってきているからか、家では脚が出ている服装だ。

 クォーターだからなのか、それとも色白だからなのか肌がすごく白い。

 髪の隙間から覗くエメラルドグリーンの瞳を見ると、僕は強制的にドキドキさせられてしまう。

 この目の前にいる人がレイラだって言うのだから反則だよ。



「あ、お風呂上がったんだね」


「はい、いただきました……?」



 この数日でなんとなくわかる。僕に伺うような目を上目遣いでレイラが向けている。

 たぶんなにか言いたいんだと察した。



「あの、ここに寝てくれる?」


「はい、わかりました」



 レイラに言われたように、僕はバスタオルが置いてある場所に頭を乗せて横になった。

 それを確認したレイラは電気を消すと、目が慣れていないのもあってなにも見えない。



「翔也くん、目閉じて……」


「……は、はい」



 目を閉じてってなに? バカな僕はあり得ない妄想をする。

 キスする前とかによく言われるセリフだ。

 あり得ないんだからドキドキする必要なんかないのに、無駄に僕の胸は鳴ってしまう。



「そのまま目は閉じていてね?」


「はい、わかりました」


「えっとね、今回のこと、すごくうれしかったの。メアも言ってたけど、あんなことあったら普通ならファン辞めたくなると思う。

 翔也くんのおうちに行ったとき、アーカイブ見てくれてたでしょ?」


「――はい」


「あのとき私、泣きそうになってたんだよ? 本当にすごくうれしくて、レイラとしてなにかできないかなって考えてたの。

 でもレイラはなにができるんだろうって考えて、大したことじゃないかもしれないんだけど……。

 生でASMRしてあげる」


「っ――!!」


「目開けちゃダメッ」


「は、はい」



 僕はレイラのASMRを聴いたことは三枠しかない。レイラのASMRは過去配信をさかのぼっても三枠しかないからだ。

 有料のメンバーシップでしかやらない配信者とかもいるけど、レイラはメンバーシップの方でも一回しかしていないらしい。

 僕はメンバーシップに入っていないけど、ASMR目当てでメンバーシップは入らない方がいいって言われていたりするくらい少ない。

 でもファンであるバーサーカーの要望は常にある状態で、レイラのASMRはかなりレアとなっていた。



「できないのもけっこうあるし、マイク通さないのも初めてだからあんまり期待はしないでね」



 言い終わると、レイラがなにかしている音が聴こえてくる。

 レイラに言われたように目は閉じているのもあって、静かなリビングでレイラの音だけが聴き取れた。



「耳、触るね」



 レイラの指が直接耳に触れて、手につけているオイルの香りが鼻に届く。

 今まではフローラル系とか柑橘系のオイルを想像していたけど、レイラが今使っているのはたぶんマグノリアが入っているオイル。

 華やかな香りというより落ち着くようなやさしい香りがする。



「なにも点けないと耳痛くなっちゃうだろうから、少しオイル使ってるんだけど大丈夫かな?」


「はい、大丈夫です」



 ベタベタになるというほどではなくて、本当に滑りをよくして摩擦まさつで痛くならないようにする程度の量。

 レイラの指がやさしくすべるように僕の耳にオイルをっていく。


「――――――」


 右側の耳元で息を吸い込むのが聴こえて――――。


「ふぅぅぅーーーーーー」


 生でのASMRは音だけではなくって、レイラの息まで届かせる。

 ASMRは音のコンテンツでよさというものはあるけど、この生のASMRはまったくの別物だ。


「ねぇ? 翔也くんはレイラの他にも推しがいたりする? それとも私だけ?」


 耳元でささやかれると、レイラの匂いを感じる。


「お、推してるのはレイラだけです」


「――はぁ~~。本当に私だけ? あ、でもアクリルスタンド、私だけだったね。信じてもいいの?」


 頭がおかしくなりそうで、なにかを勘違いをしてしまいそうになる。

 推しに耳元でこんな風にささやかれたら、きっとみんな激推しするに違いない。

 バーサーカーって名前の通りに、狂ったように推してしまうかも。


「本当に、レイラだけ」


「ありがとう。じゃぁ、ご褒美あげないとね――――はむ」


 左側の耳に、やわらかい感触が襲ってきた。視界は目を閉じていて真っ暗だから確かではないけど、きっとレイラの唇が僕の耳をくわえていた。


「暗くて危ないから、奥まではしないから」


 そう言うとレイラは綿棒を滑らせていく。耳の複雑ふくざつ輪郭りんかくをなぞるようにして、ゆっくり掃除をしてくれる。


「翔也くんもASMRは好き?」


「はい、好きな方ではあるかと」


「ふぅぅーー。どんなところが好きなの?」


「えっと、ゲームとかだと破天荒な感じとか、暴君みたいなムーブをしてますけど、ASMRはそういう感じ全然なくって、ギャップみたいなのを感じます」


「それで好きになっちゃった?」


「は、はい……」


 なんか配信でのASMRと少し違う。配信ではここまでささやくことは多くなかった気がする。

 生のASMRっていう違いもあると思うけど、配信ではこんな甘い感じの言葉を口にはしていなかったような気がした。


「翔也くん?」



 声を落としているのは変わらないけど、少しだけレイラの声が変わっていた。



「私たちがまだ翔也くんの家に行く前、SNSに書いたこと憶えてる?」



 さっきまでとちょっと違う気がして、僕は閉じていた目を開いた。

 暗さには慣れて、レイラの顔がすぐ目の前にある。

 ベッドの足元側に僕の頭はあって、レイラはそっち側から僕を覗き込んでいた。



「誰も信じてくれていなかったですけど、レイラは僕がやっていないっていうのを見つけてくれたんですよね」


「そうだけど、そっちじゃない方。私が復帰できて、うれしいって」

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