5月10日 訃報、本当に悲しい話

『落選日記』に心の底から悲しい話を書いたら終わりでは? と思ったのですが…。


早川書房から『そして夜は甦る』をはじめとする通称・沢崎シリーズを刊行されていた原尞先生が5月4日に亡くなられていたと今日知りました。76歳だったそうです。私にとっての76歳は、亡くなる年ではありません。というか、好きな人には全員76歳の若さで亡くなってほしくないです。本当に悲しい。

私が『ハードボイルド』という概念を知ったのは、チャンドラーより先に原先生の作品に触れた瞬間でした。デビュー作『そして夜は甦る』、直木賞受賞『私が殺した少女』、沢崎シリーズ第一期完結『さらば長き眠り』、どれも文章すべてを暗記するまで読み、文庫本がボロボロになり、新しく文庫本を買うなどしていました。


ハードボイルド。私が何よりも愛する概念。そしてそれを体現するただひとりの作家。それが原尞先生でした。


原尞先生は遅筆で有名で、1988年のデビューから亡くなられた2023年までのあいだに長編を5作、短編集をひとつ、そしてエッセイを2作出されている、だけです。でも私はずっと待ってました。原尞先生のファンはみんなそうだと思います。「いつ新刊が出るのかな」「沢崎は元気かな」「そろそろ橋爪の出番?」「相良はどんどんいい奴になっていくな」なんて考えながら、何より「原先生が楽しく執筆されているならそれいいや」って思って待ってました。ずっと待ってました。大人になってからは一度だけ『それまでの明日』を手にした瞬間「原先生の新刊だ!」という喜びで胸がいっぱいになりました。2018年の話です。待っていれば原先生は新刊を届けてくれるから、私もゆっくり待とう、そう思えたあの日のことはきっと一生忘れないと思います。


でも、もう、待っていても、本屋さんで「原先生の新刊だ!」と喜んで本を手に取ることはできません。「先生元気かな」と行ったことのない佐賀県に思いを馳せることも。


心から尊敬できる作家が欠けた世界は、あまりにも空っぽで、白状するならば横溝賞の受賞を逃した時よりも今の方がずっとずっと悲しい。書きかけの活字を前にしても「何やってんだ? 私」という感情だけが前に出てきます。もう原先生はこの世界のどこにもいない。いない。


この悲しみも生活を続けていくうちに薄れていくということは分かっています。薄れてくれなければ心が死んでしまうから。なので、今、本当に悲しいという気持ちをここに書き残しておきます。私の愛した探偵、沢崎を生み出してくれた、世界でいちばんハードボイルドな小説家、原尞先生。ゆっくり休んでください。私は一生原先生のファンで、原先生の後を追いかけるようにして文章を吐き出し続けるのだと思います。


『私が殺した少女』で直木賞を受賞した際、たくさんの映像化の依頼が来たそうです。でも、原先生の思う『沢崎』はどこにもいなかったから、すべてお断りしたというエッセイの一文が心に残っています。早川書房が、追悼のためとか言ってどさくさに紛れて沢崎シリーズを映像化するという暴挙に出ませんように。そんなことしたらめちゃくちゃ怒るからなファンは。めちゃくちゃ怒って何をするか分からんからな…!!!

原先生の望んだことだけを大切にして、作品が末長く読まれていくよう願っています。

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