第11話 絶対の味方と言われたけれど
アレッシアに与えられた部屋は最上階の個室だ。
「いま使用人はいないけど、部屋はあらかじめ綺麗にしてあったから……」とイリアディスが申し訳なさそうにしていたが、なぜ申し訳なさそうにするのか、アレッシアには不思議だ。何故ならその部屋はいままで見たことのないくらい豪奢で、広く、なにより景色が素晴らしい。外観から立派な館とは感じていたが、内装はその倍を以て気合いが入っている。壺や壁掛けの武具類に宝飾品はもちろん、ところどころ入っている金細工。壁が単調にならないよう飾り布があちこちから垂れており、柱付きの天蓋寝台は外からうまく隠れるよう作られている。
部屋からは直接バルコニーに繋がっているが、硝子窓は存在しない。硝子技術は普及しているが、窓がなくても気温と虫除けを自在に調整する造りになっているためなのだが、実物を見るのははじめてだった。そのおかげで柱と柱の間から覗く緑と空が上手く調和し、互いを引き立て合っている。外からのぞかれる心配はなかったが、不安ならば分厚いカーテンを掛ければ良い思想だ。
「これが私の部屋?」
なんとなくだが『前の自分』のときだってこれほど立派な家には住んでいなかった気がする。どれほど頑張っても、相当の金を積まなければ宿泊できない施設になる。
アレッシアに説明するイリアディスは、婚約者よりもストラトスの当主らしかった。
「お花も足りないし、女の子が来るってわかってたらこんな味気ない部屋にはしなかったのに」
はぁ、とため息をつくが、肝心のストラトスの当主殿は、現在使用人を呼び戻すべく外出中だ。正確には半泣きでべそをかいているところをイリアディスに文字通り蹴り出され、彼女が呼んだ目付役と共に外出していった。
「お風呂は大浴場があるけど、お部屋にも準備させてもらってるの。着替えなんかは毎日こちらで補充するから心配しないで、欲しい物も遠慮なく言ってね」
風呂場は簡易的な布で仕切られているが、風通しが良いためか湿気は溜まらない。もとよりからっとした気候だから過ごしやすくはあるのだが、部屋付きの風呂を見た瞬間、アレッシアは声を上げた。
「お」
「お?」
「お湯が張ってある!」
風呂場はつるりとした石材でできている。湯船はなくデザイン重視で採光のために硝子のない窓が作られているが、変わっているのはそれだけではない。水瓶を持った子供の像が設置されているが、そこから絶え間なくお湯が流れ溜められているのだ。
実を言えばこの技術、女神の都市ロイーダラーナでは格別珍しいものではない。余程の『お上りさん』でなければ見られない反応だが、アレッシアの反応をイリアディスは笑わなかった。
「お湯は潤沢につかえるものだから、好きな時に体を清めてね。大風呂は時間帯によるけれど、香油はお花をうかべているから気に入ると思う」
「お花、香油……」
「興味もってくれて嬉しいわ。是非お勧めしたいのがあるの」
イリアディスはすっかり砕けた口調だが、これは年上の女性に敬語を使われるのは慣れないから、普通に話してほしいと頼んだ結果だ。彼女ははじめ辞退したが、むしろヴァンゲリスが「あ、そう?」と態度を変えたのがきっかけで普通に話すようになった。散々怒り狂う姿を晒してしまったので今更と思ったのかもしれない。
イリアディスは他にも部屋の設備を紹介してくれるのだが、使用人代わりの仕事も嫌がらずこなしてくれるし、あれこれと尋ねては世話焼きの一面も見せてくれる。
「至らなくてごめんなさいね。アレッシアが使いやすいようにお部屋は改装していくから、それまでは我慢してくれると嬉しいわ」
「え、う、ううん。文句なんてとんでもない。むしろ……こんなすごい部屋を使って良いのかなって思ってるんだけど」
戸惑うアレッシアにイリアディスは目を丸めるが、次に満面の笑みで頷いた。
「遠慮しないで。だって女神の後継候補者様をお迎えさせてもらっているのだし、これほどの名誉を授かれるなんて、それこそストラトスの初代様と並ぶ偉業じゃないかしら」
「そんなにすごいんだ……」
このあたりはイマイチ、いまだに実感が伴っていない。信仰心が薄いアレッシアにとって、神になれるかもしれない事実は『なんだかすごいこと』ではあるけれど、誰かに傅かれるほどではないのだ。少女を強く縛っている“向こうの世界”の現代人の感覚が二人の間に溝を作っている。
「護衛に関してだけど、一応不審者の侵入を防ぐ結界を張ってあります。ですが不安が残ると思うので、ルド様とリベルト様のお二人に任せておきますね」
今日中に使用人勢が戻ってくるのは難しい。彼女は実家の伝手を使って人を呼び寄せるといったのだが、大層な料理でもてなそうとしたから辞退した。なにせいままで孤児院生活だった少女には、突然における下にも置けない扱いは戸惑うばかり。否、年相応の少女だったらもしかしたら鼻高々と受け入れたのかもしれないが、記憶が曖昧でも大人としての自己も認識する少女には恐れ多すぎた。
「ごめんなさい。それよりも色々あって変化についていけなくて、ルド……とリベルトとも話してみたいから、ゆっくり過ごしたいかもしれない」
「あ、そうよね、気付かなくてごめんなさい。だったらお食事は静かにできる方がいいわね。それとも一人になりたいかしら。お風呂を手伝う人がいるならあたしの使用人をお貸しするけど……」
「ご、ごはんはどっちでもいい。お風呂はひとりでも大丈夫」
まさかのホテル並みの待遇に、これが格差かと頬が引きつった。これは最初のインパクトが強すぎたせいかもしれないが、イリアディスは立派なお嬢様だ。
結局ヴァンゲリスの帰りが遅れ食事は個室となったものの料理の種類は多彩で、玉蜀黍を練り込んだパンは焼きたてで柔らかく、牛乳を惜しみなく使ったスープにはごろごろの野菜と肉がとけ込んでいる。スパイスを利かせた羊肉は柔らかで、新鮮な果物と合わせペロリと平らげた。アレッシアははじめて自らが大食いであったとを知り、感激は言葉となってイリアディスに伝わったが、はじめ彼女はお世辞と受け取ったらしい。品数も少なかったから……と謙遜していたら、途中から本気で言っていると気付いた。驚いていたものの、これまでのアレッシアの境遇を聞いて納得した。
「神殿が他にも孤児院を運営しているとは知らなかったけど、そこまで困窮しているとは知らなかったわ。たいへんだというのなら寄付を申し出てみようかしら」
「イリアディスは知らなかったの?」
「ええ、でもあり得ない話ではないわ。聞く限り貴女のところは女の子ばかりで、お祈りが主体だったのでしょう? だったら女神様に仕える女の子を養育していたのかも」
たしかに神殿へ仕える女の子達を送り出したが、秘密主義を掲げるほどだろうか。アレッシアにはまったく理解できなかったのだが、はじめて出会うこの世界のまともな人間であるイリアディスの意見なら間違いないのかもしれない。出会って間もなくあるが、アレッシアは早くも彼女を好きになりつつあるから、護役の男二人よりは親しみやすいし信じやすくある。
「……で、えーと、ルド」
「なんだ」
その肝心の護役だが、いまは人狼のルドがアレッシアの傍にいる。傍というより背後に控えている、が正しいのだが、こちらははっきり言って、半日も経たずに苦手意識が芽生えていた。
「あの、寝る前にちょっと話さない?」
「話すとは何を?」
「……内容は決まってないけど、うーんと、なんでもいいから適当に」
「お前が好むような話ができるとは思わん。眠れないのであれば俺の存在は気にせず、好きなところを散策しろ。危険な場所で無い限り止めはしない」
人狼の表情は読めない上に、ぶっきらぼうに告げるから返事の返しようがない。リベルトがいてくれたら違ったろうが、用事があるからとどこかに行ってしまった。
これには会話を聞いていたイリアディスも困惑ものだが、アレッシアは粘った。
「え、ええ……。はい……じゃなくて、そう申しましても、いきなりで慣れないというか、どうしたらいいかわからないというか」
「どうするもなにもない。お前の好きにすれば良い。リベルトの言った通り、俺たちはお前を守る役にあるのだから」
「リベルトはそう言うけど、私は習いはしたけど全然わからないことだらけだし、せめてもうちょっとこう、さ。あなた達のこと知りたいとか思うじゃない?」
「何を知りたい」
真顔と思しき表情で聞き返されても、アレッシアは口をすっぱくして天井を仰ぐだけだ。
「聞かれたから答える、とかそういうのじゃなくて。ほら、そっちも私のこと知りたいなーとか、そういうの……なんだっけ、相互理解から始めたいって気持ち?」
「俺たちが守り、お前は女神の候補者として務めを果たす。それ以外にやることは変わらん」
この人狼にはコミュニケーションの概念がないのかもしれない。顔がすっぱくなるどころかこの世の終わりが訪れたが如く絶望的な気分になってしまう。
「神官長様から話を聞いた限り、長い付き合いになりそうだし……」
「無論、そうなるよう務めさせてもらう」
アレッシアとルドはしばらく見つめ合った。イリアディスからすればにらみ合っていた、が正しいのだが、どちらにせよ長く対峙していたには違いない。ただ人狼に感情の揺らぎはなく、それがアレッシアにはちょっとだけ悔しい。
なぜなら彼女は護役の存在を神官長に教えられてから夢想した。
女神の試練は大変だけれど、「お前を守ってくれる絶対の味方」の言葉を信じてどんな話をしよう、どうやって会話を切り出そう、上手くやっていけたら嬉しいと、彼らを強く想ったのだ。
ある意味、外の世界を知らないアレッシアにとっての新しいよすがだったのに、こんな形で裏切られてなるものかと奮起した。
「に、庭を散歩するからついてきて!」
「もう暗いが」
「行くの! ……イリアディス、また明日ね!」
ただ、叫んだもののプランはなにもない。行き当たりばったりすぎないかと内心で落ち込む背中を、人狼が無言で追いかけた。
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