最終話 第39話

 やや盛りを過ぎた桜並木の下を、俺たちは散歩していた。

 

 淡いピンク色の花びらが、風に舞っている。日差しはあたたかく、ベルカはコートを脱いでいる。


「この樹って、桜なんだよね……」


 舞い散る花びらを手の平に捕まえて、ベルカがぽつりと呟く。


 ▽そうだな。ほら、樹にプレートが付いてる。


 一本の樹の幹に、学名や説明が書かれたプレートが巻き付けてあった。


「エゾヤマザクラ……ソメイヨシノじゃないんだね」

 ▽昔はここにもあったらしいが、ずいぶん前のことみたいだな……


 ネットの情報を漁ってみると、この桜並木がソメイヨシノだったのは、一世紀近くも前のことだった。


 『桜はね、短命なんだ』


 ヨシノの言葉を思い出す。ベルカも何か思うところがあるのか、しばらく黙ったまま並木道を歩いた。


 あれから一ヶ月が経った。


 穏やかな陽気だった。しかし、ベルカも俺も、自分たちには春が訪れていないようなうら寒い日々を送っていた。


 ベルカのポケットで、端末が着信音を鳴らした。


「もしもし……。わかりました。いえ、説明はぼくが」


 短い通話を終えると、ベルカは深く息を吐いた。ポケットの中で、ここまでの道しるべとなった品を握り締める。


 ▽行くのか?

「うん。行くよ」


 今さら止めようという気は無かった。






 それまでベッドを取り囲んでいた無菌テントは外されていた。


 開け放たれた窓から吹き込む微かな風が、カーテンを揺らしている。

 ベルカは黙ったまま、ベッドサイドに歩み寄る。ベッドの上で身を起こした彼女は、ベルカなど居ないかのように窓の外を眺め続けていた。


「座れば」


 長い沈黙の後、ヨシノはそれだけ言った。

 ベルカが備え付けの椅子に腰を下ろす。ようやく、ヨシノがこちらを向く。


 彼女が腕を振り上げる。


 何をするつもりなのかは明白だった。それでも、ベルカは避けようとも、防ごうともしなかった。

 乾いた音がした。左の頬に受けた衝撃で、ベルカの首が横を向く。

 ベルカの頬を張り飛ばした右手を、ヨシノは痛みを堪えるように握り込む。


「言ったよね。がっかりさせないで、って」


 怒りも悲しみも感じさせない平坦な声で、ヨシノが言う。


「がっかりさせなければ良いんでしょ」


 ベルカの声は、かすかに上ずっている。


「説明しなさい。一体どういうことか」


 点滴台を運ぶキャスターの音。すれ違う看護師の挨拶。通信端末のコール音を背景に、ベルカは呼吸を整える。


「ヨシノはもう、大戦病じゃない」

「なに言ってるの……?」

「大戦病に侵された臓器を全部人造臓器に入れ替えた。今は代替臓器だけど、準備でき次第、遺伝子洗浄した培養臓器を移植するから。必要なら全身義体化もする」

「どうやってそんなこと……」

「ハルゼイさんが、知り合いを紹介してくれた。お金も、彼がこちらに残してきたものを使うようにって」


 ベルカが、ポケットに仕舞っていた懐中時計をヨシノに手渡す。

 ハルゼイが列車に投げ入れた、あの時計だ。蓋を開くと、折り畳まれた紙が挟まっている。


 紙には、エゾの大学軍病院の医師への紹介状、そしてハルゼイが亡命前に隠していった資産へのアクセス方法が記されていた。


 ヨシノの目元が引きつる。


「なにこれ。あの人、大学のやり方が嫌になったから逃げ出したんじゃなかったの? なのにそれをわたしに押し付けたの? やってることがめちゃくちゃ。ふざけないでよ……」


 黒髪を震わせて、点滴の刺さった腕でヨシノがベッドを殴りつける。


「どうしてみんな邪魔するの!?」


「迷惑だからですよ」


 唐突に割って入った声に、ヨシノが顔を上げる。

 スーツに白衣を纏った三十代中頃の女性が病室の入り口に立っていた。蒼い瞳に、長い金髪をシニヨンに結っている。


「だれ」


 敵意を剥き出しにするヨシノに、女性は腕組みを解いて溜息をつく。


「ツキノエといいます。あなたの手術を担当しました。非常に癪ではありますが、あなたの主治医ということになりますね」


 辛辣な自己紹介を述べたツキノエ医師にヨシノが鼻を鳴らす。


「あなたも、ハルゼイ先生の仲間ってことね」


 その言葉に、ツキノエは形のいい眉を片方上げる。


「私はあの男に利用されただけで、仲間なんかじゃありませんよ」

「それで、何の用?」

「ちょっとした世間話ですよ」


 とてもそうは思えない刺々しさを漂わせて、ツキノエは腕を組む。


「なにもかもが気に食わない。そんな顔ですね」

「ええ、そのとおり。せめて説明して」


「説明?」

 ツキノエが片眉を上げる。


「そう。一体何のつもりで、わたしの計画を邪魔したのか。その説明」


 金を要求する強盗のような空気を放つヨシノに対して、ツキノエはぞんざいな口調で答える。


「あなたがベルカさんに殺されるつもりだと、彼は気づいたのでしょう。だからあなたの邪魔をした」

「命を大切にしろって? 先生が博愛主義者だとはね」

「いいえ。彼はそんな人間ではありません。まあ理想主義なところはありましたが」


 懐かしむような色を滲ませツキノエが言う。


「彼は単に、あなたが自分の目の届かない所で死ぬのが許せなかっただけでしょう。勝手に人造妖精に喰い殺されるくらいなら、忌み嫌った大学の技術で延命させることを選んだ。あなたが大人しく彼の隣で死ぬことを選んでいれば、彼はこんなことしなかったでしょうし、私もこんな面倒事に巻きこまれずに済んだのですが」


 ツキノエの声に、俺は二つの感情を嗅ぎ取った。それは呆れと、嫉妬。


「ほんと、馬鹿な男です。こんな世間知らずの小娘のために」


 ヨシノが眉間に深い皺を刻んで、自分を世間知らずの小娘呼ばわりした女を睨み付ける。


「お説教のつもり?」

「いいえ」


 辟易した顔で、ツキノエは首を振る。


「私は、確認がしたいだけです」

「確認?」


 ヨシノが眉をひそめる。

 ツキノエ医師はしばらくヨシノをじっと見つめて、口を開いた。


「あなた、死なずに済んだことに、ほっとしていますね?」


 ヨシノが歯を食いしばる音が、病室の静寂を掻き乱した。


「それが分かれば、もう充分です」


 もうお前に興味はない、と言わんばかりにツキノエは病室を立ち去ろうとした。


「わたしのことなんて、なんにも知らないくせに……」


 歯を食いしばるヨシノのつぶやきに、ツキノエが立ち止まる。

 ツキノエがくるりと回れ右して戻ってくる。

 ヨシノのベッドサイドで足を止めると、額が触れそうなほどの至近距離からヨシノを睨み付けた。


「その通り。わたしはあなたのことなんて何も知らないし、心底どうでもいい。ただ、あなたに死なれたら、いまこの瞬間、教会に拷問されているかもしれない彼に申し訳が立たない。だからあなたに死ぬ気がないことが分かればそれでいい」


 ヨシノを睨み付けるツキノエの声に、嫉妬の色が強くなる。 


「先生とあなたに、なんの関係があるっていうの」


「ハルゼイは私の婚約者だった」 


 ヨシノの顔に、若干の怯えが混じった。


「私は今でも彼を愛しています。彼が私を愛していなくても構わない。彼が彼の信念に従って生きているなら、それで充分。でもあなたはそれを邪魔した。だからこれ以上彼に迷惑をかけさせないよう、あなたのことを心から「心配」してあげます」


「ふざけないで!!」


 ヨシノが叫び、手元にあったナースコールの端末を投げつける。しかし狙いは逸れて、見当違いな壁に当たって端末は床に転がった。


「……まぁ、この辺にしておきますか。正直言い足りないくらいですが、これからいくらでも時間はありますからね」


 床に落ちた端末を拾い上げ、外れかけた電池の蓋を直すと、ツキノエはベルカに端末を手渡す。

 誤作動したナースコールに駆けつけた看護師を手で制し、ツキノエは病室を出て行った。





「なんなの。あの人も、先生も……ほっといてよ」


「ヨシノ、本当に分からない? どうして、ハルゼイさんがここまでしたのか?」


 ヨシノは苛立った様子で首を横に振る。


「ハルゼイさんはヨシノに生きていて欲しかったんだよ」

「だから、それが分からないって言ってるの」


「好きだったんじゃないかな、ヨシノのこと」


「――は? なに、好きって」


 ぴたりと動きを止めて、ヨシノがこちらを見つめ返してくる。


「何言ってるの? 先生が? わたしを? そんな素振り、どこにあったって言うの? ベルカは先生から聞いたの? あの人がわたしのこと好きだって」

「ううん。なんにも」

「なら、適当なこと言わないで」


「うん、本当の理由なんてわからない。でも、ごく普通に考えれば解ることじゃない? 自分を危険にさらしてでも、だれかを助けようとした理由なんて。その人のことが大切だったから、好きだったから。他にある?」


「信じない。そんなふざけた理由」

「そうだね……。どうしても気になるなら、聞きに行けばいい。「どうしてあのとき、わたしを助けたんですか」って」


「そんなこと、」

「できるよ。いまは無理でも。その気になれば、ヨシノは自由に旅することだってできる。ハルゼイさんに会いに行くことだって、きっとできる」

「適当なこと言わないで。わたしは亡命者で、好き勝手できるような立場じゃない。病気が治ったって、わたしに自由なんて――」


「大丈夫」


 ヨシノの言葉を遮って、ベルカが口元に笑みを浮かべる。


「そのときは、ぼくが共犯者になってあげる」


 キッと、ヨシノがベルカを睨む。


「……ベルカ、あなた思ったよりずっと、自分勝手」 


 ふっと、ベルカの肩から力が抜ける。

「そうさ。ぼくは自分勝手に生きるって決めた。……ねえヨシノ。少し、ぼくの話をしてもいい?」


 ヨシノは一瞬眉をひそめたが、やめろとは言わなかった。


「ぼくにはね、シュトレルカって姉妹機がいたの」


 ベルカは、俺にも語ったシュトレルカの話をヨシノに聞かせた。

 はじめの内は聞いているのかいないのか、そっぽ向いていたヨシノは、いつしかベルカをじっと見つめていた。


「その次の日、シュカは自殺したの」


 とうとう、俺が聞いたところまでベルカは語り終えた。


「……それから、どうなったの?」


 ずっと黙り込んでいたヨシノが、はじめて口を開いた。

 思い返してみれば、俺もここから先の話は聞いていない。

 人を喰い殺し、恐怖を振り撒き、そして教会の威光を知らしめるために殺される。そんな劇の主役であるはずのシュトレルカが自殺した。


 それから、なにがあった?


「当番の子がいなくなったから、誰かが代役をすることになった。ぼくが、選ばれた」

「でも、ベルカは生きてる。……逃げ出した、そうでしょ?」


 俺も、ヨシノ同様そう思った。だが、ベルカは首を横に振った。


「代わりの誰かが行かなきゃ、他の人たちに迷惑かけちゃう。だからぼくがシュカの代わりにならなきゃって、必死だった」


 ヨシノは眉を互い違いにして、物言いたげな表情を浮かべていた。ベルカは同意するように「わかるよ」と苦笑する。


「あの頃のぼくにはそれが当たり前だったんだ。だからぼくは連れて行かれるのを素直に待ってた。でも、迎えはいつになっても来なかった」 


 どうしてだと思う? ベルカの問いかけに、ヨシノは首を振る。


「ちょうどその日の晩、世界中で核爆弾が爆発したから」


 生命戦争を強制的に終わらせた、世界同時多発高高度核爆撃。それが、ベルカの命を救った。


「……シュトレルカが言った言葉にはね、ほんとは続きがあるの」


『私が生きるのは私のため、私が死ぬのは私のため。他の誰のためでもない』


「『それはあんたも同じなのよ、ベルカ』……あのときは、どういう意味か分からなかったけど、今はわかるよ」


 シュトレルカは分かっていたのだろう。自分が自殺すれば、ベルカが次の当番に選ばれることを。


 だからきっと、その言葉は出来の悪い妹への忠告だったのだろう。


「劇団の命令に従う必要なんてない。教会の教えに従う必要なんてない。誰かを気遣う必要なんてない。自分の信念を貫くためだったら、他人に迷惑をかけたっていい。身勝手で保身的になっても構わないから、死ぬな。シュカは、ぼくにそう言ったんだ。そうだったんだと、思うことにした」


 ベルカの顔には、吹っ切れた清々しさがあった。


「これまでずっと、シュカのことを思い出すのが怖かった。シュカの言葉の意味をきちんと考えようともしなかった。でも、ヨシノのおかげでやっと向き合うことができた。ありがとう」


 ベルカが微笑むと、ヨシノはムッとした顔になる。


「勝手に感謝されるの、嫌いなんだけど」

「知ってる。だからこれも、ぼくの勝手」


 晴れ空のようなベルカの笑顔に、ヨシノは苦々しい表情を浮かべて視線を逸らした。


「もう、出てって。さっさと旅に戻って。これ以上、わたしに関わらないで」


 突き放すように言って、ヨシノは身体を窓の外へと向けてしまった。

 ベルカは立ち上がり、病室を立ち去る。


「ベルカ」


 病室を出る直前、ヨシノがベルカを呼ぶ。振り返れば、窓の外を見つめたまま、ヨシノが言った。


「またね」


 その一言に、ベルカの顔に笑みが広がる。

 窓から吹き込む春風に乱れた髪を押さえて、ベルカが応える。


「またね」




 第三章 ターミナル start / end 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る