第2話 提案

「話は大体飲み込めたわ」


目の前の役人の名前は王望天ワンワンテンという宦官だった。後宮に支える役人は宦官に限られる。一族のしがらみや身内の取り立てなどが無いように、また皇帝の所有物である後宮の女性に間違いが起きないように宦官が採用されていた。子孫を残すことがないから腐敗もしないという考えで創られた一代限りの命の宦官だが、食に執着し名誉に金に執着をする。勿論私は噂でしか聞いた事はない。実際に会うのは初めてだった。


雲泪ユンレイちゃん、これは僥倖よ。天啓だわ。私分かるの!運命的な出逢いなのよ!」

つぶらな瞳をキラキラさせながら、王望天ワンワンテンは唾を飛ばしてくる。感情的なだけでさっぱり要領を得ない。


「だって南鞍ナンアンの爺さんの第五夫人になるか、今をときめく若き皇帝姚眞微塔ヤオゼンウェイター陛下の寵妃になるかの二択なのよ。世の中の女子がどっちを選ぶかわかるでしょ⁇」


自分の国の皇帝がそんな長ったらしい名前なのを初めて聞いた。私はまつりごとには興味がない。先代の皇帝が最果ての北の領土を見捨てたから、母は雲峰ユンフォンを追われたのだ。広大な領土はそれぞれの地方色が強い。遥か遠い首都など違う国にようなものだ。


「どっちも嫌ですよ。寵妃になれるわけもないし、毒殺だの、女の諍いだの真っ平ごめんです。おんなじぐらい嫌です!私は勉強して自立して生きていきたいんです。後宮なんて男に頼っていきる女の巣窟じゃないですか…」

「後宮でも勉強はできるわ!いや、むしろしてもらわなきゃ困るくらいよ。それに雲峰ユンフォンの血を引いていて長身の教養ある娘なんて絶対今この辺りじゃ見つかりっこないのヨォー‼︎」


話はこうだ。銀蓮インリェン蔡北ツァイベイの名家の娘で、母親がやはり雲峰ユンフォンの血をひいている。後宮入りが決まり、遥々10日間をかけて旅をして後宮の担当宦官である王望天ワンワンテンに引き渡された関所で護衛の男と逃げたのだという。護衛の男は蔡北ツァイベイの屋敷で幼馴染のように育った召使だったそうだ。


やっぱり逃げるなら関所よね。雲峰ユンフォンの血をひいていると結婚前に逃亡するものなのかしら、でも私には駆け落ちする相手もいなかったとぼんやり考えていたら、泣きだした王望天ワンワンテンが跪いて大袈裟に床に頭を打ちつけ、叩頭を始めた。


「神様、仏様、万々歳様、私の首が飛ぶのォオ!後宮は3食昼寝付きで勉強もできるし、お通りさえなければ暇だからお願いィイ!それに、お通りさえなければ、宮女は数年で田舎に帰ったりもできるわァアア!しばらく辛抱してちょうだいィイ!」


「ねえ、それホント⁉︎」


私はくいついた。キョトンする王望天ワンワンテンに私は続ける。


「数年で後宮から出れるってとこ」


初耳だった。一生出られなくて、皇帝が死んだら先の後宮は皇后以外は全員出家させられるとか、一緒に埋葬されると思っていた。


「嘘じゃないわよ、全く見込みがない子は新しい子と交代させられるのよ。ただ飯食らわせても仕方ないから」


皇帝陛下のお通りがないと病む子は多いらしい。暴飲暴食がひどくて激太りしたり、病気になってしまったら見込みなしと判断され里に帰らされるらしかった。送り込める人数にも限りがあり、宦官は自分の担当の女の子を寵妃にする為に必死なのだから、入れ替わりがあるのは考えてみれば至極当然である。


どうせ、私も追われる身。数年姿をくらますのに後宮ほど安全な場所はない。


「宮女なってみてもいいかも…」

呟いた私に、宦官は目を光らせニヤリと笑う。ぷにぷにの小さいオカマのおじさんに見えても、悪意と罠のの巣をくぐりぬけて生きてきている宦官なのだと、改めて私は身を引き締めた。

「そうね!じゃあ、まずは衣装に着替えてもらいましょうか」


銀蓮インリェンの服はどれも胸がブカブカでウエストがきつい。私は少なからずショックを隠せない。


軽い気持ちで承諾した私だったが、姿勢を良くするために本を頭の上に重ね茶杯をその上において優雅に歩く為の訓練や、お話をするときに指先をどんな形で美しく見せるかの種類の稽古が始まり、案外勉強よりしんどいかもと思いつつ、関所をいくつも越えて1週間後には後宮の門前に着いた。深い堀には水が張られ、向こう側から橋を下さなければ入れない。後宮は中南京ゾンナンジン紫琴宮ズーチンゴンの裏に位置する。まさに後宮であった。


橋は馬車で渡れる。その馬車が橋を通過するタイミングで思い出したように、王望天ワンワンテンは私に告げた。


「いい忘れてたけど、銀蓮インリェンはホラ、蔡北ツァイベイで1番強い名家からの輿入れでしょう?先の陛下がお気に入りだった将軍の孫娘でもあるの。隠居して蔡北ツァイベイに住んでいる偏屈な爺さんなんだけど、その孫娘の扱いが宮女ってことはまず無いから、最低でも貴嬪からのスタートだと思うわァ。義理でも一回もお通りが無いってことはちょっと無いかもしれないわねェ。ごめんなさいねェエ。」


やられた。目の前でホホホと「せっかくだから寵妃になって生き残って私を出世させてね」と、満腹感いっぱいの笑みを浮かべる宦官はやはり毒蛇の巣の住人に違いなかった。

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