第3話
一瞬意識を失ってた。目が覚めると、誰かの気配を感じた。
目を開けると、女が俺の顔を見下ろしてた。
女というか、まだ少女だな。せいぜい十五、六くらい。俺を見つめる瞳の色は、錆びた鉄みたいに赤くて、今にも泣きそうだった。びっくりするくらいきれいな肌で、唇もぷっくりしていてひび割れ一つない。栗色の髪もきれいに艶があって、街の外で出会うにしちゃ、ずいぶんと出来過ぎな美少女だなと思った。
こりゃいよいよ、死ぬ間際に脳ミソが気持ち良く死ねるよう幻覚でも見せてるのかと思った。
俺が目を覚ましたことに気づいたのか、少女がまばたきをした。それと同時に、彼女の頭の上で何かが動く。
見慣れない動きに、俺の注意が少女の頭の上に向かう。
栗色の髪で覆われた頭に、三角形のものが二つ、生えていた。
まじまじとそれを見つめる。二等辺三角形で、髪と同じ色の柔らかそうな毛に覆われている。
周囲を警戒するようにぴくぴく動くそれは、どう見ても獣の耳だった。
そこで俺は思い出す。
人喰い妖精と人の見分け方。とても簡単で、おそらくこの時代、世界中の誰もが知っていること。
人造妖精の頭には、獣の耳が生えている。
「……お前、人造妖精か」
驚いたことに、俺の喉はまだ潰れていなかった。
俺が口を利いたことに驚いたのか、少女が小さく息を呑む。それから、怯えたような顔でコクリと頷いた。
今度は俺が驚いた。俺が思っていた人造妖精ってのは、問答無用で人を喰い殺す化け物じみた存在だった。でもいま俺を見下ろすこの少女に、そのような様子は見られない。
まあ、人間らしく演技しているだけかもしれないけど。
いや、そんな必要があるか? 死にかけた人間の前で、怯えた少女を装う理由があるのか?
ごぼり、と喉の奥からイヤな咳が出た。少女が慌てた顔で、俺の身体を横に倒した。口から血が溢れ出す。あとちょっとで、俺は自分の血が肺に流れ込んで溺れ死ぬところだった。
「助かった」
かすれた声で言うと、少女が「大したことじゃない」という風に首を振った。
「なあ、客観的に見て、俺は助かりそうか?」
訊ねると、俺の肩を掴む少女の手が強ばった。それから、小さく首を横に振った。
その正直さが、気に入った。
「お前、腹減ってないか」
俺の言葉に、少女が再び身を強ばらせた。長い髪が乱れるくらいに、少女が首を横に振った。
「減ってるだろ、本当は」
少女は世界を拒絶するように瞼を固く結び、ただ首を振る。
「嘘つくなよ。なあ俺はもうすぐ死ぬから、そしたら――」
「ぼくも、すぐ死ぬ」
俺の言葉を遮って、人造妖精の少女が初めて口を開いた。丁寧に調律された楽器が奏でるような、澄み切った声音だった。
「もう、人を喰い殺して生きていくのはいや。死にたい」
「じゃあどうして今すぐ死なない?」
その言葉に、人造妖精は唇を噛んで目を伏せた。
きっとコイツも、旅人にただ憧れていたガキの頃の俺と同じように悩んでいる。あれこれ理由を探して、最初の(最後の、か?)一歩を踏み出すことをためらっている。
「お前みたいな美人が死にたいなんて、もったいないな」
人造妖精がポカンとした顔で俺を見つめた。何か言おうとしているが、口をパクパクさせるだけ。
「俺はもうすぐ死ぬ。どうせ死ぬなら、お前みたいなかわいい子の血肉になったほうが良いに決まってる」
少女は首を振った。ぽろぽろと涙が飛び散って、数滴が俺の頬にも落ちる。少女は葛藤していた。
死にたい、食べたい、生きたい。どれが本音で、どれが建前なのかは分からないが、どっちにしろすぐ死ぬ俺にはどうでもいいことだ。
「あの世で自慢してやるよ。行き倒れの人造妖精を助けてやったんだぜって」
途方に暮れた顔で、人造妖精の少女が俺を見つめる。
「だから、俺を喰って生き延びてくれ。な」
少女がうつむく。髪で顔が隠れて、ポタポタと涙が滴る。
それからちいさく、コクリと少女が頷いた。
「あなたの、名前は?」
少女が名前を聞いてきたことに、少なからず驚かされた。今から喰い殺す相手の名前を聞くのは、かなり勇気がいるんじゃないか?
「ユーリだ。お前は?」
「ベルカ」
人造妖精の少女が、小さな声で名乗った。
「ベルカ。……狼娘にしちゃ、かわいい名前だ」
痛みを堪えて、辛うじて動く右腕を伸ばす。ベルカの頭、栗色の毛に覆われた二等辺三角形の耳を触る。
懐かしい感触がした。あのキメラの旅人とおなじ手触りだった。思わず笑みが漏れる。
落っこちそうになる腕を、ベルカがつかむ。段々動かなくなる指で、俺は毛並みの良い耳を撫で続けた。
「お前の血肉になれるなら、犬死じゃないな。最後に誰かの役に立てるなら、悪くない。ありがとな、ベルカ。この恩は死んでも忘れないよ」
急に周りが暗くなってきた。貧血でぶっ倒れたときみたいに、耳も聞こえにくくなってくる。
ベルカが立ち上がった。少女のシルエットが、馬鹿でかい狼に変貌していく。
へえ、カッコいいじゃん。
頭蓋骨を噛み砕かれて、俺の意識はそこで途絶えた。
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