第3話 女神の神殿へ行きたいのです

 この質問の意図をエレンシアは掴めなかった。不思議そうに首を傾げれば「外?」と問い返すのだ。


「どうして外に出たいの?」

「だってずっと孤児院ばっかりの生活じゃない。外に行けばもっと面白いものが見られるし、お店だってたくさんある。ちょっとだけどお小遣いだってあるでしょ、だから色々買えると思うんだけど……」

「そっかぁ。アレッシアは面白いことを考えるんだねぇ」

「面白い、かなぁ」


 外は危ないからとの理由で門には閂がかけられているし、見張りにはコミカルな人形が置かれている。これがなかなか優秀で、三百六十度目でもついているのかと疑問に思うほど大変目敏い。一度みつかるとカリトンが飛んでやってくるのだ。文字通り何十メートルもジャンプしてやってきたので間違いない。


「私はいいかな。でもアレッシアがお外に行きたいのなら、神官長さまにお願いしてみたらいいんじゃないかな」

「本当に見たくないの?」

「ううん。考えたこともなかったから、よくわからないかも」

「私、本を読んだんだよ。ロイーダラーナの土手は空に浮かぶ空中都市だって」


 それがどうしたの、といった様子だ。アレッシアは食べるのも忘れ身を乗り出す。


「浮いてるんだよ!? ここからじゃ真っ青な空しか見えないけど、地上を見渡したらきっとエレンシアだってすごいって思う素敵な景色だと思うの」


 この孤児院は少し奥まった場所にあるためわからないが、都市は限られた土地を有効活用するために段差がついた山なり状の形になっている。もっと都市を見通せる場所から見上げればどんな風景が待っているのか気になって仕方ないし、酪農や農業も行われているから興味がある。神殿から湧き出る無限の水が湖を作り、都市全体に行き渡り恵みをもたらす光景をアレッシアは見てみたい。


「ここは神殿だから白が基調になってるけど、街の方は石や煉瓦造りになっているの。皆の服装ももっとこう……お洋服って感じの人もいる。私たちの知ってる常識と全然違うの!」

「アレッシア、まるで見てきたみたいに言うんだね」

「……え、そう?」


 そういえばアレッシアは街に出たことがないのに、どうして外の人々を知っているのだろう。思い当たるとすれば前の自分だが、彼女とて召喚されたばかりで死んだからこの世界ニルンを知っているはずがない。


「あれ? でも、私たしかに街を……」


 見たことあるのは気のせいか。そのことを思い返そうとするとき、アレッシアのお腹が痛みを覚えだす。単なる腹痛ではなく、脳髄を刺激する痛みで、ケーキが持っていられなくなりそうだった。


「アレッシア?」

「あ、ごめん、なんでもない」


 エレンシアの呼びかけに我に返る。痛みはすぐにおさまり気を取り直した。


「バターケーキはまた明日食べるね。もったいなくってすぐには食べられないから」


 そしてどこかで皆にも礼を言わなくてはならない。みんな良い子だからなんでもない風を装うのだろうが、それがすこし億劫だ。

 ただ、今日は面倒な仕事が少ない。夜ご飯の食器洗いは免れないが、毎日行う洗濯掃除はお祈りのおかげで全員お休みだ。ロイーダラーナは風呂文化に理解があるから二日に一度は神官が水からお湯を張ってくれるし、普段は水浴ができる。石鹸も存在するから丁寧に洗えるし、お風呂上がり温風の部屋に入れば髪だって乾くから便利なことこの上ない。温風はまじない……つまり魔法の掛け合わせらしいが、むかし神官長が作ってくれた仕組みだそうだ。

 そうだ、教育方針はともかく、日常生活において神官達は少女達に相当気を使ってくれている。食事は質素でも飢えぬよう用意してくれるし、彼らとて同じ食生活だからこんな生活でも反抗する気も起きずに胸にもやもやを抱えている。

 いっそ少女達のためになにかするべきか、考えはしても実行には移せず、エレンシアの反応になんともいえない気持ちを味わい続けるアレッシアだが、ある時転機が訪れた。

 朝ご飯の時間だ。

 一同が食堂に会し、平パンと焼き野菜に塩を振ったソテーを食しているとき、ある神官が慌てた様子で神官長を呼びに来た。

 いつも廊下を走ったりしない人達だ。何事かと全員が注目していると神官長に耳打ちし、それを聞いた老人が驚き腰を浮かせる。

 その場にいた神官達に情報共有がなされ、全員が頷き合うと、皆にはいつも通り食事を行うよう告げ食堂を出て行ってしまったのだ。

 一連の挙動に不審に感じたアレッシアだったが、他の皆は気にもかけていないどころか、普通に食事を再開する有様だ。隣の少女に気にならないか話しかけたら、小首を傾げてこう言った。


「神官長さまたちがああおっしゃったのなら大丈夫よ。それよりアレッシア、いまなら神官さまの目がないし、お代わりをしておいで」

「お代わりどころじゃないよ。神官長さま達の様子が変だったし、みんな気にならないの?」

「いずれわかるわ。それよりも私たちはあなたの身体が心配。もしかしたら夜はご飯がないかもしれないから、たくさん食べておくのよ」


 意味不明な言葉だったが、少女は自身のパンを二つに分け、アレッシアに渡してくれた。他にも四人の少女がやってくると、アレッシアのためにと予備の食料を作ってくれたのだ。

 少女の言葉通り夕餉はなかった。

 普段なら就寝の時間までそれぞれ集まり、編み物をしたり、歌を歌ったりする仲間達は全員部屋から出てこない。神官長達も戻ってこず、カリトンは相変わらず孤児院を警邏しているが口数が少ない。

 静まりかえった孤児院を不気味に感じながらパンを摘まんでいると、戸を叩いたのはエレンシアだ。


「ごめんね、いま大丈夫?」

「エレンシア、どうしたの」

「夜ご飯がなかったでしょう。お腹が空いてると思って持ってきたの」


 少女の手には新鮮なオレンジが握られている。アレッシアに手渡すと、少しだけ恥ずかしそうに俯いた。


「本当はお料理をしてみたかったのだけど、作り方が全然わからなかったの。だからこれしか持ってこられなくて……」

「え、う、ううん。そんな気にしないで、わざわざ持ってきてくれただけでも充分だよ! っていうか、私のために厨房まで行ってくれたんでしょう。その気持ちだけで嬉しいよ」

「本当?」

「本当だよ! ……あれ、でも厨房は危ないからお掃除以外は入っちゃ駄目って言われてなかった?」

「言われてたけど、アレッシアはパンだけじゃ味気ないだろうから、取りに行っておいでって、厨房の掃除当番の子が鍵をくれたの」

 

 もっと話していたかったが、エレンシアの用件はこれだけだったらしい。慌てているのかすぐに部屋に戻ってしまったが、残されたアレッシアは呆然とオレンジを両手で握り佇んだ。

 瑞々しいオレンジに鼻を近づければ、柑橘類の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。

 実を食せば酸味の強い果実だったけれど、感じるのは感謝と申し訳なさと……そしてほんの少しの不気味さだ。


「なんか……全部お見通しみたい」


 さほど交流があったわけでもないし、たくさん話した記憶もない。すべてはいまのアレッシアにおいての話だが、ここにきて皆の親切心より不信感が勝りだした。

 翌朝になると異常は目に見えだして、早朝には正装に着替えたエレンシアに起こされる。お祈りは終わったはずなのにと渋々着替え、外に出れば驚かされた。

 なんと昨日パンを分けてくれた五人の少女が、少し違った装いで並び立っている。アレッシア達の正装より少し装いを豪華にしたもので、五人共に金に赤い宝石をあしらった腕輪を身につけていた。神官長と話す姿をみたとき、こめかみにわずかな痛みを感じた。


「あ、痛……」

 

 こういったことは珍しくなく、ぎゅっと目を閉じれば一瞬で消えてくれる。

 五人はアレッシアに気付くと、ぱっと表情を明るくする。代わる代わる抱きしめてくると、彼女達はこれから『運命の女神の神殿』に行くと教えてくれた。


「長いお務めになるから会えるのはちょっと先かも。それまで元気でいてね」


 そんなお触れはひとつもなかったのに、まるですでに決まっていたかの物言いだ。普段なら「元気でね」と返すところだが、透き通った柔らかい笑みが気になって堪らず言った。


「私も行きたい!」


 大声を出すと、その場にいた全員が目を見張った。注目を浴びたアレッシアは焦り、自身の胸に手を当て主張する。


「な、なんか大事なお役目だっていうのはわかりました! お、おお落ちこぼれの私が行きたいっていうのは駄目かもしれないけど、でもほら、ついていけばなにかわかることがあるかもしれないし!」


 しどろもどろになるアレッシアにある神官は眉根を寄せた。カリトンですら難しい表情で、これは失言をしたかと焦る少女に、神官長は「ふむ」と髭をなぞり考える。


「……ときにアレッシア、エレンシアの髪は何色かね」

「え? ……綺麗な黒髪ですけど」


 この状況においておかしな質問だが、これを聞いた神官長は何事かを理解した様子で何度か頷いた。


「ふむ、ふむ。アレッシア自ら神殿に赴きたいと言ってくれるとは、儂は実に喜ばしい思いで溢れている。だがお前を行かせるのはまだ早いようだ」

「神官長さま! 私は子供なばかりではありません。大人しくできますし、無駄口も叩きません。なのに見に行くだけでもだめなんですか!」

「普段ならば同行させてやりたかったが、今回ばかりはな。次に機会があれば連れて行ってあげよう」

「私はいまがいいんです!」

「アレッシア、神官長様を困らせてはならない」


 諦めないアレッシアに叱咤する神官。なおも食い下がる姿にとうとうカリトンが止めに入ったが、助け船は意外なところから入った。


「……いいんじゃないでしょうか」


 食堂で隣に座っていた子だった。これから神殿に赴くひとりだが、他の四人も同じように、代わる代わる神官長に進言する。


「アレッシアが行きたいといっています。私たちは彼女の想いを汲んであげたい」

「そうね、ここまで強く言うのなら、意味があるのでしょう」

「神官長さま、彼女を私たちに同行させてあげてくださいな」

「なにもなければそれで良いのです。ただ、ここでアレッシアが声を出したことを考えてあげるべきです」

「しかし、お前たち……」

「神殿は彼女を拒みません。神託は降りていませんが、おそらく通してくれる。そんな気がします」


 これにカリトンが拘束する手を離し、神官長はアレッシアの同行を許可してくれた。

 五人は許しが出たことにはしゃいで喜び、アレッシアは感謝を少女達に述べる。少し不安げなエレンシアを置いて馬車に乗る一行だが、複雑な心地で一同を見渡していた。

 

 ……なぜこうも意を汲んでくれるのか。ちょっと気持ち悪いなと感じてしまったのは、アレッシアだけの秘密だ。

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