第13話 マルマーの巫女トリュファイナ

「イリアってヴァンのどこがよくて婚約したの?」


 などと聞けるくらいにはストラトス家ヴァンゲリスの婚約者イリアディスには聞けるようになっていた。

 それもストラトス家の使用人がお茶を用意している最中の質問だ。当主ヴァンゲリスは私用で席を外していたが、だからといって堂々と聞ける話題でもない。

 イリアディスはアレッシアがストラトス入りした翌日からそのままストラトス家に泊まり込んだ。確か彼女はまだ婚約中の身のはずだが、その立ち居振る舞いはもはや女主人と変わりなく、使用人達すら下手をすれば彼女を頼る始末だ。むしろヴァンゲリスの使い込みの一件で、当主を監督してくれるであろうイリアディスに期待をかけている節がある。救えないのはヴァンゲリスすらそれを良しとするあまりに、こころなしかだらしなさが増しているのではないかと思える態度なのだが……。


「あら、どうしてそんなことが気になるの?」

「だってヴァンって頼りないところばっかりじゃない? イリアくらい美人さんだったらたくさんもてるだろうし、なんでヴァンなのかなーって」

「褒めてくれるのは嬉しいけど、あたし、別にもてたりはしないわよ」

「嘘だぁ」

「嘘なものですか。それだけもててたのなら、もっと縁談の申し込みがきててもおかしくなかったわ」


 その言い様だとストラトスとは家同士の繋がりの婚約か。現代人の感覚があるアレッシアにはなんとも重苦しい理由だが、イリアディスはからっとしたものだ。


「まあストラトスと我が家の利益が一致したのは確かだけれど、そもそもあたしとヴァンって小さい頃からの付き合いなの」

「えっ、じゃあ幼馴染みってこと?」

「そうなるわね。で、お互いよく知ってることだし、一緒になれば早いじゃないって決定で婚約だから、そんなに夢のある話じゃなかったんだけど……」

「……イリア?」


 ん? と微笑み返すイリアディスに奇妙な違和感を感じた。

 どこか寂しそうな瞳はいまではなく過去に向いていた気がするが、アレッシアに彼女の心は追えない。


「……でも、ヴァンが好きなのは本当よ。情けなくってだらしないのは本当だけど、あれでやるときはきちんと立てる人だもの」

「本当かなぁ」

「アレッシアは彼の恥ずかしい姿しか見てないものね。けど大丈夫よ、ストラトス家の男の人は、いざという時は立ち上がれる格好いい人だっていずれわかるから。そうよね、パパリズ」


 確認を取る相手はストラトス家の筆頭執事だ。身長二メートル超えの細身の体躯にふわふわの頭髪。頭部から生やした山羊の角が特徴の女性で、この世界でも有数の珍しい種族の個体だ。なかなかの長命らしく、先々代からストラトスに仕えている人であると紹介されていた。

 

「左様にございます。ストラトスの方々は生まれつき頭角を現しているか、窮地に立たされると実力を発揮するかの二通りに分かれます。わたくしの見立てでは、ヴァン様は後者の方でございます」

「ヴァン自身は信じてないみたいなんだけどね」


 イリアディスが述べた通り、当主の能力に比例して、戻ってきた使用人達はなかなかに優れた人たちだった。家を出て行った理由は「給与未払い」だったが、いざ接してみるとこの執事パパリズ同様に簡単に仕事を放棄する人々ではない。ではなぜ館を離れていたかと問うてみれば、理由は簡単で彼にお灸を据えるためだったらしい。戻ってくるのももう少し先を予定していたが、アレッシアが登場したために翌日には慌てて戻ってきた。すぐさま丁寧な謝罪をもらってしまったので、逆に恐縮しきりなくらいだ。

 彼らは良くしてくれている。ストラトスの家に世話になってはや数日、アレッシアもうまく馴染ませてもらっているが、ただストラトス家の好意に甘えていたわけではない。

 イリアディスと別れるとリベルトを伴い日課の散策に出たのだが、彼からはこんな話を聞いたのだ。

 市場に行きたいと言ったら断られてしまったので、代わりにこっそり買ってきてもらった焼き菓子を食みながらの散歩だ。ちなみに彼の相棒の人狼ルドはこういった買い食いは許してくれない。食事とは腹が空いたときに食べるもの、と考えている節があるらしく、間食に理解を示してくれたのは同じ人間のリベルトだった。

 小麦と卵を混ぜた生地にチーズを挟み、そこに蜂蜜を垂らした路地で人気の軽食らしい。


「ストラトスのヴァンゲリスは元は次男坊で、本来の跡継ぎは兄の方だったみたいだね。だがある事件が起きて、兄の方はロイーダラーナから追放された。彼はなし崩し的に当主に収まった形で、兄の婚約者だったイリアディスとも……となったらしいね」

「はー……イリアってヴァンのお兄さんの婚約者だったんだ」

「幼馴染みというのは本当で、兄弟揃って仲が良かったらしい。兄君の追放後は婚約破棄かと思われたが、結局彼と婚約を決めたらしい」


 『女神の試練』の開始はもう少々先らしく、その間にストラトス家について調べてみようと考えたのは、ヴァンゲリスの当主らしからぬ態度が妙に気に掛かったためだ。

 しかしながら世話になっている家のスキャンダルを使用人達から仕入れるのは気が引ける。一日悩んだ末に仕方ない……との思いでルドに話してみると、この手の問題はリベルトが得意だと教えられた。そのままリベルトに相談すれば、彼が元から持っている知識と合わせ改めて調べ上げてきてくれた。


「ふぅん。なんでヴァンのお兄さんがロイーダラーナから追放されたのかはわかる?」

「気になると思って調べてみたが、理由は一般市民には明かされていなかった。なにせ五十年は昔の話だから、詳しい人間は限られる」

「でた、長命特有の時間感覚……」


 うんざりして空を仰いだ。

 見た目通りの振る舞いだから勘違いしそうになるが、あれでヴァンゲリスやイリアディスは二百年は生きている。ロイーダラーナに生きるすべての人間とは言わないけれど、もとより長命な種族をのぞけば、五家といった特殊な家の人間は大概神より寿命を与えてもらっている。

 それにしては精神性が幼いのではと疑問が生まれるが、実際ヴァンゲリスと接して思ったのは、身体年齢が変わらず、周囲の扱いが変わらなければ、人は案外成長しないという点だ。最近のアレッシアは見た目で人を判断してはならないと学び始めている。

 難しい顔をしているアレッシアにリベルトは苦笑を漏らす。

 

「十数年しか生きていないアレッシアにとっては慣れない感覚だろうけれど、じきに慣れるよ。私もそうだったから保証できる」

「リベルトも神様から特別に寿命をもらってる人なんだっけ」

「そうだけど……それでも他の人々よりは若輩だよ。年齢だけでいうならルドよりもずっと年下だ」


 アレッシアとしては候補者が決まったから早速試練かと思っていたが、こんな風にゆっくり時間を設けられているのは、彼らの感覚が人より長いのもあるのかもしれない。


「それでも百年は生きてないんでしょ? それで私の護役になったんだから、すごいことだと思うんだけど……」

「すごくはないさ、縁があっただけだ」


 などと言うのはイリアディスの受け売りだが、彼もルドも存外すごい人ではあるらしい。

 どういう逸話を持っているかは語りたがらないので、アレッシアも探り探りの最中だ。

 こうやって話をしていれば関係を深められるかもしれないと努力を重ねている。


「ストラトスはイリアディスがいるし、優秀な使用人さんがいるから問題ないだろうけど、この間に私って何をしたらいいんだろうね」

「より良く仕えてもらうために交流を深めるのは悪いことではないよ」

「そういうつもりで仲良くしてるんじゃないんだけどなぁ」


 単に住み心地が悪いと嫌なので、毎日顔を合わせる人とは仲良くしたいだけだ。そう言えばリベルトは嬉しそうに笑うので、奇妙な心地にさせられるアレッシアである。

 ひとまずアレッシアが知らねばならないのは他の後継者達だと言われた。所謂競争相手になるし、皆の進言はもっともだったのでストラトス家やルドに動いてもらっているが、その情報が入ってくるまでが暇だ。

 ……と思っていたのだが、この日は違った。

 慌てた様子の使用人がアレッシアを呼びに来た。ヴァンゲリスが家に帰ってきたらしいのだが、それだけならともかく、なんと彼女に客が訪問していると言う。

 驚きつつも広間に向かったアレッシアを迎えたのは、居住まいが悪そうに佇むヴァンゲリスに、その横でそれとなく彼を睨み付けるイリアディス。

 そして中心には……。


「こんにちは。会うのは二回目よね、五人目の後継者さん」


 十代後半ほどの女性は、淡い金の波打つ長髪に抜けるように白い肌を有している。こちらの世界でいう巫女服は胸や脚が大胆に晒されているが、不思議にもそれすらが神秘的に感じられた。

 どうしてこの人がストラトス家を訪ねるのだろう。後ろに立つ女性達は、ルドやリベルトと同じ護役のはずだ。

 アレッシアと同じ、女神の後継者がひとりマルマーの巫女トリュファイナが目の前に立っている。

 どういった理由があってストラトスの家にいるのだろう。問う前にトリュファイナは膝をつき、アレッシアの顔を覗き込む。


「え、な、なに?」


 微笑はたおやかだが、探るような目つきは内側を探られるようで居心地が悪い。やがて立ち上がったトリュファイナは、不思議そうに首をかしげて呟いた。


「おかしいですね。わたくしの予知は間違いなかったはずなのに、どうして五人目の貴女がここに立っていられるのかしら」


 初っ端からなんとも失礼な発言だった。

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