第9話 守り家と護役たち

「この度は誠に申し訳なく、お迎えはおろかお声がけいただくまで存在を失念していたのを深く反省しており……」

 

 ヴァンゲリスは明るい金髪に目鼻立ちが整った青年だ。細身なせいかやや気弱そうな印象は受けるものの振る舞いは柔らかく、人から好かれる顔立ちをしている。普通にしていれば見惚れても差し支えないが、その青年はいま、髪を乱しシャツをよれさせながらアレッシアの前に正座させられていた。


「誠意が足りない!!」

「はい!」


 美女に怒鳴られ背筋を伸ばし直すも、脚が痺れたのかなんともいえない表情で口元をすぼめては叱られるのを繰り返している。鬼の形相でヴァンゲリスを監視していたイリアディスだが、アレッシアに向き直るとたちまち洗練された美女に早変わりした。


「アレッシア様、本当に申し訳ありませんでした。このどうしようもない馬鹿が、よりによってお迎えの日を失念していたなんて、なんてお詫びをして良いのかわかりません。せめてお気の済むまで苦しむ姿をご堪能下さい」

「いえ、別に怒るまでもないっていうか、気にしてないし……」

「ま。お可愛らしいだけじゃなくって優しい方なんですね。まだ幼いと聞いていたのに、しっかりしていらっしゃって……ああ、このろくでなしにも見習わせたいくらいです」


 両手に頬を添え、ため息交じりに漏れる声は切なく哀愁を漂わせる。黒髪のゆるい巻き毛が艶やかな人で、アレッシアにはない大人の魅力に溢れている。彼女はストラトスの家長ヴァンゲリスの婚約者だと紹介されたが、恋人よりもはや妻に近い貫禄だ。

 

「待ってイリア。この子を出迎えることはちゃんと神官長からの手紙で……」

「忘れてたくせに言い訳しない!」

「ごもっともでございました……」


 ぐうの音も出ない様子で項垂れる。この調子でさっきからヴァンゲリスが物申しては叱られるのを繰り返しているが、カリトンは恋人達の惚気を見せられている気分で、胡乱げな表情だ。


「それよりも貴方がたが任される後継者の一人を引き渡しに来た。ストラトスにお任せしたいところだが、何故使用人達の姿がないのか説明してもらいたい。安全が確保されていないのにお渡ししたとあっては、神官長様にご報告がままならない」

「はい、はい、ですよね。ご尤もです。ほんとすみません」

「そもそもここがアレッシアの護り家になるなら、なぜ護役の影と光がいない。二人がいなければ任せようがない」


 痛いところを突かれたイリアディスが顔を押さえ、アレッシアが興味深げに目を見開いた。

 そう、女神の候補者のひとりになると新しい家に移らねばならないのはこの通りだ。

 理屈としては他の候補者の後ろ盾が強力そうだった、と述べればわかるだろうか。後ろ盾が強すぎれば試練の公平性を乱すのが理由で、各々がロイーダラーナで有力者の家に預けられる。いわゆる五大家と呼ばれる家柄なのだが、この五大家の力添えだけは試練においても有効で、候補者達は彼らをうまく使って情報を集めたりしていく。

 アレッシアが緊張していた原因はここにあるのだが、緊張に凝り固まっていた理由はもう一つある。


「護役ですね、はい。うん。彼らについては……いや、なんの連絡も受けてないので、なんで来てないのかは私も知らないんですけど」

「ヴァン」


 イリアディスの冷たいひとことが飛ぶと、ヴァンゲリスの肩が跳ねた。

 

「ほんとだよぉ。本当に私は何にも知らないよ。だって前日までには来てくれるって巫女長様は連絡をくれたのに、何の音沙汰もないんだってば」

「……カリトン様、でしたか? この様子ではおそらく嘘はいっておりません。この通り抜けている婚約者ですが、この状況で嘘をつくことはしない人です」

「そ、そうか……。いや、嘘でないなら構わないんだ。護役殿は神殿でも上位に当たる特殊な役職だと聞くから、把握しきれないのも無理はない」


 カリトンは強さを求め続けた戦士のためか、鼻水を流してすすり泣き始める男は初めてらしい。ドン引きしながらヴァンゲリスから距離を取っている。


「えと、じゃあまだ二人には会えないのかな……?」


 アレッシアに与えられものは、守り家以外にももう二人。

 それが戦えないアレッシアの護衛をこなす役職だ。光に影と呼称される二人組で、基本はその二人と常に動くことになる。

 護衛とは述べたが、実際はアレッシアの手足となる存在で、神官長には神々に仕える中でも特に優れた人達だと教えられている。命を賭して仕えてくれるはずだと教えられてから、どんな人達なのかと密かに期待に胸を高鳴らせていた。女神の候補者といい、ヴァンゲリス達との初対面と良い、少女は早くも人生は思い通りにはいかないものだと実感しはじめている。

 アレッシアが落ち込んだと思ったのか、イリアディスがヴァンゲリスに視線を落とした。


「ひっ……あ、い、いやでも護役は神殿に認められた、智と武に優れる人にしかなれないと聞いているから、事情があって遅れてるだけかと思います! それまでは我が家でもてなしさせていただきますので!」

「……その使用人はどこにいるのかと僕は聞いてるんだが」

「あっやべ」


 途端に青ざめたヴァンゲリス。しかしとうとう言い逃れできないと思ったのか「そのぅ」と気まずげに答えた。


「個人的な借金が膨れちゃって……ちょっと、給与未払いを起こしたら来てくれなくなったと申しますか」

「はぁ!?」


 カリトンが目を剥き、アレッシアは「わぁ」と声を上げた。借金で身を崩す人を目の当たりにしたのは初めてだ。

 イリアディスもひくりと頬を痙攣させているか、これではあの怒りようも仕方ない。

 

「あ、いやいや。資産はまだあるから大丈夫。それを使えばちゃんと使用人にも戻ってもらえるし、みんな私をわからせるために離れただけだと思うので……」

「それ、いざってときにしか使ってはダメだとお義母さまとお義父さまが口を酸っぱくしていってたものよね。遺言書にもしっかり忠告されてたお金」

「い、いやぁ……でもいまが有事なのは変わらないし」


 カリトンはまともに驚いていた。女神が管理する都市ロイーダラーナが誇る五大家とは、かくも情けないものだったか。ストラトスといえばかつて知恵を誇った賢者の末裔で、女神をよく助け、都市の繁栄に貢献したために取りなされた大家だ。そのために今回の試練にも選抜されたのに、この体たらくを女神はご存知なのだろうか。


「そういうわけなので、明日にはハイ、ちゃんと使用人達は戻ってきますのでご安心ください」


 どうにも頼りない。任せて良いのか考えあぐねていると、イリアディスも頭を下げた。

 

「…………そちらについてはあたしの家から補填できますので、アレッシア様に苦労はさせないとお約束します」

「失礼だが貴女のご実家は……?」

「五大家ほどではありませんが、それなりに由緒ある家で貿易を担っております」


 イリアディスが家名を名乗れば、カリトンは納得した。アレッシアにはさっぱり不明だが、有名な大金持ちらしい。

 

「それにストラトスの使用人達が職務を放棄したのも、あまりにヴァンゲリスが間抜けなため、わからせるために離れたのだと思います。先代達に良く仕えた方もいますし、不忠者はおりません」


 わかってもらうのは難しいですが、とため息を吐くイリアディスだが、この婚約者の在り方を見ていると使用人達の気持ちもわかる気がした。カリトンだったらとうに手を出し教育的指導に乗り出している。ので、ストライキだけで終わらせた使用人達は優しいと感じたほどだ。


「しかし参ったな。使用人が戻るのが明日というのは……」

「よければあたしの家においでなさいますか。そこなら護衛もいますし、御身を守れると……」


 また移動は嫌だなあ、とアレッシアがぼんやり思ったときだった。

 なんとなく……玄関の方向から人が寄ってくる気配がする。どことなく懐かしいような、不思議な気持ちを感じて振り返ると、カリトンも視線に釣られた。

 遅れて気付いたが、カリトンも気付いた。

 約二名の足音がしたのだ。音からして重みのある人物ゆえ咄嗟に身構えたが、床を鳴らす音を隠していないために力を抜いた。

 やがてヴァンゲリス達も新たな来訪者達に気付いたらしい。

 開かれたドアの向こうから二つの影がやってくると、徐々にその姿が露わになり、爪の伸びた指でコン、とドアを叩きながら言った。


「ストラトスで間違いないか。遅参したが護役の光ルド、及び影のリベルトが到着した」


 名乗るとその人……人狼と呼ばれる種族の狼はアレッシアに視線を落とした。候補者のの中にも人狼族はいたが、この人はひときわ体躯があり、グレーの毛並みに白い毛が映える美しい生物だ。頭部は狼そのものの見た目で獰猛な牙も隠さないのに、恐ろしく知性のある気高い目をしている。要所は金属を纏い、身長ほどもある大剣を背負っていた。

 ルドと名乗った人狼が言った。


「アレッシアか」

「はいっ!」


 ヴァンゲリスみたいな返事になった。背を伸ばす少女に笑いを零したのは別の男性で、切れ長の瞳を持つ美丈夫だ。こちらは三十代半ばほどの年齢で、柔らかな微笑をアレッシアに向けている。

 アレッシアにとって戦士といえばカリトンが基本だ。それなのに想像以上に立派な大人がやってきたものだから目を回し、挨拶を思い出して勢いよく頭を下げた。


「あ、ああアレッシアです。よ、よろしくお願いします!?」


 妙な沈黙が流れた。いつまで経っても反応がないから顔を上げれば護役の二人が顔を合わし、リベルトに至っては苦笑をこぼしている。

 やがてルドが膝を折った。

 距離が近くなるとなおさら圧が強く堪らず仰け反る。ところが人狼の口から紡がれたのは落ち着いた声音だった。


「……護役は御身に仕える身だから、俺たちに頭を下げる必要はない」


 意外と優しいではないか。話が通じる人だとわかれば緊張も落ち着くが、ルドはアレッシアの手を取り、持ち上げると頭を垂れた。

 ふさふさの手だ、と気を取られていると手の甲を額に押し当てて言った。

 

「女神の候補者アレッシアへこの身を賭して御身に仕えると誓う。如何なる場所に置いても、死するときまで御身の剣になろう」

 

 衆目……といっても数名しかいないが、そんなところで誓われた方はとんでもない。

 新手の拷問かなと思ったのは内緒の話だ。

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